『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
おおとも よししげ 通常版 豊後 1545 (1530-1587)大友家21代当主。剃髪し、宗麟と号する。最盛期には北九州6か国を領したが耳川合戦で島津軍に大敗して家臣の大半を失い、以後は没落の一途をたどった。
大友五郎義鎮 武将切支丹鉄砲
[貿易] [茶湯] [三段]  767665 9430 84
おおとも よしむね 通常版 豊後 1573 (1558-1610)大友家22代当主。宗麟の子。島津・龍造寺両家に圧迫され、豊臣秀吉を頼り豊後一国を安堵された。しかし朝鮮派兵の際に敵前逃亡を犯したため改易された。
大友五郎義統 武将
[逃亡]  443415 4460 84
へつぎ あきつら 通常版 豊後 1528 (1513-1585)大友家臣。立花城西城督。落雷で歩行不能となるが、輿に乗って常に大友軍の先陣を切り「鬼道雪」の異名をとった。生涯を軍陣で過ごした家中随一の猛将。
戸次道雪鑑連 武将騎馬
[開墾] [登用] [激励] [突撃]  538779 52100 84
よしひろ しげたね 通常版 豊後 1563 (1548-1586)大友家臣。筑前岩屋城主。吉弘鑑理の次男。立花道雪と双璧をなした猛将。島津軍5万の軍勢を居城にてわずか7百の兵で迎撃、敵兵多数を道連れに玉砕した。
吉弘孫七郎鎮種 武将騎馬
[改修] [訓練] [守戦] [槍衾]  258159 20100 84
よしひろ むねます 通常版 豊後 1582 (1567-1642)大友家臣。高橋紹運の子。立花道雪の娘を娶る。豊臣秀吉に「忠義と剛勇は鎮西一」と評された。関ヶ原合戦で西軍に属して改易されるが、のち旧領に復した。
吉弘 統増 武将騎馬
[回復] [奉仕] [鉄壁] [突撃]  548262 42100 84
あきづき ふみたね 通常版 筑前 1527 (1512-1557)筑前の豪族。古処山城主。大友家に属すが待遇に不満を持ち、毛利元就と結んで反旗を翻す。大友軍2万の軍勢に対して善戦するが、衆寡敵せず敗れ自害した。
秋月 文種 武将騎馬
[開墾]  396418 7670 34
あきづき たねざね 通常版 筑前 1557 (1548-1596)筑前の豪族。古処山城主。文種の長男。毛利家の援助を受け、居城を大友家から奪回した。豊臣秀吉の九州征伐軍に敗れ「楢柴茶入」を献上して改易を免れた。
秋月 種実 武将
[茶湯] [守戦]  564950 5365 34
つくし これかど 通常版 筑前 1546 (1531-1567)肥前の豪族。五箇山城主。少弐家に属し大内家臣・陶興房に攻められ敗れる。大内家滅亡後は秋月文種とともに毛利元就に属すが、大友軍に攻められ自害した。
筑紫 惟門 国人衆騎馬
[槍衾]  244123 2655 45
つくし ひろかど 通常版 筑前 1567 (1556-1623)肥前の豪族。五箇山城主。惟門の子。毛利・大友・龍造寺・島津家の間で離合集散を繰り返し、のちに豊臣秀吉に降る。関ヶ原合戦で西軍に属して改易された。
筑紫 広門 国人衆
[引抜] [外交] [逃亡]  543571 6130 45
おだ まさみつ 通常版 筑後 1524 (1509-1558)少弐家臣。肥前蓮池城主。龍造寺隆信の家督相続に反対した東肥前十九将の1人で、隆信と争う。隆信の肥前復帰後は隆信に仕え、江上武種討伐戦で戦死した。
小田九郎政光 国人衆
[攻城]  245157 6440 24
まつら おきのぶ 通常版 肥前 1503 (1488-1552)肥前の豪族。平戸城主。大内家に属し、主君・義興の偏諱を受けた。松浦家は、嵯峨源氏渡辺家の流れで、渡辺久が肥前松浦郡に住み松浦姓を名乗ったという。
松浦 興信 武将
[貿易]  723562 3970 24
こてだ やすつね 通常版 肥前 1547 (1532-1581)松浦家臣。安昌の子。「国王(主君・隆信)に次ぐ重要人物」と宣教師に評された。波多親攻撃軍の総大将を務めるなど隆信を補佐して活躍。のちに受洗した。
籠手田 安経 武将切支丹荷駄
[回復]  614154 4975 24
ありま はるずみ 通常版 肥前 1498 (1483-1566)肥前の豪族。日野江城主。島原半島を中心に勢力を拡大、有馬家最大の版図を築く。また大村家に次男・純忠を入嗣させて和睦、安定した支配体制を確立した。
有馬 晴純 武将
[商業] [外交] [攻城] [混乱]  938671 8855 24
おおむら すみただ 通常版 肥前 1548 (1533-1587)肥前の豪族。三城主。有馬晴純の次男。大村純前の養子となり、家督を継ぐ。長崎を開港し、ぽるとがる貿易を行った。日本初のキリシタン大名として著名。
大村 純忠 武将切支丹
[登用] [貿易]  513944 1165 24
かのこぎ ちかかず 通常版 肥後 1495 (1480-1549)菊池家臣。肥後隈本城主。大友義長の次男・義武の菊池家入嗣後は義武の家老となる。三条西実隆から「源氏物語」を購入するなど、文事にも関心が深かった。
鹿子木寂心親員 武将
[商業] [引抜] [収拾] [攻城]  787388 8145 64
かのこぎ しげあり 通常版 肥後 1536 (1521-1550)菊池家臣。肥後隈本城主。親員の孫。祖父の死後、家督を継ぐ。大友家で二階崩れの変が勃発した際、反大友勢力を糾合して大友家と戦うが、敗れて没落した。
鹿子木 鎮有 武将騎馬
[混乱]  492444 7235 64
あそ これとよ 通常版 肥後 1508 (1493-1559)肥後の豪族。岩尾城主。兄・惟長に一時居城を追われるが、家臣・甲斐親宣の助力で阿蘇大宮司職に復した。のちに禁裏修理料を献上し、勅使の下向を迎えた。
阿蘇 惟豊 旧仏教
[収拾]  495437 6965 74
あそ これたね 通常版 肥後 1555 (1540-1583)肥後の豪族。岩尾城主。惟豊の子。兄・惟将に男子がなかったため、家督を継いで阿蘇大宮司に就任した。しかし、家督継承のわずか1か月後に死去した。
阿蘇 惟種 旧仏教
[攻城]  493540 5170 74
かい ちかなお 通常版 肥後 1530 (1515-1585)阿蘇家臣。肥後御船城主。大友家と結んで龍造寺家や島津家と外交交渉を行い、主家の存続に努めた。島津家に属した相良義陽の攻撃を受けるが、撃退した。
甲斐宗運親直 武将騎馬
[開墾] [外交] [守戦] [説得]  807483 6790 74
さがら はるひろ 通常版 肥後 1528 (1513-1555)肥後の戦国大名。古麓城主。上村頼興の子。相良義滋の養子となり家督を継ぐ。対明貿易を行う。また分国法「相良氏法度」を制定し、支配力の強化に努めた。
相良藤五郎晴広 武将
[改修] [登用]  525237 7865 49

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