武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
とおやま | つなかげ |
武士 | 神仏 | 47 |
(1518-1564)北条家臣。江戸衆筆頭。連歌師・宗牧を居城・江戸城に招き、連歌会を催した。第二次国府台合戦の際には先鋒を務めて里見軍と激戦を繰り広げ、戦死した。
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遠山 |
綱景 |
45 | 55 | 49 |
64 | 52 |
84 |
通常版 | 1533 |
突撃・1 |
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じょうじょう | まさしげ |
守護 | 神仏 | 91 |
(1553-1643)上杉家臣。畠山義続の次男。上杉謙信の養子となり上条家を継ぐ。上野・越中などを転戦した。謙信の死後、上杉景勝と対立して出奔、以後は徳川家に仕えた。
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上条 |
政繁 |
54 | 54 | 44 |
56 | 51 |
84 |
通常版 | 1568 |
突撃・1 |
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ゆさ | つぐみつ |
守護代 | 神仏 | 55 |
(1527-1581)畠山家臣。温井家との政争に敗れて出奔するが、和睦して帰参する。のちに上杉家に通じて能登を治めるが、織田家の台頭により逐電し、捕縛され斬首された。
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遊佐 |
続光 |
58 | 41 | 67 |
55 | 11 |
84 |
通常版 | 1542 |
混乱 |
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ゆさ | もりみつ |
守護代 | 神仏 | 35 |
(1547-1581)畠山家臣。続光の子。年寄衆として政権に参画。上杉家に通じて長家を追い落とす。織田家の勢力が及ぶと長家の攻撃を受け逐電するが、捕縛され斬首された。
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遊佐 |
盛光 |
40 | 10 | 54 |
51 | 22 |
84 |
通常版 | 1562 |
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たかやま | ともてる |
武士 | 基督教 | 69 |
(1527-1595)織田家臣。荒木村重に属して高槻城主となる。村重の謀叛に同調、村重の敗走後は越前の柴田勝家に預けられた。のち各地を流浪した。切支丹として著名。
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高山 |
友照 |
48 | 43 | 51 |
56 | 32 |
84 |
通常版 | 1542 |
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やすみ | なおまさ |
武士 | 神仏 | 38 |
(1534-1571)畠山家臣。河内交野城主。河内守護代を務めた。主君・高政を紀伊に追放し、高政の弟・昭高を擁立する。のち織田信長の畿内平定軍に降り、本願寺と戦った。
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安見 |
直政 |
55 | 35 | 64 |
55 | 28 |
84 |
通常版 | 1549 |
挑発 |
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なかむら | はるつぐ |
武士 | 神仏 | 53 |
(1529-1581)山名家臣。羽柴秀吉に降伏した主君・豊国を鳥取城から追い、毛利家より吉川経家を城主に招いた。しかし、秀吉の「渇え殺し」戦法によって敗れ、自害した。
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中村 |
春続 |
37 | 44 | 63 |
45 | 37 |
84 |
通常版 | 1544 |
収拾 |
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おおとも | そうりん |
守護 | 基督教 | 58 |
(1530-1587)大友家21代当主。義鑑の子。のち宗麟と号す。最盛期には九州6カ国を領したが、耳川合戦で島津軍に敗れて家臣を多数失い、以後は没落の一途をたどった。
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大友 |
宗麟 |
78 | 73 | 67 |
74 | 2 |
84 |
通常版 | 1545 |
斉射・2 |
破壊 |
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おおとも | よしむね |
守護 | 基督教 | 53 |
(1558-1610)大友家22代当主。義鎮の子。島津・龍造寺両家に圧迫され、豊臣秀吉を頼り豊後1国を安堵された。しかし朝鮮派兵の際に敵前逃亡を犯したため改易された。
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大友 |
義統 |
44 | 29 | 11 |
64 | 36 |
84 |
通常版 | 1573 |
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たかはし | しょううん |
武士 | 神仏 | 39 |
(1548-1586)大友家臣。筑前岩屋城主。吉弘鑑理の次男。立花道雪と双璧をなした猛将。島津軍5万の軍勢を居城にてわずか7百の兵で迎撃、敵兵多数を道連れに玉砕した。
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高橋 |
紹運 |
19 | 82 | 63 |
54 | 100 |
84 |
通常版 | 1563 |
突撃・2 |
鉄壁 |
収拾 |
たちばな | どうせつ |
武士 | 神仏 | 73 |
(1513-1585)大友家臣。立花城西城督。落雷で歩行不能となるが、輿に乗って常に大友軍の先陣を切り「鬼道雪」の異名をとった。生涯を軍陣で過ごした、家中随一の猛将。
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立花 |
道雪 |
48 | 88 | 77 |
63 | 94 |
84 |
通常版 | 1528 |
槍衾・3 |
軍神 |
挑発 |
たちばな | むねしげ |
武士 | 神仏 | 76 |
(1567-1642)大友家臣。高橋紹運の子。立花道雪の娘を娶る。豊臣秀吉に「忠義と剛勇は鎮西一」と評された。関ヶ原合戦で西軍に属して改易されるが、のち旧領に復した。
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立花 |
宗茂 |
54 | 83 | 61 |
55 | 97 |
84 |
通常版 | 1582 |
突撃・2 |
神速 |
混乱 |
とみた | のぶたか |
武士 | 神仏 | 70 |
(1564-1633)豊臣家臣。関ヶ原合戦では東軍に属し、伊勢安濃津城に籠城するが敗れ、高野山に登る。戦後、召し出されて伊予宇和島12万石を領すが、のちに改易された。
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富田 |
信高 |
44 | 56 | 51 |
42 | 45 |
84 |
PK追加 | 1579 |
槍衾・1 |
鼓舞 |
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とくがわ | いえみつ |
武士 | 神仏 | 48 |
(1604-1651)徳川幕府3代将軍。秀忠の次男。参勤交代制の確立、武家諸法度の改定、鎖国の実施など、のちに「寛永の治」と呼ばれる政治を行い、幕府の安定を図った。
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徳川 |
家光 |
81 | 60 | 53 |
66 | 65 |
84 |
PK追加 | 1619 |
斉射・1 |
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ゆふ | これのぶ |
武士 | 神仏 | 86 |
(1527-1612)立花家臣。道雪にちなみ「雪下」と号した。参加した合戦は六十五以上という猛将。関ヶ原合戦で主家が改易された後も宗茂を助け、立花家の再興に尽力した。
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由布 |
惟信 |
65 | 69 | 59 |
55 | 91 |
84 |
PK追加 | 1542 |
槍衾・1 |
鼓舞 |
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