武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おおとも | | よしあき |
通常版 |
豊後 |
1517 |
(1502-1550)大友家20代当主。大内家ら周辺諸国と争い、勢力を拡大する。嫡男・義鎮の廃嫡を画策したため二階崩れの変が勃発。家臣に斬られて重傷を負い、死亡した。 |
大友 | 次郎 | 義鑑 |
武将 | 槍 |
[訓練] [外交] [貿易] |
83 | 73 | 45 |
92 | 40 |
79 |
おおとも | | よししげ |
通常版 |
豊後 |
1545 |
(1530-1587)大友家21代当主。剃髪し、宗麟と号する。最盛期には北九州6か国を領したが耳川合戦で島津軍に大敗して家臣の大半を失い、以後は没落の一途をたどった。 |
大友 | 五郎 | 義鎮 |
武将切支丹 | 鉄砲 |
[貿易] [茶湯] [三段] |
76 | 76 | 65 |
94 | 30 |
84 |
おおとも | | よしむね |
通常版 |
豊後 |
1573 |
(1558-1610)大友家22代当主。宗麟の子。島津・龍造寺両家に圧迫され、豊臣秀吉を頼り豊後一国を安堵された。しかし朝鮮派兵の際に敵前逃亡を犯したため改易された。 |
大友 | 五郎 | 義統 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
44 | 34 | 15 |
44 | 60 |
84 |
おおとも | | ちかいえ |
通常版 |
豊後 |
1576 |
(1561-1641)大友家臣。宗麟の次男。父の命で僧侶となるが、武術に励み、のちに還俗。島津義久に通じたため、所領を没収される。主家改易後は肥後細川家などに仕えた。 |
大友 | 新九郎 | 親家 |
武将切支丹 | 鉄砲 |
[三段] |
25 | 34 | 16 |
78 | 45 |
86 |
おおとも | | ちかもり |
通常版 |
豊後 |
1582 |
(1567-1643)大友家臣。宗麟の三男。耳川合戦の際は豊後に残った。おもに豊前方面で活動する。戸次川合戦に従軍するが、島津軍に敗れた。主家改易後は細川家に仕えた。 |
大友 | 与兵衛 | 親盛 |
武将切支丹 | 槍 |
[引抜] |
27 | 40 | 32 |
54 | 60 |
86 |
おおうち | | よしなが |
通常版 |
豊後 |
1547 |
(1532-1557)大内家32代当主。大友義鑑の次男。大内義隆の死後、陶晴賢に擁されて大内家を継いだ。厳島合戦で晴賢が戦死した後は毛利軍の侵攻を受け続け、自害した。 |
大内 | 八郎 | 義長 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
35 | 21 | 8 |
29 | 50 |
79 |
きくち | | よしたけ |
通常版 |
肥後 |
1520 |
(1505-1554)大友義長の次男。肥後の名家・菊池家を継ぐ。大内家と結んで兄・義鑑と戦うが敗れる。二階崩れの変後、再起して肥後の制圧を図るが甥・宗麟に討たれた。 |
菊池 | 十郎 | 義武 |
武将 | 弓 |
[混乱] |
16 | 34 | 20 |
86 | 35 |
82 |