『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

1750件中315件 該当しました。 1件〜20件の表示 > 再検索
<-BACK 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 NEXT->
武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
かきざき もりひろ 通常版 蝦夷 1586 (1571-1608)慶広の長男。徳川家康が内大臣となった際、父とともに家康に拝謁。1600年に家督を継ぐが、父に先立ち病死。子の公広が幼少のため、慶広が後見した。
蠣崎甚五郎盛広 武将鉄砲
[登用] [貿易]  564032 1485 34
しば つねあき 通常版 陸中 1515 (1500-1559)奥州斯波家当主。詮高の嫡男。奥州斯波家は、足利尊氏の家臣・斯波家長が奥州管領として斯波郡に派遣され、高水寺城を築いて本拠としたことに始まる。
斯波孫三郎経詮 武将
[回復] [連射]  534662 6475 94
しずくいし あきさだ 通常版 陸中 1518 (1503-1567)奥州斯波家一族。詮高の次男。父が雫石地方を攻略した際に、雫石城主となり、雫石御所を称した。雫石城は、斯波家滅亡の際に南部信直に攻略された。
雫石 詮貞 武将
[収拾] [攻城]  493242 4475 94
あそぬま ひろさと 通常版 陸中 1549 (1534-1590)奥州の豪族。鍋倉城主。源頼朝の奥州征討に従軍した阿曾沼広綱を始祖とする。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため改易され、南部家に預けられた。
阿曾沼 広郷 国人衆
[開墾] [捕縛]  502444 3965 94
あそぬま ひろなが 通常版 陸中 1578 (1563-1600)奥州の豪族。広郷の子。鍋倉城主。関ヶ原合戦の際、南部家に従って出陣したが留守中に家臣に居城を奪われる。奪還をはかるが成功せず、伊達家臣となった。
阿曾沼彦三郎広長 国人衆
[改修]  331636 7575 94
くさの なおきよ 通常版 磐城 1529 (1514-1563)相馬家臣。顕胤に仕え、中村城代を務めていた。中村城は801年に坂上田村麻呂が菅原実敬に命じて築かせたという。その後は中村家が代々居城としていた。
草野 直清 武将
[連射] [混乱]  421325 4860 34
いわき しげたか 通常版 磐城 1520 (1505-1569)奥州大館城主。伊達家の内紛(天文の大乱)の際には、娘が晴宗の妻であった関係から、晴宗方に属した。佐竹義篤ともたびたび争った。和歌をよくした。
岩城二郎太郎重隆 武将騎馬
[開墾] [外交] [茶湯]  626761 5860 40
おおつか まさなり 通常版 磐城 1534 (1519-1558)佐竹家臣。竜子山城主。大塚家はもと岩城家臣。政成の時に、佐竹一家の待遇を受けて佐竹家に属し、のちに佐竹・岩城両家の間に入って和睦を成立させた。
大塚 政成 武将荷駄
[外交]  603957 7365 44
こまきね としまさ 通常版 磐城 1569 (1554-1635)豊臣・徳川家臣。奥州岩城の地侍をよく掌握していたため、3千石を与えられ、代官となる。関ヶ原合戦後は徳川家に仕え、平藩主となった鳥居忠政に仕えた。
駒木根 利政 武将鉄砲
[登用] [雨撃]  614047 6150 46
しらと たかみち 通常版 磐城 1566 (1551-1600)岩城家臣。白土家は岩城家一族。志賀甘釣斎(武治)とともに、しばしば伊達家との折衝にあたった。佐竹家から貞隆を迎えるのに尽力、岩城家を存続させた。
白土 隆通 武将騎馬
[捕縛]  563540 5975 46
