『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
ゆさ つぐみつ 通常版 加賀能登 1542 (1527-1581)畠山家臣。秀頼の子。温井家との政争に敗れ出奔するが、和睦し帰参。のちに上杉家に内応し能登を治めるが、織田家の台頭により逐電、捕縛され斬首された。
遊佐 続光 武将
[改修] [引抜] [回復]  432754 5535 84
ゆさ もりみつ 通常版 加賀能登 1562 (1547-1581)畠山家臣。続光の子。年寄衆として政権に参画。上杉家に通じて長家を追い落とす。織田家の勢力が及ぶと長家の攻撃を受け逐電するが、捕縛され斬首された。
遊佐四郎右衛門盛光 武将荷駄
[引抜]  361133 5735 84
みよし かずもり 通常版 加賀能登 1562 (1547-1615)畠山家臣。越中池田城主。上杉謙信の能登侵攻軍に降る。謙信の死後は佐々成政に属し、成政の肥後移封に従う。成政の死後は能登羽咋郡に移住し、隠棲した。
三善 一守 武将
[収拾]  272932 2770 68
たけだ もとあき 通常版 越前若狭 1567 (1552-1582)若狭守護。義統の長男。朝倉義景の攻撃を受け、越前に幽閉される。朝倉家滅亡後は若狭に帰国した。本能寺の変後は明智光秀に属すが、光秀の死後、殺された。
武田孫八郎元明 武将
[逃亡]  3084 1580 68
たなか よしまさ 通常版 近江 1563 (1548-1609)豊臣家臣。はじめ宮部継潤に属す。豊臣秀次の家老を務め三河岡崎5万石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属し石田三成を捕らえ、筑後柳川32万石を領した。
田中久兵衛吉政 武将鉄砲
[商業] [訓練] [捕縛]  565333 5965 98
にながわ ちかなが 通常版 山城 1549 (1534-1610)足利家臣。主家滅亡後は長宗我部家に仕えた。関ヶ原合戦で長宗我部家が改易された後、一揆の鎮圧に活躍。のち故実に対する知識を買われ、徳川家に仕えた。
蜷川新右衛門親長 武将
[外交]  52840 955 83
いしん すうでん 通常版 山城 1584 (1569-1633)徳川家臣。武家諸法度などの法令制定を担当する。方広寺鐘銘事件を引き起こして大坂の陣の口実を作るなど調略面でも活躍し「黒衣の宰相」の異名をとった。
以心 崇伝 旧仏教
[登用] [外交] [説得]  79182 8250 85
なんこうぼう てんかい 通常版 山城 1551 (1536-1643)徳川家臣。比叡山で教学を究めた天台宗の僧。主君・家康の側近となり国政に辣腕を振るい「黒衣の宰相」と呼ばれた。明智光秀と同一人物との異説がある。
南光坊 天海 旧仏教
[登用] [引抜] [外交] [説得]  82184 8850 89
はやし らざん 通常版 山城 1598 (1583-1657)徳川家臣。林家朱子学の祖。以心崇伝とともに方広寺鐘銘事件で豊臣秀頼を誹謗し、大坂の陣のきっかけを作った。のちに幕政に参画、各種公文書を起草した。
信勝羅山 武将鉄砲
[商業] [引抜]  76182 7640 80
いっしき よしゆき 通常版 丹波丹後 1524 (1509-1558)丹後の戦国大名。隣国の若狭武田家としばしば戦った。一色家は清和源氏足利家一門で、山名・赤松・京極家とともに四職の家格となり、幕府で重きをなした。
一色 義幸 武将
[外交] [雨撃]  424132 3160 68
ほそかわ はるもと 通常版 摂津河内 1520 (1514-1563)摂津の戦国大名。三好元長と結んで細川高国を討ち、政権を樹立する。のちに敵対した元長を討つが、元長の子・長慶が細川氏綱を擁立、敗れて近江に逃れた。
細川六郎晴元 武将騎馬
[商業] [貿易] [逃亡] [説得]  496138 9655 48
ほそかわ あきもと 通常版 摂津河内 1563 (1548-1592)織田家臣。晴元の嫡男。足利義昭を擁して上洛した織田信長に属す。義昭の偏諱を受け昭元と名乗り、信長の妹・犬を娶った。信長の蹴鞠の相手などを務めた。
細川六郎昭元 武将
[茶湯]  24413 3260 48
いばらき ながたか 通常版 摂津河内 1520 (1505-1549)細川家臣。管領・細川高国を討ち、三好元長を滅ぼし、京の法華一揆を鎮圧するなど活躍した。三好政長が摂津江口合戦で敗死した後は没落し行方不明となる。
茨木 長隆 国人衆
[開墾]  303441 5135 48
かがわ もとかげ 通常版 讃岐 1542 (1527-1578)細川家臣。讃岐天霧城主。主家没落後は三好家に従う。のち織田信長に通じるが長宗我部元親の讃岐侵攻軍に降り、元親の次男・親和を養子とし家督を譲った。
香川 元景 国人衆
[回復]  444518 4540 48
はたけやま たねなが 通常版 紀伊 1516 (1501-1545)河内守護。高屋城主。弟・長経が木沢長政・遊佐長教によって擁立された際、紀伊に逃亡。のち長経が殺されると、再び居城に戻り、河内守護に再補任された。
畠山 稙長 武将
[逃亡]  612630 5065 81
はたけやま まさくに 通常版 摂津河内 1517 (1502-1550)河内守護。高屋城主。兄・稙長の死後、家督を継ぐ。細川晴元と細川氏綱の対立の際は氏綱に属す。三好義賢らと舎利寺で戦った。のち紀伊岩室城で死去した。
畠山三郎政国 武将
[守戦]  394233 4160 82
はたけやま たかまさ 通常版 摂津河内 1542 (1527-1576)河内守護。政国の子。三好家と和戦を繰り返した。のちに織田信長に降って河内半国を与えられるが、家臣・遊佐信教との争いに敗北し、紀伊岩室城に逃れた。
畠山二郎高政 武将騎馬
[登用]  402115 6260 81
はたけやま あきたか 通常版 摂津河内 1549 (1534-1573)河内畠山家当主。高屋城主。政国の子。兄・高政が遊佐信教らに追放された後、信教らに擁立されて家督を継ぐ。のちに信教の暗殺を謀るが、逆に殺された。
畠山小二郎昭高 武将
[商業] [連射]  313532 3860 83
やすみ なおまさ 通常版 摂津河内 1549 (1534-1573)畠山家臣。河内交野城主。河内守護代を務めた。主君・高政を紀伊に追放し、高政の弟・昭高を擁立する。のち織田信長の畿内平定軍に降り、本願寺と戦った。
安見 直政 武将荷駄
[引抜]  602546 4065 84
ゆさ ながのり 通常版 摂津河内 1506 (1491-1551)畠山家臣。河内守護代を務めた。軍略にすぐれ、主家の実権を握る。三好長慶と争うが、娘を長慶に嫁がせて和睦した。のち反長慶派の刺客により暗殺された。
遊佐 長教 武将騎馬
[商業] [登用] [攻城]  475764 5750 83

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