『信長の野望 嵐世記』武将総覧

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
さたけ よしあつ 通常版 常陸 1517 (1507-1545)佐竹家16代当主。実弟・義元と家督を争い、しばしば合戦を行うが、部垂城の合戦で義元を討って支配権を確立。佐竹一門による領国支配体制を成立させた。
佐竹 義篤 武将
[開墾] [引抜]  736275 8165 20
さたけ よしあき 通常版 常陸 1545 (1531-1565)佐竹家17代当主。義篤の嫡男。南陸奥の白河結城家を降し、常陸の覇権を巡って小田家と争った。関東管領・上杉憲政が庇護を求めてきたが、拒否している。
佐竹次郎義昭 武将騎馬
[商業] [登用] [槍衾]  756656 8580 20
さたけ よししげ 通常版 常陸 1562 (1547-1612)佐竹家18代当主。義昭の嫡男。父の遺志を継ぎ、常陸の統一に成功する。北条家と伊達家を敵に回し、陣頭で自ら采配を振るう姿は「鬼義重」と恐れられた。
佐竹次郎義重 武将騎馬
[開墾] [訓練] [奉仕] [突撃]  818079 9485 20
さたけ よしのぶ 通常版 常陸 1585 (1570-1633)佐竹家19代当主。義重の嫡男。父に劣らぬ猛将ぶりで知られた。関ヶ原合戦では西軍につく決意を固くし、徳川家康から「今の世に稀な律儀者」と評された。
佐竹次郎義宣 武将鉄砲
[改修] [茶湯] [攻城]  586956 64100 20
さなだ まさゆき 通常版 北信濃 1562 (1547-1611)幸隆の三男。「表裏比興の者」と豊臣秀吉に評された稀代の謀将。関ヶ原へ行軍途中の徳川秀忠軍3万8千を数千の兵で翻弄し、秀忠軍を信濃に釘付けにした。
真田源五郎昌幸 国人衆騎馬
[引抜] [奉仕] [守戦] [混乱]  878886 8970 20
さなだ ゆきむら 通常版 北信濃 1582 (1567-1615)昌幸の次男。蟄居先の紀伊九度山から大坂城に入城、大坂の陣で寡兵ながらも徳川の大軍を相手に奮戦した。その戦いぶりは「真田日本一の兵」と称賛された。
真田源次郎幸村 国人衆騎馬
[登用] [影] [軍神] [突撃]  448984 16100 20
さなだ だいすけ 通常版 北信濃 1615 (1600-1615)幸村の子。父の蟄居先・紀州九度山で生まれた。父とともに大坂城へ入城、真田丸に出張って奮戦した。夏の陣では城内にあり、落城時に豊臣秀頼に殉じた。
真田幸昌大助 国人衆騎馬
[突撃]  206628 13100 20
やすだ ながひで 通常版 北越後 1531 (1516-1582)上杉家臣。主君・謙信に側近として仕える。川中島合戦で功を立て「血染めの感状」を受けた。御館の乱では上杉景勝を支持。新発田重家と交戦中に病死した。
安田 長秀 武将
[激励] [連射]  405345 4975 20
いしだ みつなり 通常版 近江 1575 (1560-1600)豊臣家臣。五奉行の1人として国政に参画。主君・秀吉の死後、西軍総大将として徳川家康と関ヶ原で戦うが、諸将の統制をとれずに敗れ、京都で斬首された。
石田佐吉三成 武将
[商業] [登用] [検地] [逃亡]  894581 70100 20
おおたに よしつぐ 通常版 近江 1574 (1559-1600)豊臣家臣。関ヶ原合戦で西軍に属す。親友・石田三成のために病をおして奮戦、藤堂高虎の軍を撃退するが、寝返った小早川秀秋軍に攻められ敗北、自害した。
大谷紀之介吉継 武将騎馬
[開墾] [訓練] [奉仕] [槍衾]  817980 43100 20
きむら さだみつ 通常版 近江 1574 (1559-1595)豊臣家臣。常陸介を称す。賤ヶ岳合戦などに従軍し、越前府中10万石を領す。出羽国の検地奉行を務めた。のちに豊臣秀次事件に連座し、自害させられた。
木村 定光 武将
[検地] [茶湯]  674964 6175 20
きむら しげなり 通常版 近江 1595 (1593-1615)豊臣家臣。定光の子という。主君・秀頼の乳兄弟で、小姓を務めた。徳川家との和睦の際は豊臣家の使者を務めた。大坂夏の陣で井伊直孝軍と戦い、戦死した。
木村 重成 武将
[訓練] [外交] [捕縛]  175228 695 20
こにし ゆきなが 通常版 摂津河内 1574 (1559-1600)豊臣家臣。堺の豪商・小西隆佐の子。朝鮮派兵の際は先鋒を務めた。関ヶ原合戦では西軍に属して戦うが敗れ、斬首された。熱心なキリスト教信者として有名。
小西弥九郎行長 都市鉄砲
[外交] [貿易] [三段]  714744 4960 20
こてだ やすまさ 通常版 肥前 1523 (1508-1557)松浦家臣。主君・興信の死後、主家で家督争いが起きた際、反対派を抑えて隆信を擁立。以後、隆信の重臣として活躍した。のちに子・安経に次いで受洗した。
籠手田 安昌 武将切支丹
[貿易]  175539 2265 20
いしだ しげいえ PK追加 近江 1599 (1584-1686)三成の子。関ヶ原合戦では人質として大坂城に留まる。戦後、京都寿聖院に入り剃髪。寿聖院住職の助命嘆願により許された。のち寿聖院の三世住職となった。
石田宗享重家 武将
[開墾] [逃亡] [説得]  622641 8100 20
ちんぎす はーん 諸王 北越後 1545 (1530-1596)モンゴル帝国初代ハーン。モンゴル統一後、西夏・金・ホラズムに遠征し、大帝国を築く。広大な領土を征服する一方で東西交路の整備にもつとめた。
チンギス ハーン 武将騎馬
[訓練] [登用] [軍神] [突撃]  77130104 10070 20
のざき いちえもん 諸勢力 羽後 1600 (1585-1625)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。
野崎 市右衛門 都市
[商業] [茶湯]  404051 4530 20
くもうで ひこえもん 諸勢力 因幡但馬 1574 (1559-1638)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。
口分田 彦右衛門 都市
[商業] [茶湯]  504844 4895 20
おち いえます 諸勢力 大和 1598 (1583-1652)大和の国人。家増は大和の国衆で、家栄の三男。家広の弟という。はじめ楢原姓を名乗った。市尾深介に命じて甥・家高を謀殺し、越智家の惣領となった。
越智 家増 国人衆荷駄
[開墾] [外交]  484848 5570 20

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