武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
さとみ | ただよし |
武士 | 神仏 | 29 |
(1594-1622)安房館山藩主。義康の嫡男。大久保忠隣の孫娘を娶る。忠隣失脚に連座、伯耆倉吉に配流された。「南総里見八犬伝」は忠義に殉じた8名の臣がモデルという。
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里見 |
忠義 |
44 | 24 | 15 |
38 | 36 |
31 |
通常版 | 1609 |
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なす | すけはる |
高家 | 神仏 | 54 |
(1557-1610)下野の戦国大名。資胤の嫡男。薄葉ヶ原合戦で宇都宮軍に大勝し、近隣に武名を轟かせた。豊臣秀吉の小田原征伐の際に遅参したため、所領を没収された。
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那須 |
資晴 |
31 | 34 | 26 |
33 | 36 |
56 |
通常版 | 1572 |
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ふくはら | すけたか |
武士 | 神仏 | 80 |
(1535-1614)那須七党の一。大田原資清の子。父が強制的に隠居させた福原資安の跡を継ぎ、兄・大関高増を補佐した。豊臣秀吉の小田原征伐に遅参し、所領を削られた。
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福原 |
資孝 |
45 | 37 | 63 |
46 | 36 |
55 |
通常版 | 1550 |
鼓舞 |
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しば | よしかね |
守護 | 神仏 | 61 |
(1540-1600)尾張斯波家15代当主。義統の嫡男。織田広信によって父が殺害されると、織田信長を頼って広信と戦う。のちに信長と敵対して追放され、各地を流浪した。
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斯波 |
義銀 |
24 | 10 | 18 |
32 | 36 |
22 |
通常版 | 1555 |
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おだ | のぶたか |
守護代 | 神仏 | 26 |
(1558-1583)信長の三男。伊勢の豪族・神戸具盛の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後、柴田勝家と結んで羽柴秀吉に対抗するが敗れ、秀吉の命により自害させられた。
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織田 |
信孝 |
31 | 54 | 17 |
54 | 36 |
92 |
通常版 | 1573 |
斉射・1 |
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ほそかわ | はるもと |
高家 | 神仏 | 50 |
(1514-1563)摂津の戦国大名。三好元長と結んで細川高国を討ち、政権を樹立する。のちに元長を討つが、細川氏綱を擁立した三好長慶(元長の子)に敗れ、近江に逃れた。
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細川 |
晴元 |
65 | 55 | 40 |
64 | 36 |
48 |
通常版 | 1529 |
突撃・1 |
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おおとも | よしむね |
守護 | 基督教 | 53 |
(1558-1610)大友家22代当主。義鎮の子。島津・龍造寺両家に圧迫され、豊臣秀吉を頼り豊後1国を安堵された。しかし朝鮮派兵の際に敵前逃亡を犯したため改易された。
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大友 |
義統 |
44 | 29 | 11 |
64 | 36 |
84 |
通常版 | 1573 |
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たわら | しょうにん |
僧侶 | 神仏 | 60 |
(1541-1600)大友家臣。義兄弟・宗麟の側近として国政に参画。耳川合戦の際は総大将を務めるが、諸将の統制が取れずに大敗を喫した。関ヶ原合戦の際、九州で戦死した。
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田原 |
紹忍 |
45 | 29 | 68 |
64 | 36 |
81 |
通常版 | 1556 |
混乱 |
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おおむら | よしさき |
武士 | 基督教 | 48 |
(1569-1616)肥前の豪族。三城主。純忠の嫡男。関ヶ原合戦では東軍に属し、所領を安堵される。キリスト教から日蓮宗に転じ、切支丹を迫害したため、のちに毒殺された。
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大村 |
喜前 |
36 | 39 | 25 |
44 | 36 |
21 |
通常版 | 1584 |
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おのでら | よしみち |
武士 | 神仏 | 80 |
(1566-1645)小野寺家14代当主。輝道の次男。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して、所領を安堵される。関ヶ原合戦では徳川家の出陣要請を無視したため、戦後改易された。
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小野寺 |
義道 |
24 | 54 | 5 |
39 | 36 |
49 |
PK追加 | 1581 |
突撃・1 |
