武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おおくぼ | | ただちか |
通常版 |
三河 |
1568 |
(1553-1628)徳川家臣。忠世の嫡男。徳川秀忠の付家老を務める。秀忠および直参旗本からの信頼は絶大であったが、のちに政敵・本多正信の失脚工作によって改易された。 |
大久保 | 新十郎 | 忠隣 |
武将 | 鉄砲 |
[茶湯] [収拾] |
65 | 47 | 17 |
55 | 85 |
80 |
あおやま | | ただなり |
通常版 |
三河 |
1566 |
(1551-1613)徳川家臣。徳川秀忠の傅役を務める。関ヶ原合戦後、内藤清成らとともに江戸奉行・関東総奉行を務めた。しかし、のちに主君・家康の勘気を受け、蟄居した。 |
青山 | 藤右衛門 | 忠成 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [治水] |
54 | 33 | 48 |
46 | 70 |
80 |
ないとう | | きよなり |
通常版 |
三河 |
1570 |
(1555-1608)徳川家臣。主君・家康の小姓を勤める。家康の信頼を受け、秀忠の傅役や関東総奉行などを歴任した。しかし、のちに家康の勘気を受けて籠居の身となった。 |
内藤 | 弥三郎 | 清成 |
武将 | 弓 |
[商業] [治水] |
59 | 33 | 52 |
47 | 65 |
80 |
ながい | | のりひで |
通常版 |
美濃飛騨 |
1509 |
(1494-1556)「蝮」の異名をとった美濃の戦国大名。僧から油商人に転身、次いで美濃守護・土岐頼芸に仕官、頼芸を追放して国主となった。のちに子・義龍と戦い、敗死。 |
長井 | 新九郎 | 規秀 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [改修] [槍衾] [混乱] |
98 | 89 | 100 |
98 | 35 |
80 |
きそ | | よしやす |
通常版 |
南信濃 |
1529 |
(1514-1579)信濃木曾谷の豪族。義在の嫡男。村上義清・小笠原長時・諏訪頼重とともに「信濃の四大将」と称された。武田信玄の攻撃に頑強に抵抗したが敗れ、降伏した。 |
木曾 | 源太郎 | 義康 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] [登用] |
46 | 38 | 33 |
46 | 60 |
80 |
はやし | | らざん |
通常版 |
山城 |
1598 |
(1583-1657)徳川家臣。林家朱子学の祖。以心崇伝とともに方広寺鐘銘事件で豊臣秀頼を誹謗し、大坂の陣のきっかけを作った。のちに幕政に参画、各種公文書を起草した。 |
林 | 信勝 | 羅山 |
武将 | 鉄砲 |
[商業] [引抜] |
76 | 1 | 82 |
76 | 40 |
80 |
ちょうそかべ | | もとちか |
通常版 |
土佐 |
1554 |
(1539-1599)土佐の戦国大名。岡豊城主。国親の子。剽悍の一領具足衆を率い、瞬く間に周辺諸国を制圧。10数年で四国統一を成し遂げ「土佐の出来人」の異名をとった。 |
長宗我部 | 弥三郎 | 元親 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [引抜] [回復] [槍衾] |
78 | 84 | 81 |
94 | 40 |
80 |
ちょうそかべ | | もりちか |
通常版 |
土佐 |
1590 |
(1575-1615)元親の四男。関ヶ原合戦で西軍に属して改易され、京で寺子屋を開く。のち大坂城に入り、藤堂高虎軍を壊滅させるなど活躍したが、大坂落城後、斬首された。 |
長宗我部 | 右衛門太郎 | 盛親 |
武将 | 鉄砲 |
[激励] [三段] |
22 | 62 | 31 |
64 | 95 |
80 |
よしだ | | まさしげ |
