武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
すずき | | しげやす |
通常版 |
摂津河内 |
1556 |
(1541-1580)紀州雑賀の鈴木家の一族という。本願寺から加賀に派遣され、鳥越城を築いて加賀の一向宗門徒を指導した。のちに柴田勝家に討たれ、首級は安土に送られた。 |
鈴木 | | 重泰 |
一向宗 | 鉄砲 |
[雨撃] |
10 | 52 | 25 |
53 | 85 |
51 |
すずき | | さだゆう |
通常版 |
紀伊 |
1526 |
(1511-1585)紀伊の土豪。雑賀城主。鉄砲で武装した傭兵集団・雑賀党を率いる。本願寺と結び織田信長と戦った。のち紀伊に入った豊臣家臣・藤堂高虎に欺かれ自害した。 |
鈴木 | 重意 | 佐大夫 |
一向宗 | 槍 |
[商業] [登用] [雨撃] |
45 | 84 | 71 |
84 | 85 |
57 |
すずき | | しげかね |
通常版 |
紀伊 |
1555 |
(1540-1589)紀伊の土豪。佐大夫の嫡男。平井に住み「平井の孫市」と呼ばれた。思慮深い人物で、雑賀党の背後にあって、部族間の調整や政治工作といった役割を担った。 |
鈴木 | 孫市 | 重兼 |
一向宗 | 弓 |
[外交] [奉仕] [雨撃] |
66 | 47 | 64 |
42 | 55 |
58 |
すずき | | しげひで |
通常版 |
紀伊 |
1561 |
(1546-1585)紀伊の土豪。佐大夫の三男。通称「雑賀孫市」。雑賀の鉄砲衆を率いて石山本願寺に籠城し、織田信長軍を苦しめた。石山開城後は豊臣秀吉に仕えたという。 |
鈴木 | 孫市 | 重秀 |
一向宗 | 鉄砲 |
[訓練] [回復] [三段] [雨撃] |
18 | 89 | 83 |
74 | 65 |
57 |
すずき | | しげとも |
通常版 |
紀伊 |
1576 |
(1561-1613)豊臣家臣。重秀の子。朝鮮派兵に参加した。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城を守る鳥居元忠を討つ戦功を挙げた。戦後、浪人したのち水戸徳川家に仕えた。 |
鈴木 | 孫市 | 重朝 |
一向宗 | 鉄砲 |
[開墾] [捕縛] [三段] |
15 | 68 | 67 |
53 | 70 |
52 |
すずき | | しげつぐ |
通常版 |
紀伊 |
1613 |
(1598-1664)水戸徳川家臣。重朝の嫡男。3千石を領し、大番頭や家老を務めた。のち将軍・徳川家光に拝謁した。男子に恵まれず主君・頼房の末子・重義を婿養子とした。 |
鈴木 | 孫市 | 重次 |
一向宗 | 鉄砲 |
[改修] [収拾] [三段] |
22 | 54 | 48 |
28 | 60 |
57 |