『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

1750件中10件 該当しました。 1件〜10件の表示 > 再検索
<-BACK 1 NEXT->
武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
はたけやま たねなが 通常版 紀伊 1516 (1501-1545)河内守護。高屋城主。弟・長経が木沢長政・遊佐長教によって擁立された際、紀伊に逃亡。のち長経が殺されると、再び居城に戻り、河内守護に再補任された。
畠山 稙長 武将
[逃亡]  612630 5065 81
すずき さだゆう 通常版 紀伊 1526 (1511-1585)紀伊の土豪。雑賀城主。鉄砲で武装した傭兵集団・雑賀党を率いる。本願寺と結び織田信長と戦った。のち紀伊に入った豊臣家臣・藤堂高虎に欺かれ自害した。
鈴木重意佐大夫 一向宗
[商業] [登用] [雨撃]  458471 8485 57
すずき しげかね 通常版 紀伊 1555 (1540-1589)紀伊の土豪。佐大夫の嫡男。平井に住み「平井の孫市」と呼ばれた。思慮深い人物で、雑賀党の背後にあって、部族間の調整や政治工作といった役割を担った。
鈴木孫市重兼 一向宗
[外交] [奉仕] [雨撃]  664764 4255 58
すずき しげひで 通常版 紀伊 1561 (1546-1585)紀伊の土豪。佐大夫の三男。通称「雑賀孫市」。雑賀の鉄砲衆を率いて石山本願寺に籠城し、織田信長軍を苦しめた。石山開城後は豊臣秀吉に仕えたという。
鈴木孫市重秀 一向宗鉄砲
[訓練] [回復] [三段] [雨撃]  188983 7465 57
すずき しげとも 通常版 紀伊 1576 (1561-1613)豊臣家臣。重秀の子。朝鮮派兵に参加した。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城を守る鳥居元忠を討つ戦功を挙げた。戦後、浪人したのち水戸徳川家に仕えた。
鈴木孫市重朝 一向宗鉄砲
[開墾] [捕縛] [三段]  156867 5370 52
すずき しげつぐ 通常版 紀伊 1613 (1598-1664)水戸徳川家臣。重朝の嫡男。3千石を領し、大番頭や家老を務めた。のち将軍・徳川家光に拝謁した。男子に恵まれず主君・頼房の末子・重義を婿養子とした。
鈴木孫市重次 一向宗鉄砲
[改修] [収拾] [三段]  225448 2860 57
おか よしまさ 通常版 紀伊 1561 (1546-1585)紀伊の豪族。雑賀党の一員。石山本願寺に籠城し活躍した。すぐれた射撃の腕を持ち、織田信長が攻め寄せた際、信長を狙撃し大腿部に重傷を負わせたという。
太郎次郎吉正 一向宗
[三段]  83439 2575 61
つちばし もりしげ 通常版 紀伊 1558 (1543-1582)紀伊の豪族。4人の子とともに石山本願寺に籠城して戦い、信長軍を苦しめた。のち石山本願寺を退去するが、所領に戻って抵抗を続けたため、謀殺された。
土橋平次守重 一向宗荷駄
[登用] [雨撃]  134618 5280 61
さぎのもり れんぎょう 諸勢力 紀伊 1591 (1576-1617)紀伊の僧侶。鷺森御坊は一向宗の寺院。1580年に織田信長と本願寺の和睦が成立し、石山を退去した本願寺11世法主・顕如は、その後鷺森御坊に入った。
鷺森 蓮教 一向宗荷駄
[外交]  385342 4230 43
たまき こへいた 諸勢力 紀伊 1558 (1543-1615)紀伊の国人。小平太は実際は紀伊の豪族で、直和の子。豊臣秀吉の紀州征伐軍に降伏し、豊臣秀長の家臣となる。関ヶ原合戦で西軍に属して没落したという。
玉置 小平太 国人衆
[改修]  444247 5955 60

<-BACK 1 NEXT->
実行時間:0.015625
system:CGIROOM

▼「信長の野望」&「太閤立志伝」武将検索▼

 | 全国版  | 戦国群雄伝  | 武将風雲録  | 覇王伝  | 天翔記  | 将星録  | 烈風伝  | 嵐世記  | 蒼天録  |
 | 天下創世  | 革新  | 天道  | 国盗り頭脳バトル  | Internet  | 携帯版  | GB版  | for WS  | DS2  |
 | 太閤立志伝  | 太閤立志伝2  | 太閤立志伝3  | 太閤立志伝4  | 太閤立志伝5  |