武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
みつき | | あきつな |
通常版 |
美濃飛騨 |
1560 |
(1545-1583)姉小路家臣。姉小路良頼の次男。養父・鍋山安室を毒殺して養母を追放し、鍋山城を乗っ取る。のちに兄・頼綱への謀叛を企てたため、妻とともに暗殺された。 |
三木 | | 顕綱 |
武将 | 弓 |
[開墾] [連射] |
35 | 39 | 58 |
34 | 35 |
53 |
うおずみ | | かげかた |
通常版 |
越前若狭 |
1543 |
(1528-1574)朝倉家臣。一乗谷四奉行の1人として国政に参画した。織田信長の越前侵攻軍に降り、本領を安堵され越前守護代となるが、富田長繁に攻められて敗死した。 |
魚住 | | 景固 |
武将 | 槍 |
[商業] |
59 | 15 | 25 |
31 | 35 |
53 |
ほりえ | | かげただ |
通常版 |
越前若狭 |
1542 |
(1527-1576)朝倉家臣。各地で功を立てるが、謀叛疑惑により能登に退去させられる。織田家に通じて本領を回復するが、一向一揆討伐の恩賞に不満を表したため殺された。 |
堀江 | 左衛門三郎 | 景忠 |
国人衆 | 荷駄 |
[回復] |
46 | 24 | 43 |
60 | 45 |
53 |
あざい | | すけまさ |
通常版 |
近江 |
1506 |
(1491-1542)近江の戦国大名。小谷城主。はじめ京極家に仕えたが、主家の内紛に乗じて勢力を拡大、朝倉家の援助を受けて六角定頼軍を撃退するなど、江北に覇を唱えた。 |
浅井 | 新三郎 | 亮政 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [登用] [奉仕] [攻城] |
82 | 85 | 79 |
89 | 70 |
53 |
しもづま | | らいけい |
通常版 |
摂津河内 |
1501 |
(1486-1555)真宗本願寺派の僧。本願寺9世・実如に仕える。甥の頼秀・頼盛に不穏な動きがあり、一時出仕をやめるが、のち復帰した。温和な性格で人々に重んぜられた。 |
下間 | | 頼慶 |
一向宗 | 荷駄 |
[開墾] [回復] [奉仕] [説得] |
88 | 55 | 87 |
8 | 80 |
53 |
そごう | | ながはる |
通常版 |
讃岐 |
1525 |
(1510-1559)讃岐の豪族。大永〜享禄年間の人。子・金光が早世したため、三好元長の四男・一存を養子に迎えた。十河家は讃岐山田郡を支配していた植田家の支族という。 |
十河 | | 存春 |
武将 | 弓 |
[登用] |
52 | 50 | 44 |
23 | 70 |
53 |
うらがみ | | むねかげ |
通常版 |
備前備中 |
1527 |
(1512-1577)備前の戦国大名。播磨室津城主を務める兄・政宗と争う一方、備前に勢力を拡大した。しかし、のちに台頭した家臣・宇喜多直家に攻められて居城を追われた。 |
浦上 | | 宗景 |
武将 | 弓 |
[登用] [連射] |
52 | 55 | 57 |
82 | 50 |
53 |
しまむら | | もりざね |
通常版 |
備前備中 |
1524 |
(1509-1559)浦上家臣。入道名は貫阿弥。宇喜多能家を砥石城に襲って自害させ、家中の実権を独占する。しかし、のちに謀叛疑惑により能家の孫・宇喜多直家に討たれた。 |
島村 | 貫阿弥 | 盛実 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] |
27 | 12 | 44 |
69 | 40 |
53 |
なかやま | | のぶまさ |
通常版 |
備前備中 |
1525 |
(1510-1559)浦上家臣。備前亀山城主。娘は宇喜多直家に嫁ぐ。のちに島村盛実と談合して謀叛を企んだとの風聞により、主君・宗景の命を受けた婿・直家により殺された。 |
中山 | | 信正 |
武将 | 荷駄 |
[収拾] |
29 | 28 | 31 |
46 | 55 |
53 |
みむら | | ちかしげ |
通常版 |
備前備中 |
1536 |
(1521-1575)三村家臣。家親の弟。甥・元親が勢力回復を目指して織田信長に通じた際、反対して追放される。のちに毛利軍を案内して元親を討ち、備中鶴首城主となった。 |
三村 | | 親成 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] |
43 | 39 | 50 |
45 | 40 |
53 |
すぎ | | しげよし |
通常版 |
豊前 |
1556 |
(1552-1579)大内家臣。祖父・重矩と父・重輔を陶晴賢に殺されたため、毛利家に属し、福原貞俊の娘を娶る。のちに大友家に属すが大友家を離反した高橋鑑種に討たれた。 |
杉 | | 重良 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
26 | 17 | 20 |
38 | 40 |
53 |
ほけづ | | さきのぶ |
通常版 |
伊予 |
1534 |
(1519-1588)西園寺家臣。伊予法華津城主。西園寺十五将の1人。大友家の侵攻軍を何度も撃退した。豊臣秀吉の四国平定後、宇和郡を領した戸田勝隆の命により下城した。 |
法華津 | | 前延 |
武将 | 弓 |
[攻城] |
11 | 15 | 9 |
70 | 30 |
53 |
うえむら | | よりよし |
通常版 |
肥後 |
1538 |
(1523-1567)相良家臣。肥後上村城主。頼興の次男。父の死後、2人の弟とともに甥・義陽に背くが敗れ、薩摩に逃亡。のちに謀略によって帰国させられ、義陽に殺された。 |
上村 | | 頼孝 |
武将 | 荷駄 |
[逃亡] |
50 | 12 | 44 |
66 | 35 |
53 |
あいしんぎょろ | | ぬるはち |
諸王 |
他 |
1574 |
(1559-1626)清の初代皇帝。女真族の統一を成し遂げ、その後、明に進出する。連戦連勝したが、寧遠城で袁崇煥に敗れ、このときの傷がもとで病死した。 |
愛新覚羅 | | 奴児哈赤 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [収拾] [捕縛] [突撃] |
87 | 104 | 94 |
98 | 75 |
53 |
ほんしょうじ | | れんしゅう |
諸勢力 |
三河 |
1596 |
(1581-1652)三河の僧侶。本証寺は一向宗の寺院。三河一向一揆の際には上宮寺・勝鬢寺などとともに一向宗門徒の拠点の1つとなり徳川家康に対して頑強に抵抗した。 |
本証寺 | 蓮宗 | 蓮秀 |
一向宗 | 槍 |
[外交] |
48 | 58 | 54 |
44 | 100 |
53 |