『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

1750件中17件 該当しました。 1件〜17件の表示 > 再検索
<-BACK 1 NEXT->
武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
うどの うじなが 通常版 三河 1562 (1549-1624)今川家臣。長照の子。父が戦死した際に徳川家康に捕らえられ、家康の妻子と引き換えに駿府城に赴く。主家滅亡後は徳川家に属し、長篠合戦などに従軍した。
鵜殿三郎氏長 武将
[茶湯]  32720 2250 27
やしろ まさくに 通常版 北信濃 1540 (1525-1582)信濃の豪族。屋代城主。はじめ村上義清に属したが、武田信玄の信濃侵攻軍に降った。武田家滅亡後は、信濃海津城主となった織田家臣・森長可に従った。
屋代 政国 国人衆騎馬
[開墾]  354344 6455 27
やしろ かつなが 通常版 北信濃 1573 (1558-1623)武田家臣。満正の子。伯父・政国の養子となる。主家滅亡後は徳川家康の信濃平定に協力し、以後は徳川家に仕えた。大坂冬・夏の両陣では旗奉行を務めた。
屋代 勝永 国人衆騎馬
[攻城]  372732 3465 27
あさくら かげたか 通常版 越前若狭 1510 (1495-1543)朝倉家臣。貞景の次男。大野郡代を務めた。兄・孝景と対立し出奔、若狭武田家を頼る。本願寺と結んで孝景打倒を目指すが実現せず、九州へ逐電したという。
朝倉孫八郎景高 武将騎馬
[引抜]  665361 8030 27
おがわ すけただ 通常版 近江 1564 (1549-1601)近江の豪族。明智光秀に属す。光秀の死後は柴田勝豊の家老を経て豊臣秀吉に仕え、伊予府中7万石を領した。関ヶ原合戦で東軍に寝返るが、戦後改易された。
小川孫一郎祐忠 国人衆
[攻城]  202948 6530 27
すすきだ かねすけ 通常版 山城 1593 (1578-1615)豊臣家臣。大坂冬の陣で博労ヶ淵砦の守備に失敗し、「橙武者」と嘲られた。大坂夏の陣で勇戦し、戦死した。ひひ退治の豪傑・岩見重太郎と同一人物という。
薄田 兼相 武将
[訓練]  3571 5880 27
はたの たねみち 通常版 丹波丹後 1511 (1496-1545)管領細川家臣。将軍・足利義稙の偏諱を受け、稙通と名乗る。主君・高国に与力して丹波一帯に一大勢力を築き上げた。のちに細川晴元に属し、高国と戦った。
波多野与兵衛稙通 武将騎馬
[改修] [収拾] [守戦] [混乱]  716981 8560 27
はたの はるみち 通常版 丹波丹後 1535 (1520-1560)管領細川家臣。稙通の子。三好軍の度重なる攻撃を受ける。撃退に努めるがのちに松永久秀に降り、城を追われた。居城の八上城には久秀の甥・彦六が入った。
波多野与兵衛晴通 武将
[逃亡]  343435 5070 27
はたの むねたか 通常版 丹波丹後 1526 (1511-1573)丹波の豪族。氷上城主。「西波多野」と呼ばれた波多野家の一族。「丹波鬼」の異名で呼ばれた勇将で、正親町天皇の即位式の際には洛中を警護したという。
波多野 宗高 武将
[改修] [外交] [連射]  435154 6490 27
つの もとたか 通常版 土佐 1518 (1503-1553)土佐の豪族。姫野々城主。一条家と各地で戦うが敗れ、降伏して所領を安堵された。津野家は、平安中期に土佐へ入国し津野山を開いた藤原経高を始祖とする。
津野 基高 国人衆
[連射]  513835 3965 27
よこだけ すけまさ 通常版 筑後 1536 (1521-1570)少弐家臣。主君・資元の偏諱を受ける。資元の子・冬尚の娘を娶った。横岳家は少弐家の庶流で、少弐頼房が肥前三根郡西島に居城して横岳姓を称したという。
横岳彦四郎資誠 武将騎馬
[激励]  544052 4755 27
ひらい つねはる 通常版 肥前 1530 (1515-1574)有馬家臣。肥前須古高城主。主君・晴純の娘を娶る。龍造寺家と抗争を展開し、一度和睦するが、のちに再び敵対。龍造寺家の大軍に攻められ敗北、自害した。
平井小左衛門経治 国人衆荷駄
[回復]  284032 5765 27
ほんごう ときひさ 通常版 日向 1545 (1530-1596)日向の豪族。庄内領主。島津家に属して伊東家や肝付家の軍勢と戦った。豊臣秀吉の九州征伐軍に降伏し、所領を安堵された。のちに薩摩宮之城へ転封された。
北郷 時久 国人衆
[外交]  424444 2460 27
こいで よしまさ PK追加 尾張 1580 (1565-1613)豊臣家臣。秀政の嫡男。但馬出石6万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し、丹後田辺城攻撃に参加した。弟・秀家が東軍に属したため、本領を安堵された。
小出小才次吉政 武将
[槍衾]  424536 4860 27
かわばた どうき 諸勢力 山城 1559 (1544-1642)京都の商人。供御の餅、内侍所日々の神供を調進し、のちに洛外の餅屋を支配する京餅座の権利を取得した。禁裏築地の修理を行い、諸公事免除の特権を得た。
川端 道喜 都市
[商業] [茶湯]  484246 4975 27
あぶらや じょうげん 諸勢力 摂津河内 1601 (1586-1653)堺の商人。油屋家は常言・常祐・常悦と代を伝えた。常言は堺に妙国寺を建立し子・日晄を開山とした。常祐は武野紹鴎に、常悦は千利休に茶の湯を学んだ。
油屋 常言 都市
[商業] [茶湯]  515345 4575 27
がんしょうじ みょうしゅん 諸勢力 伊勢志摩 1578 (1563-1651)伊勢志摩の僧侶。願証寺は一向宗の寺院で、一向宗門徒の一大拠点として織田信長に激しく抵抗したが、信長の焦土作戦によって1574年に灰燼に帰した。
願証寺 明俊 一向宗
[外交]  636151 4235 27

<-BACK 1 NEXT->
実行時間:0.015625
system:CGIROOM

▼「信長の野望」&「太閤立志伝」武将検索▼

 | 全国版  | 戦国群雄伝  | 武将風雲録  | 覇王伝  | 天翔記  | 将星録  | 烈風伝  | 嵐世記  | 蒼天録  |
 | 天下創世  | 革新  | 天道  | 国盗り頭脳バトル  | Internet  | 携帯版  | GB版  | for WS  | DS2  |
 | 太閤立志伝  | 太閤立志伝2  | 太閤立志伝3  | 太閤立志伝4  | 太閤立志伝5  |