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あかざ | よしいえ |
武士 | 神仏 | 44 |
(1563-1606)豊臣家臣。関ヶ原合戦では西軍に属すが朽木元綱らとともに東軍に寝返った。戦後改易されたため、加賀前田家に仕えたが、増水した越中国大門川で溺死した。
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赤座 |
吉家 |
40 | 43 | 36 |
33 | 36 |
30 |
PK追加 | 1578 |
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ぬまた | かげよし |
国人 | 神仏 | 30 |
(1552-1581)上野の豪族。顕泰の子。父が異母兄・朝憲を殺して家臣に反発された際、父とともに会津に逃れる。のちに沼田城奪回の兵を挙げるが、真田昌幸に謀殺された。
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沼田 |
景義 |
5 | 56 | 49 |
40 | 37 |
24 |
通常版 | 1567 |
突撃・1 |
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かじわら | まさかげ |
重臣 | 神仏 | 76 |
(1548-1623)佐竹家臣。太田資正の次男。手這坂の合戦で小田氏治を破り、小田城主となる。主家の秋田転封に従ったが、のちに越前福井藩主・結城秀康のもとに転仕した。
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梶原 |
政景 |
44 | 54 | 46 |
35 | 37 |
38 |
通常版 | 1563 |
突撃・1 |
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いまがわ | うじざね |
高家 | 神仏 | 77 |
(1538-1614)今川家10代当主。義元の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。しかし、蹴鞠や和歌に傾倒し、無為の日々を送る。その結果、徳川家康と武田信玄に領国を追われた。
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今川 |
氏真 |
39 | 5 | 7 |
81 | 37 |
41 |
通常版 | 1553 |
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おかべ | まさつな |
武士 | 神仏 | 42 |
(1542-1583)今川家臣。主家滅亡後は武田家に仕え、清水城主となる。駿河先方衆として三方ヶ原合戦などに従軍した。武田家滅亡後は徳川家に仕え、甲斐平定に貢献した。
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岡部 |
正綱 |
56 | 38 | 46 |
46 | 37 |
26 |
通常版 | 1557 |
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ほんだ | としひさ |
国人 | 神仏 | 65 |
(1539-1603)豊臣家臣。はじめ水野半右衛門と名乗り岩倉城主・織田信安に仕えた。のちに豊臣秀長に属し、脇坂安治の転封により高取城主となり、2万5千石を領した。
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本多 |
利久 |
37 | 43 | 29 |
40 | 37 |
22 |
通常版 | 1554 |
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にわ | ながしげ |
武士 | 神仏 | 67 |
(1571-1637)豊臣家臣。長秀の嫡男。越前北庄120万石を継ぐが、次第に減封され、関ヶ原合戦後は所領を失う。大坂の陣に従軍して活躍、陸奥白河10万石を領した。
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丹羽 |
長重 |
38 | 45 | 32 |
37 | 37 |
03 |
通常版 | 1586 |
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たけだ | しょうようけん |
守護 | 神仏 | 55 |
(1528-1582)信虎の三男。次兄・信繁の死後、親族衆の筆頭として長兄・信玄を補佐。容貌が信玄に似ていたため、影武者も務めた。画才があり、人物画などの作品を残す。
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武田 |
逍遥軒 |
54 | 20 | 34 |
77 | 37 |
63 |
通常版 | 1543 |
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しまづ | ただなお |
国人 | 神仏 | 71 |
(1534-1604)信濃の豪族。長沼城主。武田信玄に居城を追われ、上杉謙信を頼る。以後は上杉家に仕えた。武田家滅亡後、旧領を回復した。のちに主家の会津移封に従った。
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島津 |
忠直 |
38 | 42 | 41 |
38 | 37 |
30 |
通常版 | 1549 |
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えま | ときもり |
国人 | 神仏 | 65 |
(1509-1573)飛騨の豪族。諏訪城主。三木家と争う。武田家と友好を結ぼうとするが、上杉家との関係構築を主張する嫡男・輝盛と対立し、輝盛の刺客によって殺された。
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江馬 |
時盛 |
47 | 31 | 37 |
44 | 37 |
93 |
通常版 | 1524 |
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