『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
くろかわ はるうじ 通常版 陸前 1538 (1523-1599)大崎家臣。鶴楯城主。黒川家は大崎家一門であったが、伊達家に従っていた。しかし、大崎家内乱の際は伊達家を裏切って大崎家につき、伊達政宗軍を破った。
黒川 晴氏 国人衆騎馬
[回復] [守戦] [槍衾]  335455 7555 88
まつだいら きよやす 通常版 三河 1523 (1511-1535)三河の戦国大名。13歳で家督を継ぐ。積極的な軍事行動で三河を平定、尾張の織田信秀と抗争するが、いわゆる「守山崩れ」で家臣・阿部弥七郎に殺された。
松平次郎三郎清康 武将騎馬
[改修] [訓練] [激励] [突撃]  748481 8765 88
まつだいら ひろただ 通常版 三河 1535 (1526-1549)三河の戦国大名。清康の子。一時は居城の岡崎城を追われるがのちに復帰。今川義元の庇護を受けて領国経営を進めるが反松平派の刺客・岩松八弥に殺された。
松平次郎三郎広忠 武将
[開墾] [連射]  403519 5660 88
さかい ただつぐ 通常版 三河 1542 (1527-1596)徳川四天王の筆頭。主君・家康の養育係を務めた。家康の成人後は東三河衆を率いて各地を転戦、数々の軍功をあげる。その器量は豊臣秀吉にも称賛された。
酒井小五郎忠次 武将
[開墾] [守戦] [連射]  657557 6685 88
さかい いえつぐ 通常版 三河 1579 (1564-1618)徳川家臣。忠次の嫡男。主君・家康の偏諱を受ける。家康の関東入国の際に臼井城主となった。大坂夏の陣で活躍し、その功により越後高田10万石を領した。
酒井小五郎家次 武将
[商業] [三段]  464429 3670 88
あべ さだよし 通常版 三河 1520 (1505-1549)松平家臣。息子・弥七郎が主君・清康を誤殺、その責任から自殺を図るが止められる。清康の子・広忠の岡崎帰城に尽力し、その後は補佐役として活躍した。
阿部源次郎定吉 武将
[激励]  654162 3860 88
とくやま ひであき 通常版 美濃飛騨 1560 (1545-1606)柴田家臣。主君・勝家に従って越前一向一揆制圧戦に参加し、小松城主となる。勝家の死後は豊臣秀吉に属す。以後、丹羽家、前田家を経て徳川家康に仕えた。
徳山五兵衛秀現 武将
[改修]  372724 2470 88
やまむら よしとき 通常版 南信濃 1562 (1547-1602)木曾家臣。良利の子。主家転封後も木曾に残る。関ヶ原合戦の際は東軍に属し、西軍に捕まるが、のち解放。戦後、徳川家康から木曾福島の関所を預かった。
山村 良候 国人衆
[引抜]  452446 1165 88
おおくま ともひで 通常版 南越後 1532 (1517-1582)長尾家臣。越後箕冠城主。主君・景虎の側近として政務に参画。景虎の出家騒動に乗じて謀叛を起こすが敗れる。以後は武田家に仕え、甲斐天目山で戦死した。
大熊 朝秀 武将
[商業] [逃亡]  70557 6850 88
なかじょう ふじすけ 通常版 北越後 1497 (1482-1574)上杉家臣。主君・為景が関東管領・上杉顕定と戦った際は、為景に従い各地で活躍した。一時背くが、間もなく帰参。のち川中島合戦に従軍し、感状を受けた。
中条 藤資 国人衆騎馬
[引抜] [突撃] [混乱]  737886 8030 88
ぬくい ふささだ 通常版 加賀能登 1509 (1494-1555)畠山家臣。和歌に造詣深く、主君・義総の寵愛を得る。遊佐家を倒して主家の実権を握り、領内の動揺を招く。のちに権力奪回を目指す主君・義綱に殺された。
温井 総貞 武将
[商業] [激励] [混乱]  514570 7135 88
ぬくい つぐむね 通常版 加賀能登 1528 (1513-1555)畠山家臣。総貞の子。父を軍事面で補佐し、温井家を家中最大の勢力に発展させた。父が主君・義綱に殺された後、一族とともに主家に反旗を翻すが敗死した。
温井 続宗 武将荷駄
[捕縛]  512654 5150 88
ぬくい かげたか 通常版 加賀能登 1547 (1532-1582)畠山家臣。続宗の子。祖父・総貞の死後に逐電するが、主君・義綱の追放後に帰参。のち織田家に属す。本能寺の変後、所領回復を狙って挙兵し、敗死した。
温井 景隆 武将鉄砲
[逃亡]  471958 6435 88
とだ やすなが PK追加 三河 1577 (1562-1632)徳川家臣。主君・家康より松平姓を許された。遠江高天神城攻めで初陣し、以後各地で功を立てる。関ヶ原合戦では美濃大垣城を攻略するなど活躍した。
戸田孫六郎康長 国人衆騎馬
[改修] [回復]  505444 5975 88
やぎゅう よしかつ PK追加 大和 1567 (1552-1616)大和の豪族。宗厳の長男。合戦の時に受けた鉄砲傷がもとで半身不随となり、生涯を柳生の里で過ごした。子・兵庫助利厳がのちに柳生新陰流の印可を受けた。
柳生新次郎厳勝 国人衆
[訓練] [剣豪] [槍衾]  357853 1485 88
むさしぼう べんけい 諸王 1555 (1540-1590)源義経の従者。武勇に優れていた。常に義経に付き従い、数々の危機から義経を救った。奥州平泉で頼朝軍の追討から義経を守って戦死した。
武蔵坊 弁慶 旧仏教
[訓練] [守戦] [槍衾] 0 258849 6100 88
かざんいん ただすけ 諸勢力 山城 1573 (1558-1634)花山院家の当主。花山院家は精華の1つで太政大臣に進む家柄。忠輔・家輔・家雅と代を伝えた。のちに花山院忠長が官女密通事件に連座し松前へ配流された。
花山院 忠輔 朝廷騎馬
[外交]  494550 4270 88
いとう すけひろ 諸勢力 伊勢志摩 1521 (1506-1615)桑名の商人。伊藤家は実際は尾張名古屋に住んだ豪商で、祐広・祐道と代を伝えた。祐道は松平忠吉に仕え、呉服太物問屋・伊藤屋(のち松坂屋)を開業した。
伊藤 祐広 都市
[商業] [茶湯]  424740 4370 88
やまな うじかね 諸勢力 美作 1550 (1535-1615)美作の国人。氏兼は実際は美作の土豪で神楽尾城主。尼子軍が美作に侵攻した際原田忠長の攻撃を受けて敗れ、逐電。しかしのちに忠長を討って復帰した。
山名 氏兼 国人衆荷駄
[開墾] [改修]  465957 6035 88

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