武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おだ | | のぶとも |
通常版 |
尾張 |
1531 |
(1516-1555)尾張下四郡の守護代。名は広信とも。清洲城主を務めた。守護・斯波義統を殺害したために、織田信長の命を受けた織田信光に居城を攻められ、自害した。 |
織田 | 彦五郎 | 信友 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] |
41 | 16 | 60 |
85 | 35 |
25 |
おだ | | のぶやす |
通常版 |
尾張 |
1533 |
(1518-1591)尾張の豪族。岩倉城主。織田信行を支持したため、織田信長と浮野で戦い敗北。のちに子・信賢らに追放された。その後も斉藤義龍を頼り、信長に対抗した。 |
織田 | | 信安 |
武将 | 鉄砲 |
[逃亡] |
24 | 24 | 36 |
55 | 45 |
46 |
おだ | | のぶひで |
通常版 |
尾張 |
1525 |
(1510-1551)尾張の戦国大名。「尾張の虎」と呼ばれた猛将で、尾張統一を目指して近隣の今川家、斉藤家らと抗争を続けたが、志半ばにして流行病にかかり、急死した。 |
織田 | 三郎 | 信秀 |
武将 | 騎馬 |
[商業] [捕縛] [突撃] |
50 | 83 | 41 |
94 | 55 |
0 |
おだ | | のぶなが |
通常版 |
尾張 |
1546 |
(1534-1582)信秀の嫡男。今川義元を桶狭間で破る。以後、天下布武を標榜して敵対勢力を次々と滅ぼした。天下統一を目前にして、明智光秀の謀叛に遭い本能寺に散った。 |
織田 | 三郎 | 信長 |
武将 | 鉄砲 |
[登用] [検地] [逃亡] [三段] |
89 | 75 | 85 |
100 | 55 |
0 |
おだ | | のぶただ |
通常版 |
尾張 |
1572 |
(1557-1582)信長の嫡男。松永久秀の謀叛鎮圧や甲斐平定戦などで功を立てる。信長から家督を譲られ、美濃・尾張の2国を領する。本能寺の変の際、二条城で自害した。 |
織田 | 勘九郎 | 信忠 |
武将 | 鉄砲 |
[開墾] [三段] [説得] |
56 | 62 | 49 |
75 | 80 |
0 |
おだ | | ひでのぶ |
通常版 |
尾張 |
1582 |
(1580-1605)信忠の嫡男。本能寺の変後、羽柴秀吉に擁立されて3歳で織田家を継ぐが、実権は秀吉に奪われる。関ヶ原合戦で西軍に加担して敗北し、高野山で出家した。 |
織田 | | 秀信 |
武将 | 鉄砲 |
[三段] |
43 | 35 | 11 |
49 | 90 |
1 |
おだ | | のぶかつ |
通常版 |
尾張 |
1573 |
(1558-1630)信長の次男。伊勢国司・北畠家の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後は豊臣家に従属した。小田原征伐後、徳川家康の旧領への転封を拒否し、改易された。 |
織田 | 三介 | 信雄 |
武将 | 弓 |
[茶湯] |
22 | 14 | 8 |
61 | 50 |
96 |
おだ | | のぶたか |
通常版 |
尾張 |
1573 |
(1558-1583)信長の三男。伊勢の豪族・神戸具盛の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後、柴田勝家と結んで羽柴秀吉に対抗するが敗北、秀吉の命により自害させられた。 |
織田 | 三七郎 | 信孝 |
武将 | 槍 |
[雨撃] |
32 | 58 | 13 |
64 | 60 |
92 |
おだ | | のぶゆき |
通常版 |
尾張 |
1551 |
(1536-1557)信秀の次男。うつけと呼ばれた兄・信長に対し、幼少より利発で家中の評判が良かった。次期当主として林秀貞らに擁立されたが、信長に清洲城で謀殺された。 |
織田 | 勘十郎 | 信行 |
武将 | 弓 |
[開墾] [収拾] |
48 | 29 | 15 |
71 | 55 |
79 |
おだ | | のぶずみ |
通常版 |
尾張 |
1557 |
(1555-1582)信行の子。伯父・信長に仕える。明智光秀の娘を娶った。「一段の逸物」と評された器量の持ち主であったが、本能寺の変の際に、従兄弟・信孝に殺された。 |
織田 | 七兵衛 | 信澄 |
武将 | 荷駄 |
[登用] |
39 | 44 | 12 |
17 | 70 |
79 |
おだ | | のぶかね |
通常版 |
尾張 |
1558 |
(1543-1614)信秀の四男。越前攻めや石山本願寺攻めに参戦した。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、秀吉の子・秀頼の傅役を務めた。娘は秀吉の側室となり、寵愛された。 |
織田 | 三十郎 | 信包 |
武将 | 鉄砲 |
[商業] [攻城] |
51 | 45 | 23 |
41 | 75 |
1 |
おだ | | ながます |
通常版 |
尾張 |
1562 |
(1547-1621)信秀の十男。有楽斎と号す。茶の湯に傾倒し、利休七哲の1人となった。兄・信長の死後は豊臣家に属すが、大坂の陣直前に徳川方に通じ、大坂城を退去した。 |
織田 | 源五 | 長益 |
武将 | 槍 |
[茶湯] [逃亡] |
41 | 9 | 15 |
14 | 55 |
1 |
おだ | | のぶみつ |
通常版 |
尾張 |
1531 |
(1516-1555)信定の子。武勇に優れ、今川家との小豆坂の合戦では殿軍を務めた。甥・信長の清洲城攻略に貢献し、那古野城主となるが、その数か月後に家臣に謀殺された。 |
織田 | 孫三郎 | 信光 |
武将 | 騎馬 |
[激励] |
62 | 51 | 53 |
55 | 65 |
1 |
おだ | | ひでお |
PK追加 |
尾張 |
1598 |
(1583-1610)豊臣家臣。信雄の子。越前大野5万石を領す。関ヶ原合戦では東軍に属すが、のちに父とともに西軍に属したため、改易された。その後は武蔵浅草に閑居した。 |
織田 | | 秀雄 |
武将 | 槍 |
[三段] |
36 | 34 | 24 |
17 | 65 |
99 |
おだ | | のぶしげ |
PK追加 |
尾張 |
1579 |
(1564-1615)豊臣家臣。信包の長男。伊勢林城主。関ヶ原合戦では西軍に属すが、所領を安堵された。のちに父遺領相続をめぐり弟・信則を訴えるが、かえって改易された。 |
織田 | 三十郎 | 信重 |
武将 | 弓 |
[雨撃] |
36 | 36 | 28 |
59 | 35 |
1 |
おだ | | のぶなり |
PK追加 |
尾張 |
1577 |
(1562-1645)豊臣家臣。小牧長久手合戦や小田原征伐などに参陣。関ヶ原合戦では東軍に属し戸田勝成と戦った。のちに京都市中における集団暴行の罪により改易された。 |
織田 | 二郎左衛門 | 信成 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
46 | 51 | 48 |
63 | 40 |
80 |