武将姓 | 武将名 | 出自 | 信心 | 寿命 | (生年-没年) | |||
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 | 教養 | 義理 | 相性 | 列伝 |
おおうち | よしなが | 高家 | 神仏 | 26 | (1532-1557)大内家32代当主。大友義鑑の子。大内義隆の死後、陶晴賢に擁されて大内家を継いだ。厳島合戦で晴賢が戦死したあとは毛利軍の侵攻を受け続け、自害した。 | |||
大内 | 義長 | 32 | 18 | 10 | 63 | 56 | 79 | |
通常版 | 1547 | |||||||
おおとも | そうりん | 守護 | 基督教 | 58 | (1530-1587)大友家21代当主。義鑑の子。のち宗麟と号す。最盛期には九州6カ国を領したが、耳川合戦で島津軍に敗れて家臣を多数失い、以後は没落の一途をたどった。 | |||
大友 | 宗麟 | 78 | 73 | 67 | 74 | 2 | 84 | |
通常版 | 1545 | 斉射・2 | 破壊 | |||||
おおとも | よしむね | 守護 | 基督教 | 53 | (1558-1610)大友家22代当主。義鎮の子。島津・龍造寺両家に圧迫され、豊臣秀吉を頼り豊後1国を安堵された。しかし朝鮮派兵の際に敵前逃亡を犯したため改易された。 | |||
大友 | 義統 | 44 | 29 | 11 | 64 | 36 | 84 | |
通常版 | 1573 | |||||||
たわら | ちかいえ | 守護 | 基督教 | 81 | (1561-1641)大友家臣。宗麟の次男。父の命で僧侶となるが、武術に励み、のちに還俗。島津義久に通じたため、所領を没収される。主家改易後は肥後細川家などに仕えた。 | |||
田原 | 親家 | 24 | 54 | 22 | 59 | 59 | 86 | |
通常版 | 1576 | 槍衾・1 |