『信長の野望 嵐世記』武将総覧

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
いまがわ うじてる 通常版 駿河遠江 1526 (1513-1536)今川家8代当主。幼くして家督を継いだため、実母・寿桂尼の後見を受ける。自ら政務を執り始めた矢先に急死。子が無かったため、死後に家督争いが生じた。
今川五郎氏輝 武将
[開墾] [登用] [連射]  756874 8155 41
いまがわ よしもと 通常版 駿河遠江 1534 (1519-1560)今川家9代当主。異母兄・玄広恵探を倒し、家督を継ぐ。甲相駿三国同盟を結んで後顧の憂いを断ち、上洛の途につくが桶狭間で織田信長の奇襲を受け、絶命。
今川 義元 武将鉄砲
[商業] [茶湯] [槍衾]  797666 9955 41
いまがわ うじざね 通常版 駿河遠江 1553 (1538-1614)今川家10代当主。義元の嫡男。父の死後、家督を相続。しかし、蹴鞠や和歌に傾倒し、無為の日々を送る。その結果、徳川家康と武田信玄に領国を追われた。
今川五郎氏真 武将
[逃亡]  32203 6075 41
たいげん せっさい 通常版 駿河遠江 1511 (1496-1555)今川家臣。執権を務めた。小豆坂の合戦で織田軍を破り、甲相駿三国同盟を成立させるなど、主家の政治、文化、経済、軍事、外交すべてに大きく貢献した。
太原崇孚雪斎 旧仏教
[外交] [奉仕] [連射] [説得]  939094 5095 29
あさひな のぶおき 通常版 駿河遠江 1543 (1528-1582)今川家臣。小豆坂合戦などで戦功を立てる。主家滅亡後は武田信玄に仕え、駿河先方衆となった。武田家滅亡の際に、居城・庵原館を攻められ敗北、自害した。
朝比奈藤三郎信置 武将騎馬
[攻城]  175241 5890 50
あさひな やすよし 通常版 駿河遠江 1512 (1497-1557)今川家臣。掛川城主を務める。1548年の小豆坂合戦において、太原雪斎を補佐して織田信秀の軍を破るなど、今川家の西方侵攻軍の先鋒として活躍した。
朝比奈弥次郎泰能 武将荷駄
[改修]  615149 2475 41
あさひな やすとも 通常版 駿河遠江 1538 (1523-1582)今川家臣。泰能の子。駿河を追われた主君・氏真を居城・掛川城に迎え入れ、徳川軍と戦う。5か月の籠城戦の末に開城し、氏真とともに駿河に落ち延びた。
朝比奈 泰朝 武将騎馬
[改修] [激励] [守戦]  286541 10100 41
あべ もとざね 通常版 駿河遠江 1528 (1513-1587)今川家臣。主家の居城・駿府城を岡部正綱とともに守るが、武田信玄の駿河侵攻軍に敗れ、本貫地・安倍に退く。以後は徳川家に属し、各地で武田軍と戦った。
安倍 元真 国人衆
[槍衾]  275222 5180 43
あまの かげつら 通常版 駿河遠江 1517 (1502-1590)今川家臣。犬居城主。田原本宿の合戦で功を立てた。主家滅亡後は武田家に仕え徳川家と戦う。武田家滅亡後は北条家に属し、佐竹家との戦いで功を立てた。
天野小四郎景貫 国人衆
[守戦]  384549 6535 42
いい なおもり 通常版 駿河遠江 1521 (1506-1560)今川家臣。井伊谷城主。斯波家臣・大河内貞綱に呼応して三岳城に籠城するが、朝比奈泰以軍の攻撃を受け落城、以後は今川家に属す。桶狭間合戦で戦死した。
井伊次郎直盛 武将荷駄
[商業] [守戦]  425059 1855 92
いい なおちか 通常版 駿河遠江 1548 (1533-1562)今川家臣。井伊谷城主。直盛の子。父の死後、家督を継ぐが、主君・氏真に謀叛の疑いをかけられ、殺された。子・直政は今川家臣・新野親矩に保護された。
井伊 直親 武将
[収拾]  403824 4365 92
いい なおまさ 通常版 駿河遠江 1562 (1561-1602)徳川四天王の1人。直親の子。軍装を赤で統一した軍兵は「赤鬼」と恐れられ、常に先鋒を争った。関ヶ原合戦では島津軍を追撃し、島津豊久を討ち取った。
井伊虎松直政 武将騎馬
[訓練] [外交] [激励] [突撃]  748165 7585 90
いい なおたか 通常版 駿河遠江 1602 (1590-1659)徳川家臣。直政の次男。病弱だった兄・直継に代わって家督を継ぎ、近江彦根藩主となった。大坂夏の陣に参陣し、長宗我部盛親・木村重成の両軍を撃破した。
井伊弁之介直孝 武将鉄砲
[改修] [三段] [槍衾]  646652 4075 91
いいお つらたつ 通常版 駿河遠江 1546 (1531-1565)今川家臣。曳馬城主。桶狭間の合戦後、徳川家に寝返ったため、主君・氏真の攻撃を受け敗北、和睦した。のちに氏真に駿府城に呼ばれ、同地で謀殺された。
飯尾善四郎連竜 武将騎馬
[引抜]  252934 4660 44
おかべ まさつな 通常版 駿河遠江 1557 (1542-1583)今川家臣。主家滅亡後は武田家に仕え、清水城主となる。駿河先方衆として三方ヶ原合戦などに従軍した。武田家滅亡後は徳川家に仕え、甲斐平定に貢献した。
岡部次郎右衛門正綱 武将荷駄
[開墾] [登用] [守戦]  544148 4970 26
おかべ ながもり 通常版 駿河遠江 1583 (1568-1632)徳川家臣。正綱の子。長久手合戦などで戦功をあげ、主君・家康が関東に入部した際に上総・下総で1万2千石を与えられた。のちに丹波亀山2万石を領した。
岡部弥二郎長盛 武将鉄砲
[商業]  432835 4865 16
おかべ もとのぶ 通常版 駿河遠江 1547 (1532-1581)今川家臣。桶狭間の合戦では主君・義元の首級を駿河に持ち帰った。主家滅亡後は武田家に仕え、高天神城主となるが、徳川家康の攻撃を受け落城、戦死した。
岡部五郎兵衛元信 武将騎馬
[回復] [激励] [突撃]  156836 6990 42
かつらやま うじもと 通常版 駿河遠江 1539 (1524-1568)今川家臣。葛山城主。家臣屋敷分の年貢減免や領内社寺の保護など、自領内に独自の政策を施した。主家滅亡後は没落し武田信玄の六男・氏貞が跡を継いだ。
葛山八郎氏元 武将
[開墾] [商業]  431933 5955 43
くの むねよし 通常版 駿河遠江 1542 (1527-1609)徳川家臣。久能城主。はじめ今川家に仕えるが、徳川家臣・高力清長を通じて徳川家康に属す。家康の関東入国時に佐倉城主となるが、のちに久能城に戻った。
久能三郎左衛門宗能 国人衆
[改修]  413548 2740 17
せきぐち ちかなが 通常版 駿河遠江 1533 (1518-1562)今川家臣。用宗城主。今川一族で、義元の妹を娶った。娘・瀬名(築山御前)は徳川家康に嫁いだ。1562年に自害した。主君・氏真の命といわれる。
関口 親永 武将荷駄
[登用]  551050 580 43

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