『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
さなだ ゆきたか 通常版 北信濃 1528 (1513-1574)武田家臣。信州先方衆。主君・信玄が攻略出来なかった信濃戸石城を謀略で落城させ、知略は信玄に勝ると賞された。以後、信玄の参謀の1人として活躍する。
真田小太郎幸隆 国人衆
[引抜] [逃亡] [連射] [混乱]  777890 6575 19
さなだ のぶつな 通常版 北信濃 1552 (1537-1575)幸隆の長男。父の隠居後、信州先方衆の1人として各地を転戦、勇名を馳せる。長篠合戦では3尺3寸の大刀を振るって奮戦したが、銃弾を浴び、戦死した。
真田源太左衛門信綱 国人衆騎馬
[訓練] [突撃]  306340 4185 19
さなだ まさゆき 通常版 北信濃 1562 (1547-1611)幸隆の三男。「表裏比興の者」と豊臣秀吉に評された稀代の謀将。関ヶ原へ行軍途中の徳川秀忠軍3万8千を数千の兵で翻弄し、秀忠軍を信濃に釘付けにした。
真田源五郎昌幸 国人衆騎馬
[引抜] [奉仕] [守戦] [混乱]  878886 8970 20
さなだ のぶゆき 通常版 北信濃 1581 (1566-1658)昌幸の長男。徳川家臣・本多忠勝の娘を娶った縁から、関ヶ原合戦では父や弟と別れて東軍に属した。その後も徳川家に忠節を尽くし、真田家を存続させた。
真田源三郎信幸 国人衆鉄砲
[開墾] [外交] [槍衾]  716067 4390 18
さなだ ゆきむら 通常版 北信濃 1582 (1567-1615)昌幸の次男。蟄居先の紀伊九度山から大坂城に入城、大坂の陣で寡兵ながらも徳川の大軍を相手に奮戦した。その戦いぶりは「真田日本一の兵」と称賛された。
真田源次郎幸村 国人衆騎馬
[登用] [影] [軍神] [突撃]  448984 16100 20
さなだ だいすけ 通常版 北信濃 1615 (1600-1615)幸村の子。父の蟄居先・紀州九度山で生まれた。父とともに大坂城へ入城、真田丸に出張って奮戦した。夏の陣では城内にあり、落城時に豊臣秀頼に殉じた。
真田幸昌大助 国人衆騎馬
[突撃]  206628 13100 20
やざわ よりつな 通常版 北信濃 1533 (1518-1597)真田家臣。海野棟綱の子で、真田幸隆の弟。甥・昌幸が上野沼田城を攻略後、沼田城代となる。第一次上田合戦の際は、沼田城を守備した。武勇にひいでた。
矢沢 頼綱 国人衆
[収拾] [連射]  574243 1765 21
やざわ よりやす 通常版 北信濃 1568 (1553-1620)真田家臣。頼綱の子。父に劣らぬ武勇の持ち主で、北条家との神川合戦の際には右手に九尺柄の大長刀の石突を握って振り回し、片手討ちに敵を倒したという。
矢沢三十郎頼康 国人衆荷駄
[槍衾] [攻城]  621063 5055 22

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