武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
いしまき | | やすまさ |
通常版 |
相模伊豆 |
1549 |
(1534-1613)北条家臣。御馬廻衆の一人で、評定衆を務めた。主君・氏直が上洛を反古にした際、弁明のために豊臣秀吉のもとに赴いた。主家滅亡後は徳川家康に仕えた。 |
石巻 | | 康敬 |
武将 | 弓 |
[外交] |
53 | 28 | 22 |
16 | 65 |
91 |
いい | | なおたか |
通常版 |
駿河遠江 |
1602 |
(1590-1659)徳川家臣。直政の次男。病弱だった兄・直継に代わって家督を継ぎ、近江彦根藩主となった。大坂夏の陣に参陣し、長宗我部盛親・木村重成の両軍を撃破した。 |
井伊 | 弁之介 | 直孝 |
武将 | 鉄砲 |
[改修] [三段] [槍衾] |
64 | 66 | 52 |
40 | 75 |
91 |
ほんだ | | ただまさ |
通常版 |
三河 |
1590 |
(1575-1631)徳川家臣。忠勝の嫡男。小田原征伐、関ヶ原合戦、大坂の陣などに従軍し、播磨姫路15万石を領した。嫡男・忠刻は豊臣秀頼と死別した千姫と結婚している。 |
本多 | 平八郎 | 忠政 |
武将 | 鉄砲 |
[商業] [収拾] |
48 | 48 | 46 |
19 | 75 |
91 |
まきの | | やすなり |
通常版 |
三河 |
1570 |
(1555-1609)徳川家臣。牛久保城主。関ヶ原合戦では徳川秀忠軍に属す。上田城攻めで奮戦するが、軍令違反があり、蟄居する。のちに許されるが、健康を害して隠居した。 |
牧野 | 新二郎 | 康成 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] [槍衾] |
33 | 44 | 27 |
31 | 70 |
91 |
とくなが | | ながまさ |
通常版 |
近江 |
1564 |
(1549-1612)柴田家臣。賤ヶ岳合戦の際、主君・勝豊とともに豊臣秀吉の傘下に入る。秀吉の死後、朝鮮に渡って全軍に撤退命令を伝えた。関ヶ原合戦では東軍に属した。 |
徳永 | | 寿昌 |
武将 | 槍 |
[開墾] [外交] |
45 | 38 | 32 |
31 | 60 |
91 |
はら | | ながより |
通常版 |
美濃飛騨 |
1559 |
(1544-1600)織田家臣。柴田勝家の与力となる。賤ヶ岳合戦では柴田軍の先鋒として奮戦し、戦後、豊臣家に仕える。関ヶ原合戦で西軍に属して活躍したが、戦後自害した。 |
原 | 彦次郎 | 長頼 |
武将 | 槍 |
[引抜] |
28 | 28 | 17 |
60 | 60 |
91 |
むかい | | まさつな |
通常版 |
他 |
1572 |
(1557-1625)武田家臣。父・正重が徳川軍の攻撃を受けて戦死したため、家督を相続する。主家滅亡後は徳川家に仕えて御船奉行となり、徳川水軍の中核として活躍した。 |
向井 | | 正綱 |
水軍衆 | 鉄砲 |
[回復] [逃亡] [雨撃] |
11 | 64 | 50 |
51 | 75 |
91 |
ほんじょう | | ふさなが |
通常版 |
北越後 |
1525 |
(1510-1539)上杉家臣。本庄城主。大和守を称す。関東管領・上杉顕定の越後侵攻の際は顕定に応じ、長尾為景と戦った。のちに弟・小川長資に居城を奪われて死亡した。 |
本庄 | | 房長 |
国人衆 | 騎馬 |
[突撃] |
22 | 56 | 40 |
54 | 65 |
91 |
たかやま | | しげとも |
通常版 |
大和 |
1567 |
(1552-1615)織田家臣。摂津高槻城主。友照の子。父とともに入信する。各地の合戦で活躍するが、改宗を拒否し改易された。流浪の後、江戸幕府の命で呂宋へ追放された。 |
高山 | 彦五郎 | 重友 |
武将切支丹 | 槍 |
[改修] [茶湯] [三段] [説得] |
65 | 49 | 58 |
58 | 75 |
91 |
やぎゅう | | むねよし |
通常版 |
大和 |
1542 |
(1527-1606)大和の豪族。上泉信綱に師事して奥義を会得、柳生新陰流を開く。のちに徳川家康に招かれて柳生新陰流を伝授した。以後、柳生家は徳川家兵法師範となった。 |
柳生 | 新介 | 宗厳 |
国人衆 | 槍 |
[開墾] [剣豪] |
9 | 83 | 56 |
3 | 85 |
91 |
もりした | | みちよ |
通常版 |
因幡但馬 |
1552 |
(1537-1581)山名家臣。中村春続とともに主君・豊国を追い、吉川経家に属して因幡鳥取城を守る。しかし秀吉の「渇え殺し」戦法に敗れ、経家・春続らとともに自害した。 |
森下 | | 通与 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [守戦] |
18 | 46 | 40 |
54 | 65 |
91 |
よしおか | | さだかつ |
通常版 |
因幡但馬 |
1547 |
(1532-1606)山名家臣。因幡防己尾城主。羽柴秀吉の中国征伐軍に対抗し、千成瓢箪の馬標を奪って勇名を馳せる。しかし鳥取城落城により逃亡、娘夫婦を頼り、帰農した。 |
吉岡 | | 定勝 |
国人衆 | 騎馬 |
[攻城] |
10 | 39 | 26 |
64 | 80 |
91 |
さだ | | たかおき |
通常版 |
豊前 |
1544 |
(1529-1583)大内家臣。宇佐郡代を務めた。主家滅亡後は大友家に属し、宇佐郡衆の中核として活躍した。安心院麟生が大友家に背いた際は、本領安堵を条件に帰順させた。 |
佐田 | | 隆居 |
国人衆 | 鉄砲 |
[訓練] [回復] |
46 | 30 | 35 |
32 | 50 |
91 |
いたくら | | しげまさ |
PK追加 |
三河 |
1603 |
(1588-1638)徳川家臣。勝重の三男。三河深溝藩主。島原の乱の鎮圧に努める。しかし老中・松平信綱の派遣が決まると、突然、原城に総攻撃を掛けて敗北、戦死した。 |
板倉 | 宇右衛門 | 重昌 |
旧仏教 | 弓 |
[激励] [連射] |
54 | 48 | 51 |
61 | 70 |
91 |
ないとう | | じょあん |
PK追加 |
丹波丹後 |
1564 |
(1549-1626)豊臣家臣。フロイスに洗礼を受ける。朝鮮派兵では小西行長とともに講和交渉を行った。徳川家康が禁教令を出した際、高山重友とともにまにらに追放された。 |
内藤 | 忠俊 | 如安 |
国人衆切支丹 | 槍 |
[開墾] [収拾] |
57 | 58 | 50 |
30 | 90 |
91 |
たなか | | じんごろう |
諸勢力 |
土佐 |
1553 |
(1538-1618)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。 |
田中 | | 甚五郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
54 | 55 | 52 |
48 | 55 |
91 |
ふくや | | たかかね |
諸勢力 |
出雲石見 |
1549 |
(1534-1625)出雲石見の国人。隆兼は実際は石見の豪族で、本明城主。毛利家に従って温湯城主・小笠原家を攻撃したが、のちに背いたため毛利家によって滅ぼされた。 |
福屋 | | 隆兼 |
国人衆 | 荷駄 |
[開墾] [外交] |
47 | 49 | 47 |
46 | 55 |
91 |