武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
やまざき | | かたいえ |
通常版 |
近江 |
1562 |
(1547-1591)六角家臣。山崎城主。主君・義治と不和になり、織田信長に仕える。本能寺の変後は一時明智光秀に属すが、のち豊臣秀吉に仕え摂津三田2万3千石を領した。 |
山崎 | 源太左衛門 | 片家 |
国人衆 | 弓 |
[改修] |
32 | 33 | 36 |
48 | 70 |
32 |
やまざき | | いえもり |
通常版 |
近江 |
1582 |
(1567-1614)豊臣家臣。片家の嫡男。伏見城の普請工事などを担当した。関ヶ原合戦では西軍に属すが、縁戚・池田輝政の尽力により改易を免れ、因幡若桜3万石を領した。 |
山崎 | 与市 | 家盛 |
国人衆 | 槍 |
[雨撃] |
38 | 22 | 24 |
30 | 60 |
32 |
くつき | | たねつな |
通常版 |
近江 |
1513 |
(1498-1546)近江の豪族。三好元長に京を追われた将軍・足利義晴を居館にかくまう。その功により申次七人衆の1人に加えられた。以後も何度か足利将軍家をかくまった。 |
朽木 | 弥五郎 | 稙綱 |
武将 | 弓 |
[茶湯] |
57 | 50 | 67 |
49 | 55 |
61 |
くつき | | はるつな |
通常版 |
近江 |
1533 |
(1518-1550)近江の豪族。稙綱の嫡男。宮内少輔を称した。はじめ貞綱といったが、将軍・足利義晴の偏諱を受けて晴綱と改名した。高島郡で高島越中守と戦い、戦死した。 |
朽木 | 弥五郎 | 晴綱 |
武将 | 騎馬 |
[登用] |
42 | 37 | 28 |
46 | 50 |
61 |
くつき | | もとつな |
通常版 |
近江 |
1550 |
(1549-1632)近江の豪族。晴綱の子。織田信長の越前撤退の際に道案内を務め、以後は織田家に属した。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕える。関ヶ原合戦では東軍に寝返った。 |
朽木 | 弥五郎 | 元綱 |
武将 | 弓 |
[連射] [説得] |
48 | 20 | 54 |
55 | 45 |
61 |
そごう | | ながはる |
通常版 |
讃岐 |
1525 |
(1510-1559)讃岐の豪族。大永〜享禄年間の人。子・金光が早世したため、三好元長の四男・一存を養子に迎えた。十河家は讃岐山田郡を支配していた植田家の支族という。 |
十河 | | 存春 |
武将 | 弓 |
[登用] |
52 | 50 | 44 |
23 | 70 |
53 |
そごう | | かずなが |
通常版 |
讃岐 |
1547 |
(1532-1561)三好元長の四男。十河家を継ぎ、讃岐十河城主となる。家中随一の猛将として鳴らし、「鬼十河」の異名をとった。有馬権現への参詣途中に落馬し、死亡した。 |
十河 | 又四郎 | 一存 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [回復] [突撃] |
26 | 72 | 48 |
58 | 55 |
52 |
そごう | | よしつぐ |
通常版 |
讃岐 |
1561 |
(1551-1573)十河一存の子。三好長慶の死後、三好三人衆の後見で宗家を継ぐ。織田信長に降るが、京を追われた足利義昭を保護したため、織田軍の攻撃を受け、敗死した。 |
十河 | | 義継 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] |
35 | 48 | 25 |
50 | 45 |
52 |
かがわ | | もとかげ |
通常版 |
讃岐 |
1542 |
(1527-1578)細川家臣。讃岐天霧城主。主家没落後は三好家に従う。のち織田信長に通じるが長宗我部元親の讃岐侵攻軍に降り、元親の次男・親和を養子とし家督を譲った。 |
香川 | | 元景 |
国人衆 | 弓 |
[回復] |
44 | 45 | 18 |
45 | 40 |
48 |
こうざい | | もとなり |
通常版 |
讃岐 |
1533 |
(1518-1560)細川家臣。三好長慶が主君・晴元を追放した後、政権回復を目指して戦う。波多野晴通を助けて松永久秀を破るなど活躍したが、三好家との戦いで戦死した。 |
