武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
ほんだ | | ただかつ |
通常版 |
三河 |
1563 |
(1548-1610)徳川四天王の1人。「家康に過ぎたるもの」と謳われた家中随一の猛将。名槍・「蜻蛉切」を手に五十七回の合戦に参陣し、かすり傷一つ負わなかったという。 |
本多 | 平八郎 | 忠勝 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [収拾] [鉄壁] [突撃] |
56 | 83 | 63 |
70 | 95 |
90 |
ほんだ | | ただまさ |
通常版 |
三河 |
1590 |
(1575-1631)徳川家臣。忠勝の嫡男。小田原征伐、関ヶ原合戦、大坂の陣などに従軍し、播磨姫路15万石を領した。嫡男・忠刻は豊臣秀頼と死別した千姫と結婚している。 |
本多 | 平八郎 | 忠政 |
武将 | 鉄砲 |
[商業] [収拾] |
48 | 48 | 46 |
19 | 75 |
91 |
ほんだ | | ただとも |
通常版 |
三河 |
1597 |
(1582-1615)徳川家臣。忠勝の次男。関ヶ原合戦に従軍し、戦後、上総大多喜5万石を領す。大坂夏の陣では天王寺口の先鋒を務め、毛利勝永軍に正面から突入、戦死した。 |
本多 | | 忠朝 |
武将 | 騎馬 |
[激励] [突撃] |
23 | 61 | 29 |
52 | 85 |
92 |
ほんだ | | しげつぐ |
通常版 |
三河 |
1544 |
(1529-1596)徳川家臣。岡崎奉行を務め、「鬼作左」の異名をとる。豊臣秀吉の母・大政所が徳川家の人質となった際、冷遇したため秀吉の怒りを買い、閉居処分となった。 |
本多 | 作左衛門 | 重次 |
武将 | 槍 |
[開墾] [捕縛] |
59 | 45 | 20 |
47 | 85 |
89 |
ほんだ | | まさのぶ |
通常版 |
三河 |
1553 |
(1538-1616)徳川家臣。三河一向一揆に身を投じて主家を離反、諸国を放浪したのちに帰参。行政と謀略に優れた手腕を発揮した。主君・家康には「友」と呼ばれたという。 |
本多 | 弥八郎 | 正信 |
一向宗 | 荷駄 |
[引抜] [外交] [混乱] [説得] |
83 | 18 | 86 |
65 | 55 |
90 |
ほんだ | | まさずみ |
通常版 |
三河 |
1580 |
(1565-1637)徳川家臣。正信の嫡男。駿府城付の年寄を務める。金地院崇伝とともに内政・外交に活躍、下野宇都宮15万石を領すがのちに秀忠の不興を買い、改易された。 |
本多 | 弥八郎 | 正純 |
一向宗 | 鉄砲 |
[商業] [外交] [説得] |
80 | 9 | 79 |
83 | 50 |
85 |