『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

1750件中20件 該当しました。 1件〜20件の表示 > 再検索
<-BACK 1 NEXT->
武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
いわき しげたか 通常版 磐城 1520 (1505-1569)奥州大館城主。伊達家の内紛(天文の大乱)の際には、娘が晴宗の妻であった関係から、晴宗方に属した。佐竹義篤ともたびたび争った。和歌をよくした。
岩城二郎太郎重隆 武将騎馬
[開墾] [外交] [茶湯]  626761 5860 40
あんとう しげすえ 通常版 羽後 1555 (1540-1579)湊安東家9代当主。舜季の三男。安東尭季の養子となっていた兄・友季の死後、家督を継いで湊安東家の当主となった。蠣崎季広の六女を妻とした。
安東 茂季 武将騎馬
[貿易]  374238 1475 40
あんとう みちすえ 通常版 羽後 1579 (1564-1588)湊安東家10代当主。茂季の嫡男。父の死後、伯父・愛季に湊城を追われ、豊島城に移される。愛季の死後、戸沢家と結んで謀叛を起こすが、失敗に終わった。
安東 通季 武将
[引抜]  282923 6745 40
なんぶ すえかた 通常版 羽後 1555 (1540-1589)安東家臣。宮内少輔と称した。安東家の外交官としてたびたび京都へ赴き、山科言継や織田信長と会見した。愛季が信長に馬と鷹を贈った際も使者を務めた。
南部 季賢 武将鉄砲
[外交]  541838 5850 40
あさり のりより 通常版 羽後 1514 (1499-1550)出羽の豪族。朝頼の子。甲斐国浅利郷より出羽比内地方へ移住し、十狐(独鈷)城を築く。また、弟たちを周辺の城に配置し、比内における支配権を確立した。
浅利 則頼 国人衆騎馬
[開墾] [改修] [捕縛] [突撃]  494858 8580 40
あさり のりすけ 通常版 羽後 1538 (1523-1562)出羽の豪族。十狐(独鈷)城主。則頼の嫡男。安東家への従属を画策する弟・勝頼と対立する。のちに勝頼の手引きを受けた安東軍に攻撃され、自害した。
浅利 則祐 国人衆騎馬
[槍衾]  292433 4175 40
ろくごう まさのり 通常版 羽後 1582 (1567-1634)出羽の豪族。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領安堵。朝鮮出兵の際は肥前名護屋城を守る。のち関ヶ原合戦、大坂の陣に参加し、出羽本庄2万石を領した。
六郷長五郎政乗 国人衆鉄砲
[開墾] [引抜]  383540 5045 40
たがや まさひろ 通常版 下総 1552 (1537-1591)結城家臣。佐竹家や宇都宮家へ使者として赴くなど、外交面で活躍した。徳川家康の次男・秀康の結城家入嗣を取りまとめ、豊臣秀吉に功を賞せられた。
多賀谷新十郎政広 武将荷駄
[外交] [収拾]  571156 3165 40
あしかが よしあき 通常版 下総 1502 (1487-1538)小弓御所。古河公方・政氏の子。父らと対立し、流浪の末、真里谷武田家の後援で小弓城に入った。のちに里見家と結んで北条家と国府台で戦うが、敗死した。
足利 義明 武将騎馬
[訓練] [突撃]  317149 9235 40
あしかが よしずみ 通常版 下総 1538 (1532-1601)下野喜連川城主。小弓御所・義明の子。父が第一次国府台合戦で戦死したため、各地を流浪。のちに豊臣秀吉に仕えた。娘・島子は豊臣秀吉の側室となった。
足利 頼純 武将
[登用]  502230 4875 40