香西 | | 元成 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [激励] [守戦] |
30 | 40 | 42 |
6 | 90 |
50 |
こうざい | | よしきよ |
通常版 |
讃岐 |
1568 |
(1553-1588)讃岐の豪族。勝賀城主。居城に籠城して長宗我部元親の讃岐侵攻軍と戦うが天霧城主・香川元景の仲裁で和睦した。病のため失明し「盲目の大将」と呼ばれた。 |
香西 | | 佳清 |
武将 | 荷駄 |
[守戦] |
27 | 33 | 31 |
34 | 75 |
50 |
はゆか | | すけとし |
通常版 |
讃岐 |
1548 |
(1533-1582)讃岐の豪族。羽床城主。長宗我部元親の攻撃を受け、元親の勧告により次男・資吉を人質に入れて降伏した。十河存保の居城・讃岐十河城攻略中に病死した。 |
羽床 | | 資載 |
武将 | 槍 |
[雨撃] |
35 | 29 | 32 |
42 | 70 |
70 |
いけだ | | ひでうじ |
PK追加 |
近江 |
1568 |
(1553-1610)豊臣家臣。伊予大洲2万2千石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城攻撃に参加した。戦後、改易されて高野山に逃れるが、のちに藤堂高虎に仕えた。 |
池田 | 孫二郎 | 秀氏 |
国人衆 | 騎馬 |
[攻城] |
38 | 48 | 29 |
47 | 70 |
34 |
いしだ | | しげいえ |
PK追加 |
近江 |
1599 |
(1584-1686)三成の子。関ヶ原合戦では人質として大坂城に留まる。戦後、京都寿聖院に入り剃髪。寿聖院住職の助命嘆願により許された。のち寿聖院の三世住職となった。 |
石田 | 宗享 | 重家 |
武将 | 槍 |
[開墾] [逃亡] [説得] |
62 | 26 | 41 |
8 | 100 |
20 |
いしだ | | まさずみ |
PK追加 |
近江 |
1571 |
(1556-1600)豊臣家臣。関ヶ原合戦では父・正継とともに弟・三成の居城・佐和山城を守備する。西軍の敗北後、小早川秀秋らの攻撃を受け落城、一族とともに自害した。 |
石田 | 弥三 | 正澄 |
武将 | 荷駄 |
[商業] |
60 | 28 | 41 |
22 | 65 |
19 |
おおたに | | よしはる |
PK追加 |
近江 |
1595 |
(1580-1615)豊臣家臣。吉継の長男。関ヶ原合戦では父とともに西軍に属して戦った。戦後、浪人となるが、豊臣秀頼に招かれ大坂城に入る。天王寺口の戦いで戦死した。 |
大谷 | | 義治 |
武将 | 槍 |
[逃亡] [三段] |
49 | 56 | 40 |
46 | 85 |
21 |
おおの | | はるふさ |
PK追加 |
近江 |
1587 |
(1572-1615)豊臣家臣。治長の弟。大坂の陣の際は、主戦派の中心人物の一人となる。大坂落城後、国松丸(主君・秀頼の子)を擁して脱出するが、捕らわれて斬首された。 |
大野 | | 治房 |
武将 | 弓 |
[訓練] [雨撃] |
46 | 50 | 28 |
55 | 75 |
31 |
おおの | | はるたね |
PK追加 |
近江 |
1589 |
(1574-1615)豊臣家臣。治長の弟。道犬斎と称した。大坂夏の陣の際は堺を焼き討ちした。大坂城が落城すると脱出を図り、逃走するが捕らえられ、堺で斬首された。 |
大野 | 道犬斎 | 治胤 |
武将 | 騎馬 |
[槍衾] |
31 | 54 | 16 |
64 | 70 |
26 |
かきみ | | いえずみ |
PK追加 |
近江 |
1582 |
(1567-1600)豊臣家臣。金切裂指物使番を務め、豊後富来2万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し美濃大垣城に籠城するが、東軍に寝返った相良頼房らによって殺された。 |
垣見 | 弥五郎 | 家純 |
武将 | 弓 |
[雨撃] |
38 | 45 | 32 |
48 | 55 |
61 |
かたぎり | | さだたか |
PK追加 |
近江 |
1575 |
(1560-1627)豊臣家臣。且元の弟。小田原征伐などに従軍。主君・秀吉の死後は秀頼に仕えるが、方広寺鐘銘事件で内通の疑いを持たれたため、兄とともに大坂城を去った。 |
片桐 | 加兵衛 | 貞隆 |
武将 | 弓 |
[改修] |
50 | 51 | 36 |
43 | 80 |
2 |