武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
なみおか | | あきむら |
通常版 |
陸奥 |
1562 |
(1555-1604)浪岡北畠家当主。具運の子。安東愛季の娘を娶る。津軽為信に居城・浪岡城を落とされたため安東家を頼り、北畠弾正と改名した。落城時に自害したともいう。 |
浪岡 | | 顕村 |
武将 | 槍 |
[開墾] [外交] [逃亡] |
52 | 38 | 31 |
51 | 85 |
11 |
なみおか | | ちかよし |
通常版 |
陸奥 |
1591 |
(1576-1625)安東家臣。顕村の子。津軽為信に居城・浪岡城を奪われた父とともに安東家を頼る。のちに北畠右近と改名し、使者として豊臣秀吉のもとに赴くなど活躍した。 |
浪岡 | | 慶好 |
武将 | 鉄砲 |
[外交] [逃亡] |
43 | 6 | 24 |
10 | 70 |
11 |
さの | | ひでつな |
通常版 |
下野 |
1487 |
(1472-1546)佐野家12代当主。父・盛綱の代に居城とした唐沢山城を、佐野一族の本城として大改修および拡張を行う。古河公方・足利家の被官として、各地を転戦した。 |
佐野 | | 秀綱 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] |
59 | 64 | 47 |
36 | 70 |
11 |
さの | | とよつな |
通常版 |
下野 |
1519 |
(1504-1559)佐野家14代当主。唐沢山城主。泰綱の嫡男。隼人佐を称した。祖先にならって古河公方・足利家に属し、有力豪族として山内・扇谷両上杉家と戦い続けた。 |
佐野 | | 豊綱 |
武将 | 弓 |
[商業] [収拾] [守戦] |
49 | 57 | 60 |
59 | 75 |
11 |
さの | | むねつな |
通常版 |
下野 |
1571 |
(1556-1583)佐野家17代当主。昌綱の嫡男。佐竹家と結んで北条家に対抗。また軍事・経済両面の改革を進めるが、家臣の反発を招いた。のちに須花坂の戦いで戦死した。 |
佐野 | | 宗綱 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [検地] [激励] |
37 | 53 | 29 |
77 | 45 |
11 |
ばん | | なおゆき |
通常版 |
駿河遠江 |
1582 |
(1567-1615)加藤家臣。鉄砲大将を務めたが、関ヶ原合戦の際に主君・嘉明と対立して出奔、浪人となる。のちに大坂城に入城、大坂夏の陣で浅野長晟軍と戦い、戦死した。 |
塙 | 団右衛門 | 直之 |
武将 | 鉄砲 |
[三段] |
2 | 57 | 1 |
56 | 70 |
11 |
うじいえ | | ゆきひろ |
通常版 |
美濃飛騨 |
1561 |
(1546-1615)豊臣家臣。卜全の子。小田原征伐に従軍し、伊勢桑名2万2千石を得る。関ヶ原合戦で西軍に属し、戦後流浪。大坂城に入り、大坂夏の陣で豊臣秀頼に殉じた。 |
氏家 | 久左衛門 | 行広 |
武将 | 荷駄 |
[守戦] |
29 | 37 | 18 |
19 | 75 |
11 |
へんみ | | まさつね |
通常版 |
越前若狭 |
1537 |
(1522-1581)若狭武田家臣。高浜城主。逸見家は若狭武田家の庶流。織田信長の越前侵攻軍に降り、各地を転戦した。その功により、旧領を安堵され、3千石を加増された。 |
逸見 | | 昌経 |
武将 | 弓 |
[槍衾] |
38 | 34 | 39 |
49 | 35 |
11 |
もり | | よしゆき |
通常版 |
大和 |
1534 |
(1519-1581)筒井家臣。島清興・松倉重信とともに、筒井家三老臣の1人に数えられる。家中で重要な地位を占めたが、主君・定次と対立して致仕、大和に戻って帰農した。 |
森 | | 好之 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] [登用] [攻城] |
59 | 17 | 44 |
13 | 65 |
11 |
あまご | | はるひさ |
通常版 |
出雲石見 |
1518 |
(1514-1560)出雲の戦国大名。月山富田城主。中国8か国の守護を務めた。毛利元就の謀略により一門の新宮党を滅ぼし、勢力の弱体化を招く。毛利軍と交戦中に急死した。 |