あしかが よりうじ 通常版 下総 1595 (1580-1630)下野喜連川城主。頼純の次男。兄・国朝は豊臣秀吉の朝鮮派兵に従い、従軍中に死去した。そのため、頼氏が兄の室(足利義氏の娘)を娶り、遺領を継いだ。
足利 頼氏 武将
[茶湯]  43614 560 40
せき もりのぶ 通常版 伊勢志摩 1539 (1524-1593)伊勢の豪族。亀山城主。織田信長の伊勢侵攻軍に降る。本能寺の変後は豊臣秀吉に従った。のちに蒲生氏郷の与力となり氏郷の会津転封に従って会津に移った。
 盛信 国人衆
[開墾] [激励]  444548 5660 40
せき かずまさ 通常版 伊勢志摩 1579 (1564-1625)伊勢の豪族。亀山城主。盛信の次男。蒲生家に仕え、奥州平定戦で活躍。関ヶ原合戦では東軍に属し、伯耆黒坂5万石を領すが、のちに内紛により改易された。
 一政 国人衆
[商業] [捕縛]  283924 3365 40
おばま かげたか 通常版 1555 (1540-1597)北畠家臣。志摩海賊衆の1人。九鬼嘉隆と対立して志摩を出奔、武田信玄に招かれて武田家の船大将となる。武田家滅亡後は徳川家に仕え、船手大将を務めた。
小浜 景隆 水軍衆
[貿易]  113328 3750 40
ゆい しょうせつ PK追加 駿河遠江 1620 (1605-1651)慶安事件の首謀者。江戸で軍学の講義を生業とし、門弟4千人という。徳川頼宣の名を利用して浪人を集め、幕府転覆を企むが未然に発覚し、駿府で自害した。
由比弥五郎正雪 武将
[引抜] [激励] [混乱]  276562 7890 40
ほうじょう よしとき 諸王 武蔵 1536 (1521-1585)北条時政の子。奥州藤原氏との戦いで功を挙げる。頼朝の死後、頼朝の子・頼家を伊豆に幽閉して政権を奪い、父の跡を継いで第2代執権となった。
北条 義時 武将
[開墾] [商業] [引抜] [外交]  734772 9050 40
りゅう ぜん 諸王 駿河遠江 1569 (1554-1618)蜀漢二代皇帝。凡庸温厚な人物。晩年は酒色にふけり、宦官の黄皓を寵愛。蜀漢を滅ぼす一要因となった。幼名「阿斗」は暗愚の代名詞とされる。
  武将
[登用] 000 381434 3780 40
いわざわ まんじろう 諸勢力 陸前 1587 (1572-1641)塩釜の商人。塩釜は奥州一の宮・塩竈神社の門前町、および塩釜港を擁する港町として栄えた。塩釜港は陸奥国府・多賀城への荷揚げ港として古くから栄えた。
岩沢 万次郎 都市
[商業] [茶湯]  564954 4595 40
うえまつ しょへいじ 諸勢力 武蔵 1575 (1560-1622)品川の商人。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。
植松 所平次 都市荷駄
[商業] [茶湯]  574749 5555 40
あんこくじ にちりょう 諸勢力 日向 1598 (1583-1657)日向の僧侶。飫肥安国寺は臨済宗の寺院で、日向国内は臨済宗が盛んな土地柄であった。住職・桂庵玄樹はのちに島津家に招かれ、薩南学派の祖となった。
安国寺 日良 旧仏教
[外交]  534551 4630 40

<-BACK 1 NEXT->
実行時間:0.015625
system:CGIROOM

▼「信長の野望」&「太閤立志伝」武将検索▼

 | 全国版  | 戦国群雄伝  | 武将風雲録  | 覇王伝  | 天翔記  | 将星録  | 烈風伝  | 嵐世記  | 蒼天録  |
 | 天下創世  | 革新  | 天道  | 国盗り頭脳バトル  | Internet  | 携帯版  | GB版  | for WS  | DS2  |
 | 太閤立志伝  | 太閤立志伝2  | 太閤立志伝3  | 太閤立志伝4  | 太閤立志伝5  |