武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
きよの | | ながのり |
通常版 |
岩代 |
1580 |
(1565-1634)蘆名家臣。平田常広の次男。主家滅亡後は上杉景勝の近侍となり、清野家の家督を継ぐ。のちに景勝の会津移封に従い、伊南城代を務めて1万3千石を領した。 |
清野 | | 長範 |
武将 | 槍 |
[開墾] [雨撃] |
34 | 20 | 32 |
51 | 60 |
26 |
おおうち | | さだつな |
通常版 |
岩代 |
1560 |
(1545-1610)奥州の豪族。塩松城主。伊達政宗が伊達家当主となると、これに帰属するが、まもなく敵対。政宗の攻撃を受けて敗北し以後は伊達家に仕えた。槍術に秀でた。 |
大内 | 太郎左衛門 | 定綱 |
国人衆 | 弓 |
[逃亡] [槍衾] |
24 | 44 | 55 |
79 | 35 |
26 |
おかべ | | まさつな |
通常版 |
駿河遠江 |
1557 |
(1542-1583)今川家臣。主家滅亡後は武田家に仕え、清水城主となる。駿河先方衆として三方ヶ原合戦などに従軍した。武田家滅亡後は徳川家に仕え、甲斐平定に貢献した。 |
岡部 | 次郎右衛門 | 正綱 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] [登用] [守戦] |
54 | 41 | 48 |
49 | 70 |
26 |
かさはら | | きよしげ |
通常版 |
北信濃 |
1530 |
(1515-1547)信濃の豪族。志賀城主。山内上杉家に属す。武田信玄の攻撃に頑強に抵抗したが援軍を武田軍に撃破され、孤立。間もなく武田軍の総攻撃を受け、自害した。 |
笠原 | 新三郎 | 清繁 |
武将 | 弓 |
[守戦] |
33 | 49 | 40 |
44 | 85 |
26 |
しんどう | | さだはる |
通常版 |
近江 |
1512 |
(1497-1551)六角家臣。木浜城主。後藤賢豊とともに「両藤」と呼ばれた。幕府や細川家、本願寺との折衝や延暦寺と法華宗の紛争の調停など、おもに外交面で活躍した。 |
進藤 | 新介 | 貞治 |
武将 | 弓 |
[開墾] [登用] [外交] |
62 | 44 | 54 |
62 | 60 |
26 |
みうら | | さだかつ |
通常版 |
美作 |
1546 |
(1531-1565)美作の豪族。高田城主。貞久の嫡男。旧臣を糾合し、父の死により尼子家に奪われた高田城を奪還した。しかし、のちに三村家親の攻撃を受け敗北、自害した。 |
三浦 | | 貞勝 |
国人衆 | 騎馬 |
[登用] [攻城] |
54 | 39 | 56 |
49 | 70 |
26 |
みうら | | さだもり |
通常版 |
美作 |
1527 |
(1512-1569)三浦家臣。貞久の弟。甥・貞勝を自害に追い込んだ三村元親が宇喜多直家に暗殺された後、三村家に占拠されていた高田城を奪回し、甥・貞広を城主とした。 |
三浦 | | 貞盛 |
国人衆 | 弓 |
[連射] |
48 | 38 | 32 |
31 | 75 |
26 |
まき | | よしなが |
通常版 |
美作 |
1541 |
(1526-1585)三浦家臣。主君・貞勝の自害後、貞勝の室を引き取り宇喜多直家に再嫁させる。のちに直家の後援を得て、貞勝の弟・貞広を擁して戦い、高田城を奪還した。 |
牧 | | 良長 |
国人衆 | 騎馬 |
[登用] |
51 | 36 | 39 |
13 | 85 |
26 |
まき | | くにのぶ |
通常版 |
美作 |
1546 |
(1531-1600)三浦家臣。良長の弟。主家滅亡後は兄とともに宇喜多家に仕え、土器尾城主となる。宇喜多家・毛利家間で和議が成立した後は、兄とともに高田城を守った。 |
牧 | 藤左衛門 | 国信 |
国人衆 | 荷駄 |
[回復] |
30 | 25 | 41 |
50 | 80 |
26 |
くもん | | しげただ |
通常版 |
土佐 |
1523 |
(1508-1547)土佐の豪族。徳善城主。はじめ長宗我部国親と戦うが、のちに家臣となり各地の合戦で活躍した。勇将であったが貧乏で正月の餅つきができなかったという。 |
公文 | | 重忠 |
武将 | 騎馬 |
[突撃] |
6 | 53 | 44 |
63 | 75 |
26 |
たかぎ | | あきふさ |
通常版 |
筑後 |
1519 |
(1504-1553)龍造寺家臣。龍造寺隆信の家督相続に反対した東肥前十九将の1人。隆信の肥前復帰の際に討たれた。斬られた際、頭が無い状態で従者の首を斬ったという。 |
高木 | | 鑑房 |
国人衆 | 荷駄 |
[槍衾] |
17 | 63 | 26 |
70 | 80 |
26 |
おおむら | | すみさき |
通常版 |
肥前 |
1488 |
(1473-1551)肥前の豪族。三城主。有馬晴純の圧迫を受け、嫡男・貴明を後藤家の養子とし、晴純の次男・純忠に家督を譲り和議を結ぶ。このため、家臣団の反発を招いた。 |
大村 | | 純前 |
国人衆 | 鉄砲 |
[改修] [貿易] |
44 | 39 | 51 |
52 | 65 |
26 |
やすとみ | | すみやす |
通常版 |
肥前 |
1575 |
(1560-1584)有馬家臣。肥前深江城主。のち龍造寺隆信に属す。有馬軍に居城を攻められるが龍造寺軍の援護で撃退した。沖田畷合戦で隆信が戦死した後は深江姓に改めた。 |
安富 | 与三兵衛 | 純泰 |
国人衆 | 鉄砲 |
[雨撃] |
19 | 47 | 35 |
37 | 50 |
26 |
おおの | | はるたね |
PK追加 |
近江 |
1589 |
(1574-1615)豊臣家臣。治長の弟。道犬斎と称した。大坂夏の陣の際は堺を焼き討ちした。大坂城が落城すると脱出を図り、逃走するが捕らえられ、堺で斬首された。 |
大野 | 道犬斎 | 治胤 |
武将 | 騎馬 |
[槍衾] |
31 | 54 | 16 |
64 | 70 |
26 |
ひらど | | ぽるろ |
諸勢力 |
肥前 |
1595 |
(1580-1652)肥前の宣教師。サントス堂はキリスト教教会のうちの1つ。平戸・長崎などで南蛮貿易が行われたため、大村純忠・有馬晴信など受洗する大名も多かった。 |
平戸 | サントス | ポルロ |
切支丹 | 弓 |
[外交] |
40 | 41 | 55 |
51 | 80 |
26 |