『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
いい なおもり 通常版 駿河遠江 1521 (1506-1560)今川家臣。井伊谷城主。斯波家臣・大河内貞綱に呼応して三岳城に籠城するが、朝比奈泰以軍の攻撃を受け落城、以後は今川家に属す。桶狭間合戦で戦死した。
井伊次郎直盛 武将荷駄
[商業] [守戦]  425059 1855 92
いい なおちか 通常版 駿河遠江 1548 (1533-1562)今川家臣。井伊谷城主。直盛の子。父の死後、家督を継ぐが、主君・氏真に謀叛の疑いをかけられ、殺された。子・直政は今川家臣・新野親矩に保護された。
井伊 直親 武将
[収拾]  403824 4365 92
さかい ただよ 通常版 三河 1587 (1572-1636)徳川家臣。大坂冬・夏の陣では全軍の参謀役を務めた。のちに土井利勝・青山忠俊とともに3代将軍家光の教育係に就任し、幕府の中枢を担う。老中も務めた。
酒井与四郎忠世 武将鉄砲
[登用] [外交]  713365 5565 92
ほんだ ただとも 通常版 三河 1597 (1582-1615)徳川家臣。忠勝の次男。関ヶ原合戦に従軍し、戦後、上総大多喜5万石を領す。大坂夏の陣では天王寺口の先鋒を務め、毛利勝永軍に正面から突入、戦死した。
本多 忠朝 武将騎馬
[激励] [突撃]  236129 5285 92
おおくぼ ただかず 通常版 三河 1526 (1511-1582)徳川家臣。兄・忠俊とともに主君・広忠の岡崎帰城に尽力。蟹江城攻めでも活躍した。三河一向一揆では一族の者とともに上和田砦に籠城し、一揆勢と戦った。
大久保甚四郎忠員 武将
[回復] [連射]  165039 6585 92
わたなべ もりつな 通常版 三河 1557 (1542-1620)徳川家臣。各地を転戦して戦功を重ね、「槍の半蔵」の異名をとる。関ヶ原合戦には旗本として参陣。晩年は尾張徳川家の家老となり、当主・義直を補佐した。
渡辺半蔵守綱 一向宗
[槍衾]  56115 5065 92
いたくら かつしげ 通常版 三河 1560 (1545-1624)徳川家臣。はじめ僧侶であったが、父と弟の戦死により還俗、家督を継ぐ。駿府や江戸の町奉行を務めた後、京都所司代となり、西国諸大名らの監視を行った。
板倉甚平勝重 旧仏教荷駄
[改修] [外交] [検地] [奉仕]  781364 5170 92
おだ のぶたか 通常版 尾張 1573 (1558-1583)信長の三男。伊勢の豪族・神戸具盛の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後、柴田勝家と結んで羽柴秀吉に対抗するが敗北、秀吉の命により自害させられた。
織田三七郎信孝 武将
[雨撃]  325813 6460 92
くき もりたか 通常版 1588 (1573-1632)志摩鳥羽藩主。嘉隆の子。関ヶ原合戦では東軍に属し、西軍の父と戦う。戦後、自らの行賞と引き替えに父の助命を乞うが、父はすでに自害した後だった。
九鬼孫次郎守隆 水軍衆鉄砲
[貿易] [雨撃]  394430 3955 92
いちじょう ふさいえ 通常版 土佐 1480 (1475-1539)土佐一条家初代当主。居城・土佐岡豊城を追われた長宗我部国親を引き取って養育する。成人ののち国親を岡豊城に帰還させ、長宗我部家隆盛の基盤を作った。
一条 房家 朝廷
[開墾] [登用] [連射]  846389 8290 92
いちじょう ふさふゆ 通常版 土佐 1513 (1498-1541)土佐一条家2代当主。房家の子。家臣の讒言を信じ傅役・敷地藤安に自害を命じる。藤安の無実を知り赦免の使いを送るが、藤安は自害した後だったという。
一条 房冬 朝廷
[外交] [連射]  504256 1165 92
たかしま まさしげ 通常版 土佐 1577 (1562-1631)長宗我部家臣。主君・元親の近習を務めた。主家の改易後は山内家に出仕した。文筆の才に恵まれ書も巧みで、元親の三十三回忌に際して「元親記」を著した。
高島孫右衛門正重 武将鉄砲
[収拾]  521656 3455 92
どい そうさん 通常版 土佐 1527 (1512-1571)土佐一条家臣。放蕩三昧の主君・兼定に対してたびたび諫言を行うが、兼定の勘気を蒙り、斬られた。これが家臣の離反を招き、兼定追放の一因となった。
土居 宗珊 武将騎馬
[開墾] [外交] [守戦] [攻城]  645370 485 92
いたくら しげむね PK追加 三河 1601 (1586-1656)徳川家臣。勝重の嫡男。永井尚政、井上元就とともに、秀忠近侍の三臣と呼ばれた。父の死後京都所司代となり、西国諸大名の監視および支配強化に努めた。
板倉又右衛門重宗 旧仏教荷駄
[開墾] [商業] [外交] [奉仕]  744074 5180 92
かなもり よししげ PK追加 美濃飛騨 1573 (1558-1615)織田家臣。長屋景重の子で、長近の養子となる。養父の死後、家督を相続。大坂の陣に従軍し、功を立てた。養父と同じく茶の湯を好み、茶会記に名を残した。
金森喜蔵可重 国人衆
[茶湯] [連射]  524349 2655 92
くじょう たねみち 諸勢力 山城 1568 (1553-1636)九条家の当主。九条家は五摂家の1つで摂政・関白に進む家柄。尚経・稙通・兼孝と代を伝えた。稙通は古典研究に従事し、源氏物語の注釈書などを著した。
九条 稙通 朝廷
[外交]  433535 4680 92
うさみ さえもん 諸勢力 南信濃 1594 (1579-1645)諏訪の商人。諏訪は諏訪大社の門前町として発展した。甲州街道の上諏訪宿を経て中山道の下諏訪宿に至る。上諏訪・下諏訪ともに、温泉宿場町として栄えた。
宇佐見 左衛門 都市騎馬
[商業] [茶湯]  445557 5340 92

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