たけぬき ひろみつ 通常版 磐城 1523 (1508-1557)岩城家臣。竹貫家は奥州の豪族・石川家の一族であるが、岩城家に仕えて重臣となる。佐竹家と白河結城家間の調停を岩城家が行った際、その折衝役を務めた。
竹貫 広光 武将
[外交] [連射]  402536 5665 46
あしな もりきよ 通常版 岩代 1505 (1490-1553)蘆名家15代当主。猪苗代家の反乱を鎮定し、伊達稙宗の葛西家攻めに協力、また岩城・白河結城家と戦うなど、事実上の会津守護職としての行動を取った。
蘆名 盛舜 武将
[商業] [収拾] [連射]  706580 7760 45
あしな もりうじ 通常版 岩代 1536 (1521-1580)蘆名家16代当主。蘆名家を伊達家と並ぶ奥州屈指の大名に育て上げた、蘆名家中興の祖。同盟をうまく利用し、会津一円から北越後に及ぶ所領を獲得した。
蘆名平四郎盛氏 武将騎馬
[開墾] [訓練] [激励] [突撃]  767773 9355 45
あしな もりおき 通常版 岩代 1562 (1547-1575)蘆名家17代当主。盛氏の嫡男。父の隠居により家督を継ぐが、佐竹家との抗争中に夭逝した。盛興の病を治すために、父が領内での造酒を禁じたこともある。
蘆名 盛興 武将騎馬
[商業]  414631 5370 45
にかいどう てるゆき 通常版 岩代 1523 (1508-1557)二階堂家17代当主。伊達、蘆名という強敵に挟まれ、苦境に立たされる。三春城主・田村清顕の軍に侵攻され、支城を奪われるなど、威勢は振るわなかった。
二階堂 輝行 武将
[登用] [守戦]  461830 565 46
にかいどう もりよし 通常版 岩代 1547 (1532-1581)二階堂家18代当主。蘆名盛氏と争うが子・盛隆を人質に出して降伏する。のちに盛隆が蘆名家当主となったため、援助を受けて二階堂家の勢力を回復した。
二階堂 盛義 武将騎馬
[開墾]  393732 4685 45
にかいどう もりたか 通常版 岩代 1576 (1561-1584)蘆名家18代当主。二階堂盛義の子。蘆名盛興の後室を娶った。上杉・北条家らと結んで佐竹家と争った。寵の衰えを逆恨みした側近に黒川城内で殺された。
二階堂平四郎盛隆 武将
[改修] [激励] [槍衾]  485651 8175 45
いなわしろ もりたね 通常版 岩代 1570 (1555-1589)蘆名家臣。盛国の子。摺上原合戦において父が伊達家に内応したのを知り、一度軍勢を退くが再び伊達軍に突入。乱戦で傷を負い、隠棲先で死去したという。
猪苗代 盛胤 武将騎馬
[捕縛] [突撃]  265234 1895 46
かながみ もりはる 通常版 岩代 1542 (1527-1589)蘆名家臣。盛隆の死後、伊達政宗の弟・小次郎を跡継ぎに推す一派を抑え、佐竹義重の次男・義広を当主に迎えることに成功した。摺上原合戦で戦死した。
金上 盛備 武将騎馬
[外交] [突撃] [説得]  544751 4990 45
かながみ もりざね 通常版 岩代 1566 (1551-1590)蘆名家臣。盛備の嫡男。父が摺上原合戦で戦死した後も、居城・津川城に籠城して伊達家に対抗するが降伏。間もなく津川城主を罷免され、行方不明となった。
金上 盛実 武将
[回復]  394753 6375 47

<-BACK 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 NEXT->
実行時間:0.015625
system:CGIROOM

▼「信長の野望」&「太閤立志伝」武将検索▼

 | 全国版  | 戦国群雄伝  | 武将風雲録  | 覇王伝  | 天翔記  | 将星録  | 烈風伝  | 嵐世記  | 蒼天録  |
 | 天下創世  | 革新  | 天道  | 国盗り頭脳バトル  | Internet  | 携帯版  | GB版  | for WS  | DS2  |
 | 太閤立志伝  | 太閤立志伝2  | 太閤立志伝3  | 太閤立志伝4  | 太閤立志伝5  |