『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
おおうら まさのぶ 通常版 陸奥 1512 (1497-1541)南部家臣。大浦城主。わがままで家臣に信望がなかった。和徳城攻めで戦死したが、味方はその事実を知らずに退却、帰城後に初めて主君不在を知ったという。
大浦 政信 武将騎馬
[突撃]  263232 8335 13
おおうら ためのり 通常版 陸奥 1535 (1520-1567)南部家臣。政信の嫡男。大浦城主。父の死後、家督を継ぐ。生来病弱であったという。のちに娘・戌の婿に大浦(津軽)為信を迎えて後嗣とした。
大浦 為則 武将荷駄
[登用] [説得]  553652 1285 13
くじ ためのぶ 通常版 陸奥 1565 (1550-1607)弘前藩初代藩主。大浦為則の娘を娶る。主家・南部家から独立、17年かけて津軽を統一した。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、正式に津軽領主の地位を得た。
久慈平蔵為信 武将騎馬
[引抜] [奉仕] [攻城] [混乱]  847886 9540 13
くじ のぶひら 通常版 陸奥 1601 (1586-1631)弘前藩2代藩主。為信の三男。幼い頃に父の勧めでキリスト教に入信。2人の兄が夭逝したため、父の死後、家督相続。弘前城を築くなど、藩の基礎を固めた。
久慈平蔵信牧 武将鉄砲
[改修] [激励]  544252 4160 13
ぬまた すけみつ 通常版 上野 1553 (1538-1612)津軽家臣。上野国沼田の出身。武者修業のため全国を行脚していた際に、為信の器量を見込んで仕官、その軍師となる。為信の津軽統一に多大な功績を残した。
沼田 祐光 武将
[開墾] [訓練] [説得]  635473 7985 12
もりおか のぶもと 通常版 陸奥 1561 (1546-1600)津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。石川高信との戦いに参加して和徳城を攻略、城主となる。のちに為信から叛意を疑われ謀殺された。
森岡十郎左衛門信元 武将騎馬
[訓練] [突撃]  164817 6850 16
かねひら つなのり 通常版 陸奥 1556 (1541-1625)津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。兼平家は大浦一族で、種里盛純(大浦盛信の弟)が兼平村を領した際に地名を姓としたという。
兼平 綱則 武将騎馬
[開墾] [登用]  515356 6065 12
なみおか ともなが 通常版 陸奥 1502 (1487-1541)浪岡北畠家当主。顕具の子。浪岡城を本拠とし、浪岡御所と称された。具永の代に、戦国時代の津軽情勢をまとめた「津軽郡中名字」が編纂されている。
浪岡 具永 武将
[外交] [連射]  773265 6570 16
なみおか ともむね 通常版 陸奥 1524 (1509-1558)浪岡北畠家当主。具永の子。浪岡北畠家は南北朝後期に北畠顕邦(顕家の曾孫)が入部したのが始まりと言われる。顕邦の子・顕義の時に浪岡城が築かれた。
浪岡 具統 武将騎馬
[登用] [茶湯]  582439 2545 16
なみおか ともかず 通常版 陸奥 1547 (1532-1562)浪岡北畠家当主。具統の子。寺社の修築に力を注ぐが、そのために財政を逼迫させて一族の内紛を引き起こし、川原御所を継いでいた叔父・具信に殺害された。
浪岡 具運 武将
[商業]  351549 5960 16
なみおか あきむら 通常版 陸奥 1562 (1555-1604)浪岡北畠家当主。具運の子。安東愛季の娘を娶る。津軽為信に居城・浪岡城を落とされたため安東家を頼り、北畠弾正と改名した。落城時に自害したともいう。
浪岡 顕村 武将
[開墾] [外交] [逃亡]  523831 5185 11
なみおか ちかよし 通常版 陸奥 1591 (1576-1625)安東家臣。顕村の子。津軽為信に居城・浪岡城を奪われた父とともに安東家を頼る。のちに北畠右近と改名し、使者として豊臣秀吉のもとに赴くなど活躍した。
浪岡 慶好 武将鉄砲
[外交] [逃亡]  43624 1070 11
なみおか あきのり 通常版 陸奥 1549 (1534-1578)浪岡北畠家一族。具統の子。兄・具運が謀叛を起こした叔父・浪岡具信に殺された際、具信を討ったという。この事件以来、浪岡北畠家の勢力は急速に衰えた。
浪岡 顕範 武将
[回復] [捕縛]  402339 3375 16
しらかわ よしつな 通常版 磐城 1521 (1506-1555)白河結城家当主。顕頼の子。白河結城家は祐広を初代とし、南北朝期は南朝方についた。永享の大乱の際には直朝が南奥州の中心人物として活躍している。
白河 義綱 武将
[開墾] [回復] [守戦]  433152 2265 17
しらかわ はるつな 通常版 磐城 1544 (1529-1573)白河結城家当主。義綱の子。内乱を鎮定して北上を続ける佐竹家と抗争し、次第に所領を奪われる。蘆名家と結んで対抗したが、間もなく失明、病死した。
白河 晴綱 武将
[回復] [連射]  553655 5475 17
しらかわ よしあき 通常版 磐城 1573 (1567-1613)白河結城家当主。晴綱の嫡男。父の死後に家督を継ぐが、後見役の小峰義親をはじめとする家臣たちによって居城を追われた。子孫は秋田藩に仕えている。
白河 義顕 武将騎馬
[逃亡]  301011 4280 10
こみね よしちか 通常版 磐城 1556 (1541-1626)奥州小峰城主。顕頼の子(義綱の子ともいう)。宗家の義顕を追放して白河結城家を乗っ取る。のちに佐竹義重に敗れ、義重の子・義広を養子に迎え隠居した。
小峰 義親 武将荷駄
[捕縛] [攻城] [混乱]  402243 8335 19
かとうだ しげきよ 通常版 磐城 1567 (1552-1601)白河結城家臣。河東田家は白河結城家の一族で、河東田郷に住んで姓としたという。伊達家との交渉に当たった。主家滅亡後は伊達家に仕え、3百石を賜った。
河東田 重清 武将
[激励]  442138 3375 15
わち なおより 通常版 磐城 1511 (1496-1550)白河結城家臣。主君・義綱の近津大明神への寄進状の添状を発給した。後裔の和知美濃守は、主君・義顕を白河城から追い、小峰義親の入城を手引きした。
和知 直頼 武将騎馬
[引抜]  523648 3750 19
さたけ よしひろ 通常版 常陸 1584 (1576-1631)蘆名家20代当主。佐竹義重の次男。白河結城家の養子となるが、のち蘆名盛隆の娘を娶り家督を継ぐ。摺上原で伊達政宗と戦って敗れ、故郷の常陸に逃れた。
佐竹平四郎義広 武将鉄砲
[逃亡]  444420 3570 19

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