『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
すだ みつちか 通常版 北信濃 1549 (1534-1598)信濃の豪族。信濃の一向一揆衆を指導した。のち上杉景勝に仕え、北陸の一向一揆対策の責任者となる。信濃海津城主を務め、徳川家康の信濃侵攻軍と戦った。
須田 満親 国人衆荷駄
[外交] [槍衾] [混乱]  624968 7175 23
すだ ながよし 通常版 北信濃 1594 (1579-1615)上杉家臣。梁川城代。満親の子。関ヶ原合戦では本庄繁長と協力し、伊達政宗軍を福島口に撃破する。大坂の陣でも軍功を立て、徳川秀忠から感状をもらった。
須田 長義 国人衆鉄砲
[改修] [雨撃]  514057 4860 23
しまづ ただなお 通常版 北信濃 1549 (1534-1604)信濃の豪族。長沼城主。武田信玄に居城を追われ、上杉謙信を頼り、以後は上杉家に仕える。武田家滅亡後、旧領を復した。のちに主家の会津移封に従った。
島津 忠直 武将
[捕縛]  353338 2645 30
ふたつぎ しげよし 通常版 南信濃 1545 (1530-1611)小笠原家臣。本能寺の変後、徳川家康の援護で上杉家麾下の小笠原貞種を深志城から退却させ、主家の旧領復帰を実現させた。のちに「二木家記」を著した。
二木 重吉 武将荷駄
[改修] [槍衾]  364337 3585 3
すわ よりみつ 通常版 南信濃 1483 (1480-1539)信濃の戦国大名。諏訪大社の大祝を務める。金刺家を滅ぼして諏訪地方を平定、隣国の武田信虎と戦うなど、諏訪家の勢力回復に尽力した、諏訪家中興の英主。
諏訪 頼満 旧仏教
[登用] [奉仕] [連射] [説得]  789290 8380 13
すわ よりしげ 通常版 南信濃 1530 (1516-1542)信濃の戦国大名。祖父・頼満の死後、諏訪大社大祝に就任。義兄・武田信玄と戦い、敗北。幽閉の後、自害させられた。娘は信玄の側室となり、勝頼を産んだ。
諏訪 頼重 旧仏教
[激励] [連射]  375512 6255 13
すわ みつちか 通常版 南信濃 1515 (1500-1545)頼満の四男。甥・頼重の死後、諏訪領で横暴をふるった諏訪家の庶流・高遠頼継を討つため、武田信玄と結ぶ。頼継を討った後、諏訪家は武田家に属した。
諏訪 満隣 旧仏教
[回復] [捕縛]  615767 4775 13
すわ よりただ 通常版 南信濃 1545 (1536-1606)武田家臣。満隣の子。主家統治下で諏訪大社大祝に就任した。主家滅亡後は諏訪を平定し自立。一時北条家に属すが、のちに徳川家に仕え、本領を安堵された。
諏訪小太郎頼忠 旧仏教騎馬
[改修] [外交]  473337 880 13
たかとお よりつぐ 通常版 南信濃 1528 (1513-1552)信濃の豪族。高遠家は諏訪信員を始祖とする諏訪家の庶流。武田信玄とともに諏訪宗家を滅ぼすが、諏訪領に横暴をふるって信玄と対立、攻撃を受け滅亡した。
高遠 頼継 旧仏教
[混乱]  151042 5155 35
ほしな まさとし 通常版 南信濃 1524 (1509-1593)武田家臣。信濃高遠城主。信濃先方衆として各地の合戦に従軍した。「槍弾正」の異名をとり、「甲陽軍鑑」には戦国三弾正の1人として名を挙げられている。
保科甚四郎正俊 国人衆騎馬
[槍衾]  234936 5340 73
きそ よしあり 通常版 南信濃 1504 (1493-1558)信濃木曾谷の豪族。温和な人柄で、父・義元の頃から対立状態にあった飛騨の三木家との関係修復に尽力、領内の治政安定に努めた。「風流太守」と呼ばれた。
木曾源太郎義在 武将
[開墾] [引抜] [収拾] [槍衾]  796476 4980 83
てらしま もとさだ 通常版 越中 1530 (1515-1569)神保家臣。越中池田城主。一向一揆や椎名家との交渉などで活躍した。主家内紛の際は神保長住とともに武田方に属し、上杉謙信の軍と戦うが敗れ、降伏した。
寺島 職定 武将
[商業] [回復]  134918 3580 73
しいな ながつね 通常版 越中 1514 (1499-1543)越中の豪族。兄・慶胤が長尾為景と戦って敗死したため、家督を継ぐ。のちに為景に降伏し、新川郡守護代となった為景の又守護代となり、新川郡を支配した。
椎名 長常 武将
[守戦]  216638 3060 38
しいな やすたね 通常版 越中 1520 (1516-1576)越中の豪族。松倉城主。上杉謙信の従兄弟・長尾景直を養子とし、謙信と結ぶ。しかし、のちに武田家と結んだため、謙信の攻撃を受け、敗死したという。
椎名 康胤 武将騎馬
[登用] [攻城]  273018 5860 38
ながお かげなお 通常版 南越後 1562 (1547-1581)越中の豪族。今泉城主。養父・康胤の死後、家督を継ぐ。織田信長の越中侵攻軍に敗れ、御館の乱で上杉景虎に属して敗れ逃亡、以後は織田家に属したという。
長尾小四郎景直 武将
[連射]  251320 2050 38
こま つねみつ 通常版 越中 1552 (1537-1582)椎名家臣。小間家は椎名家重臣の家柄という。神保家や領内の寺社、能登畠山家に書状を出すなど、おもに外交に手腕を発揮した。主君・長常の偏諱を受けた。
小間 常光 武将荷駄
[外交]  462136 5455 31
はたけやま よしつぐ 通常版 加賀能登 1532 (1517-1590)能登守護。義総の嫡男。相次ぐ内乱で権力を失い、重臣の台頭を許す。子・義綱と協力して実権を回復するが、のちに重臣たちに反発され、能登を追放された。
畠山 義続 武将騎馬
[登用] [守戦]  503424 5270 83
はたけやま よしつな 通常版 加賀能登 1550 (1535-1593)能登守護。義続の嫡男。父とともに実権の回復に尽力するが、重臣らに追放されて失敗に終わる。その後、何度も能登入国を試みるが、すべて失敗に終わった。
畠山次郎義綱 武将
[逃亡]  404029 4180 83
はたけやま よしたか 通常版 加賀能登 1571 (1556-1576)能登の戦国大名。義綱の子。兄・義慶が当主となると、二本松伊賀守と名乗り、義慶を補佐した。義慶の変死後、畠山の家督を相続するが、間もなく急死した。
畠山 義隆 武将荷駄
[回復]  37479 3465 83
ゆさ ひでより 通常版 加賀能登 1520 (1505-1554)畠山家臣。能登守護代を務めた。将軍・足利義晴との外交などで活躍した。のちに温井総貞と対立し、羽咋郡一宮で温井軍と戦うが敗北、生け捕りにされた。
遊佐孫右衛門秀頼 武将騎馬
[商業]  614061 4360 83

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