通常版 |
土佐 |
1583 |
(1568-1628)長宗我部家臣。115の首級を挙げ、朝鮮では猛虎を退治したという猛将。大坂の陣の際は旧主・盛親に従い奮戦した。大坂落城後は土佐に戻り医者になった。 |
吉田 | 勝五郎 | 政重 |
武将 | 槍 |
[三段] |
20 | 59 | 32 |
37 | 95 |
80 |
よしだ | | やすとし |
通常版 |
土佐 |
1580 |
(1565-1634)長宗我部家臣。中富川合戦や戸次川合戦で功を立てる。主家の改易後は山内家臣になるが、間もなく大和に隠棲。のち大坂城に入り旧主・盛親に従って戦った。 |
吉田 | 孫左衛門 | 康俊 |
武将 | 鉄砲 |
[雨撃] |
39 | 38 | 32 |
38 | 60 |
80 |
さたけ | | ちかなお |
通常版 |
土佐 |
1581 |
(1566-1615)長宗我部家臣。土佐上の加江城主。父・義秀が戦死した後、家督を継ぐ。長宗我部元親の娘を娶る。大坂の陣では旧主・盛親に従って戦い、夏の陣で戦死した。 |
佐竹 | | 親直 |
武将 | 槍 |
[雨撃] |
23 | 31 | 40 |
56 | 70 |
80 |
しが | | ちかもり |
通常版 |
豊後 |
1526 |
(1511-1592)大友家臣。豊後岡城主。肥後方分を務めた。耳川合戦の際は消極的行動を取り、大友軍大敗の原因を作った。主君・義統が朝鮮に出陣した際は豊後に残った。 |
志賀 | 次郎 | 親守 |
武将切支丹 | 弓 |
[開墾] [外交] |
48 | 32 | 56 |
67 | 45 |
80 |
しが | | ちかつぐ |
通常版 |
豊後 |
1581 |
(1566-1603)大友家臣。豊後岡城主。親度の子。島津家臣・新納忠元率いる3万5千の軍勢をわずか千の兵で撃退し、さらに近隣の諸城を奪回し、豊臣秀吉に功を賞された。 |
志賀 | 虎左衛門 | 親次 |
武将切支丹 | 槍 |
[逃亡] [守戦] [三段] |
8 | 73 | 66 |
8 | 55 |
80 |
きわき | | すけもり |
通常版 |
日向 |
1541 |
(1526-1580)伊東家臣。日向鬼ヶ城代。越前守を称した。執事を務める。主家が島津家に追われたとき、その剛勇を恐れた島津家によって探し出され、自害させられた。 |
木脇 | | 祐守 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [収拾] [突撃] |
34 | 25 | 45 |
46 | 85 |
80 |
あらき | | またえもん |
PK追加 |
伊賀 |
1614 |
(1599-1638)伊賀国出身の剣豪。大和郡山藩に仕え、剣術指南役を務めた。義弟の仇討ちの助太刀をした逸話が、後世に講談「鍵屋の辻」の36人斬りの場面の題材となる。 |
荒木 | 保和 | 又右衛門 |
武将 | 弓 |
[剣豪] [捕縛] |
23 | 81 | 32 |
69 | 95 |
80 |
おだ | | のぶなり |
PK追加 |
尾張 |
1577 |
(1562-1645)豊臣家臣。小牧長久手合戦や小田原征伐などに参陣。関ヶ原合戦では東軍に属し戸田勝成と戦った。のちに京都市中における集団暴行の罪により改易された。 |
織田 | 二郎左衛門 | 信成 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
46 | 51 | 48 |
63 | 40 |
80 |
いまい | | そうきゅう |
諸勢力 |
摂津河内 |
1567 |
(1552-1627)堺の商人。今井家は宗久・宗薫・宗呑と代を伝えた。宗久は堺の有力町衆となり織田信長に仕え、但馬生野銀山経営などで活躍した。宗薫は徳川家康に仕えた。 |
今井 | | 宗久 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
49 | 42 | 44 |
47 | 60 |
80 |