『信長の野望 嵐世記』武将総覧

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
さとう よしのぶ 通常版 磐城 1526 (1511-1565)相馬家臣。佐藤家はもと岩城家臣であったが、好信の代に相馬家に属す。軍奉行を務めたが、郡左馬助の讒言により領地を没収され、失意のうちに病死した。
佐藤 好信 武将
[開墾] [収拾]  344036 3060 38
さとう ためのぶ 通常版 磐城 1557 (1542-1591)相馬家臣。好信の子。小斎城主。伊達家との合戦の際、援軍に来た郡左馬助を討ち、父の敵をとる。直後に伊達家に属した。のちに佐沼の戦いで戦死した。
佐藤左衛門為信 武将騎馬
[外交] [逃亡]  384552 5555 38
おばた のりしげ 通常版 上野 1520 (1505-1575)山内上杉家臣。妻は長野業正の妹。一族の謀叛により流浪、武田信玄に属す。信玄の上州攻略に貢献、西上野先方衆筆頭となった。長篠合戦で戦死したという。
小幡 憲重 国人衆騎馬
[改修] [収拾] [突撃]  197168 4695 38
おばた しげさだ 通常版 上野 1538 (1523-1575)山内上杉家臣。憲重の嫡男。上総介を称した。父とともに武田信玄に属し、安中城を攻略するなど、信玄の上州攻略に貢献した。長篠合戦で戦死したという。
小幡 重貞 国人衆騎馬
[攻城] [突撃]  195348 3785 38
ながお のりなが 通常版 上野 1518 (1503-1550)足利長尾家当主。関東管領・山内上杉家の家宰を務めた。古河公方・足利高基の子・亀王丸の元服に際して、将軍・足利義晴からの一字拝領を依頼した。
長尾新五郎憲長 武将
[外交] [収拾]  493145 4860 38
おおた すけまさ 通常版 武蔵 1537 (1522-1591)扇谷上杉家臣。岩付城主。主家滅亡後は上杉家や佐竹家に属し、生涯を通じて北条家と戦った。豊臣秀吉の小田原征伐の際は、秀吉に招かれて小田原に赴いた。
太田源五郎資正 武将騎馬
[激励] [逃亡] [突撃]  457352 7395 38
おおた まさかげ 通常版 武蔵 1562 (1547-1615)佐竹家臣。太田資正の次男。手這坂の合戦で小田氏治を破り、小田城主となる。主家の秋田転封に従ったが、のちに越前福井藩主・結城秀康のもとに転仕した。
太田源太政景 武将
[逃亡] [槍衾]  265142 5265 38
しいな ながつね 通常版 越中 1514 (1499-1543)越中の豪族。兄・慶胤が長尾為景と戦って敗死したため、家督を継ぐ。のちに為景に降伏し、新川郡守護代となった為景の又守護代となり、新川郡を支配した。
椎名 長常 武将
[守戦]  216638 3060 38
しいな やすたね 通常版 越中 1520 (1516-1576)越中の豪族。松倉城主。上杉謙信の従兄弟・長尾景直を養子とし、謙信と結ぶ。しかし、のちに武田家と結んだため、謙信の攻撃を受け、敗死したという。
椎名 康胤 武将騎馬
[登用] [攻城]  273018 5860 38
ながお かげなお 通常版 南越後 1562 (1547-1581)越中の豪族。今泉城主。養父・康胤の死後、家督を継ぐ。織田信長の越中侵攻軍に敗れ、御館の乱で上杉景虎に属して敗れ逃亡、以後は織田家に属したという。
長尾小四郎景直 武将
[連射]  251320 2050 38
いちかわ つねよし 通常版 安芸備後 1535 (1520-1584)毛利家臣。元就の次男・元春の吉川家入嗣に尽力。大内家滅亡後は山口奉行を務め、防長2国の庶政を担当した。のちに大友家に通じた嫡男・元教を謀殺した。
市川 経好 武将騎馬
[商業] [引抜]  551649 3855 38
のみ むねかつ 通常版 安芸備後 1542 (1527-1592)毛利家臣。小早川水軍を統率した。厳島合戦の際は村上水軍を味方に引き入れ、毛利軍の勝利に貢献した。木津川口合戦では総大将を務め、織田水軍を破った。
乃美 宗勝 水軍衆
[貿易] [雨撃]  195247 3170 38
みなかた なりまさ 通常版 安芸備後 1555 (1540-1599)毛利家臣。周防右田岳城主。大友宗麟の援助を得た大内輝弘が、大内家旧臣を糾合して周防で叛乱を起こした際、防府に退却する輝弘軍を追撃、これを討った。
南方 就正 武将
[商業]  373742 2570 38
こづくり かつとし PK追加 伊勢志摩 1558 (1543-1610)織田家臣。木造俊茂の子。滝川一益の娘を娶り滝川姓を名乗る。小牧長久手合戦後は軍師格として豊臣秀吉に仕えた。関ヶ原合戦では西軍に属し、所領を失う。
木造三郎兵衛雄利 武将
[開墾] [引抜] [収拾]  435559 6250 38
ほうじょう やすとき 諸王 武蔵 1552 (1537-1596)北条義時の子。後鳥羽上皇率いる反抗勢力を鎮圧し、義時の死後、第3代執権となる。武家最初の法典「御成敗式目」を制定するなど、政治手腕に優れていた。
北条 泰時 武将
[商業] [改修] [激励] [説得]  854967 5490 38
こう ちゅう 諸王 薩摩大隅 1535 (1520-1594)蜀漢の将。劉表、韓玄に仕える。韓玄の配下として関羽と激闘を演じる。劉備に帰順後も軍を率いて活躍。劉備の漢中王即位に伴って、五虎大将に任命された。
  武将
[開墾] [連射] [槍衾] [攻城]  508251 4185 38
やましな ときつぐ 諸勢力 山城 1592 (1577-1620)山科家の当主。山科家は羽林家の1つで大中納言に進む家柄。言継・言経・言緒と代を伝えた。言継は織田信長らと親交があり、日記「言継卿記」を著した。
山科 言継 朝廷騎馬
[外交]  504855 5090 38
やすい さだつぐ 諸勢力 摂津河内 1548 (1533-1615)堺の商人。安井家は定次・道頓と代を伝えた。定次は豊臣秀吉の大坂城築城に貢献した。道頓は道頓堀の開削に携わるが志半ばにして大坂夏の陣で戦死した。
安井 定次 都市
[商業] [茶湯]  473640 6035 38
むろ きはちろう 諸勢力 備前備中 1560 (1545-1623)福岡の商人。福岡は吉井川沿いにあった中世以来の市場町。近くには備前守護所があり、刀鍛冶が多く住んだ。黒田官兵衛の祖父・重隆が一時期住んでいた。
 喜八郎 都市騎馬
[商業] [茶湯]  525150 43100 38
すえつぐ こうぜん 諸勢力 筑前 1595 (1580-1655)博多の商人。1571年に長崎に移住し私財を投じて町を開き、商人らを移住させて町の支配を任せた。配下・村山東安の助けを得て貿易で巨利を得たという。
末次 興善 都市騎馬
[商業] [茶湯]  644754 4795 38

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