尼子 | 三郎四郎 | 晴久 |
武将 | 騎馬 |
[改修] |
52 | 54 | 17 |
55 | 55 |
11 |
あまご | | よしひさ |
通常版 |
出雲石見 |
1555 |
(1540-1610)出雲の戦国大名。月山富田城主。晴久の嫡男。居城に籠城して毛利元就の出雲遠征軍と戦うが、筆頭家老・宇山久兼を殺すなど、元就の離間策の前に敗れた。 |
尼子 | 三郎四郎 | 義久 |
武将 | 槍 |
[守戦] |
28 | 20 | 19 |
30 | 45 |
11 |
きもつき | | かねもり |
通常版 |
薩摩大隅 |
1571 |
(1561-1600)大隅の戦国大名。高山城主。兼続の子。次兄・兼亮の放逐により家督を継ぐが、島津軍の攻撃を受けて敗れ、所領を差し出し降伏した。関ヶ原合戦で戦死した。 |
肝付 | 与市 | 兼護 |
武将 | 弓 |
[連射] |
31 | 30 | 13 |
4 | 65 |
11 |
ねじめ | | きよとし |
通常版 |
薩摩大隅 |
1525 |
(1510-1559)大隅の豪族。根占領主。肝付家に従う。主君・兼続らと島津勝久と島津忠良の間を仲裁するが失敗。のち兼続から大隅高隈城を譲られるが、再び奪回された。 |
禰寝 | | 清年 |
国人衆 | 弓 |
[連射] |
62 | 45 | 58 |
76 | 60 |
11 |
あだち | | しげのぶ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1578 |
(1563-1625)加藤家臣。関ヶ原合戦では主君・嘉明の居城・伊予松前城の留守居役を務めて毛利軍を撃退し、家老となる。河川工事にすぐれ、領内の灌漑と水防を行った。 |
足立 | 半右衛門 | 重信 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [治水] [守戦] |
57 | 58 | 45 |
35 | 70 |
11 |
きのした | | かつとし |
PK追加 |
尾張 |
1584 |
(1569-1649)豊臣家臣。家定の長男。若狭小浜城主。関ヶ原合戦では東軍に属して伏見城を預かるが、任務放棄の罪で改易され、京都に隠棲した。近世和歌の祖といわれる。 |
木下 | 仙蔵 | 勝俊 |
武将 | 荷駄 |
[逃亡] |
57 | 24 | 45 |
11 | 40 |
11 |
はせがわ | | そうじん |
諸勢力 |
山城 |
1584 |
(1569-1656)京都の商人。宗仁は実際は京都の町衆出身の武将・絵師。織田信長に仕え、但馬代官などを務めた。本能寺の変後は豊臣秀吉・徳川家康に仕え1万石を領した。 |
長谷川 | | 宗仁 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
44 | 39 | 34 |
45 | 30 |
11 |
おがわ | | とうえもん |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1606 |
(1591-1658)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
小川 | | 東右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
40 | 50 | 45 |
54 | 50 |
11 |
かつた | | はちえもん |
諸勢力 |
土佐 |
1583 |
(1568-1645)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。 |
勝田 | | 八右衛門 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
49 | 48 | 42 |
59 | 65 |
11 |
かわしま | | かずのぶ |
諸勢力 |
山城 |
1561 |
(1546-1625)山城の国人。一宣は実際は山城の豪族。一時三好三人衆の攻撃を受けて丹波に逃れるが、織田信長の上洛軍に従って居城を奪回し、信長より本領を安堵された。 |
革島 | | 一宣 |
国人衆 | 荷駄 |
[開墾] [訓練] |
42 | 49 | 46 |
42 | 100 |
11 |