『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
きのした ひでよし 通常版 尾張 1551 (1536-1598)戦国一の出世頭。織田信長に仕え、傑出した人望と知略を武器に活躍し、頭角を現す。本能寺の変後、明智光秀、柴田勝家らを次々と倒し、天下に覇を唱えた。
木下藤吉郎秀吉 武将
[引抜] [検地] [攻城] [説得]  897185 10075 10
きのした ひでより 通常版 尾張 1598 (1593-1615)秀吉の次男。関ヶ原合戦後は摂河泉65万石の一大名の地位に転落する。大坂の陣では母・淀殿らの過剰な庇護を受け、一度も出陣できぬままに自害した。
木下 秀頼 武将
[登用] [激励]  394327 7575 10
きのした ひでなが 通常版 尾張 1555 (1540-1591)秀吉の異父弟。兄の片腕として、その覇業に貢献する。温和で人望高く、秀吉と他大名との折衝役を務めた。秀吉に先立って死去、諸将にその死を惜しまれた。
木下小一郎秀長 武将
[登用] [外交] [奉仕] [雨撃]  806877 3095 10
きのした ひでつぐ 通常版 尾張 1583 (1568-1595)三好吉房(秀吉の義兄)の子。秀吉の跡を継ぎ関白に就任するが、秀頼の誕生後は「殺生関白」と呼ばれるほどの乱行を振るまい、謀叛の罪で自害させられた。
木下孫七郎秀次 武将
[茶湯]  323515 8845 9
きのした ひであき 通常版 尾張 1597 (1582-1602)木下家定(秀吉の義兄)の子。豊臣秀吉の命により小早川隆景の養子となる。関ヶ原合戦では東軍に寝返り、東軍勝利に貢献したが、その2年後に急死した。
木下辰之助秀秋 武将
[逃亡]  153811 4540 7
きのした いえさだ PK追加 尾張 1558 (1543-1608)豊臣家臣。北政所(主君・秀吉の正室)の兄。播磨姫路城主を務めた。関ヶ原合戦では妹・北政所の警護を担当する。戦後、備中足守2万5千石を領した。
木下孫右衛門家定 武将
[商業] [外交] [説得]  494645 4285 10
きのした かつとし PK追加 尾張 1584 (1569-1649)豊臣家臣。家定の長男。若狭小浜城主。関ヶ原合戦では東軍に属して伏見城を預かるが、任務放棄の罪で改易され、京都に隠棲した。近世和歌の祖といわれる。
木下仙蔵勝俊 武将荷駄
[逃亡]  572445 1140 11
きのした としふさ PK追加 尾張 1588 (1573-1637)豊臣家臣。家定の次男。若狭高浜3万石を領した。関ヶ原合戦で西軍に属したため改易されるが、大坂の陣での功により備中足守2万5千石の領主となった。
木下 利房 武将
[外交]  503436 3365 12
きのした のぶとし PK追加 尾張 1592 (1577-1642)豊臣家臣。家定の子。播磨国で2万石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属し、小野木重次の居城・丹波福知山城を攻撃。戦後、豊後日出3万石を与えられた。
木下長助延俊 武将荷駄
[攻城]  483948 4650 16
すぎはら ながふさ PK追加 尾張 1589 (1574-1629)豊臣家臣。但馬豊岡3万石を領した。関ヶ原合戦では西軍に属し、丹後田辺城攻撃に参加した。妻の父が浅野長政であった関係もあり、戦後所領は安堵された。
杉原弥兵衛長房 武将騎馬
[引抜] [逃亡]  484444 4575 10

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