武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おだ | のぶなが |
守護代 | 神仏 | 49 |
(1534-1582)信秀の嫡男。今川義元を桶狭間で破る。以後、天下布武を標榜して敵対勢力を次々と滅ぼした。天下統一を目前にして、明智光秀の謀叛に遭い本能寺に散った。
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織田 |
信長 |
90 | 82 | 86 |
76 | 40 |
00 |
通常版 | 1549 |
斉射・2 |
神速 |
破壊 |
おだ | のぶただ |
守護代 | 神仏 | 26 |
(1557-1582)信長の嫡男。松永久秀の謀叛鎮圧や甲斐平定戦などで功を立てた。信長から家督を譲られ、美濃・尾張の2国を領する。本能寺の変の際、二条御所で自害した。
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織田 |
信忠 |
60 | 64 | 45 |
63 | 84 |
00 |
通常版 | 1572 |
斉射・1 |
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おだ | ひでのぶ |
守護代 | 神仏 | 26 |
(1580-1605)信忠の嫡男。本能寺の変後、羽柴秀吉に擁立されて3歳で織田家を継ぐが、実権は秀吉に奪われた。関ヶ原合戦で西軍に加担して敗北し、高野山で出家した。
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織田 |
秀信 |
44 | 32 | 10 |
23 | 75 |
01 |
通常版 | 1595 |
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おだ | のぶかつ |
守護代 | 神仏 | 73 |
(1558-1630)信長の次男。伊勢国司・北畠家の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後は豊臣家に従属した。小田原征伐後、徳川家康の旧領への転封を拒否し、改易された。
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織田 |
信雄 |
18 | 18 | 8 |
62 | 6 |
96 |
通常版 | 1573 |
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おだ | のぶたか |
守護代 | 神仏 | 26 |
(1558-1583)信長の三男。伊勢の豪族・神戸具盛の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後、柴田勝家と結んで羽柴秀吉に対抗するが敗れ、秀吉の命により自害させられた。
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織田 |
信孝 |
31 | 54 | 17 |
54 | 36 |
92 |
通常版 | 1573 |
斉射・1 |
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おだ | のぶかつ |
守護代 | 神仏 | 22 |
(1536-1557)信秀の次男。名は信行とも。うつけと呼ばれた兄・信長に対し、利発で家中の評判が良かった。林秀貞らに擁立されて家督を争うが、清洲城で信長に殺された。
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織田 |
信勝 |
47 | 30 | 27 |
66 | 49 |
79 |
通常版 | 1551 |
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つだ | のぶずみ |
守護代 | 神仏 | 28 |
(1555-1582)信勝の子。伯父・信長に仕える。明智光秀の娘を娶った。「一段の逸物」と評された器量の持ち主であったが、本能寺の変の際に、従兄弟・信孝に殺された。
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津田 |
信澄 |
37 | 47 | 31 |
61 | 47 |
79 |
通常版 | 1570 |
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おだ | のぶかね |
守護代 | 神仏 | 72 |
(1543-1614)信秀の四男。越前攻めや石山本願寺攻めに参戦した。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、秀吉の子・秀頼の傅役を務めた。娘は秀吉の側室となり、寵愛された。
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織田 |
信包 |
50 | 44 | 21 |
56 | 53 |
01 |
通常版 | 1558 |
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おだ | うらくさい |
守護代 | 神仏 | 75 |
(1547-1621)信秀の十男。有楽斎と号す。茶の湯に傾倒し、利休七哲の1人となった。兄・信長の死後は豊臣家に属すが、大坂の陣直前に徳川方に通じ、大坂城を退去した。
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織田 |
有楽斎 |
39 | 7 | 1 |
78 | 31 |
01 |
通常版 | 1562 |
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おだ | のぶみつ |
守護代 | 神仏 | 40 |
(1516-1555)信定の子。武勇に優れ、今川家との小豆坂合戦では殿軍を務めた。甥・信長の清洲城攻略戦で活躍し、那古野城主となるが、その数カ月後に家臣に謀殺された。
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織田 |
信光 |
45 | 52 | 46 |
38 | 50 |
01 |
通常版 | 1531 |
斉射・1 |
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