武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
さけのべ | ひでつな |
国人 | 神仏 | 85 |
(1562-1646)小野寺家臣。鮭延城主。貞綱の子。最上義光との合戦に敗れ、家臣となる。仙北地方で起こった一揆の鎮圧や、最上領に侵入した上杉軍との戦いで功を立てた。
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鮭延 |
秀綱 |
34 | 63 | 62 |
45 | 41 |
48 |
通常版 | 1577 |
突撃・1 |
破壊 |
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だいほうじ | よしうじ |
僧侶 | 神仏 | 33 |
(1551-1583)出羽の豪族。義増の子。合戦に明け暮れて領政を軽んじたため、領民から「悪屋形」と憎悪された。最上義光に通じた家臣・前森蔵人に謀叛され、自害した。
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大宝寺 |
義氏 |
24 | 59 | 6 |
54 | 26 |
48 |
通常版 | 1566 |
突撃・1 |
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あねがこうじ | よしより |
高家 | 神仏 | 57 |
(1516-1572)飛騨の豪族。直頼の子。飛騨国司・姉小路家の名跡を継ぎ、姉小路姓を名乗る。上杉謙信に通じ、武田信玄と結んだ江馬家との間で軍事・外交戦を繰り広げた。
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姉小路 |
良頼 |
54 | 54 | 52 |
54 | 54 |
48 |
通常版 | 1531 |
突撃・1 |
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あねがこうじ | よりつな |
高家 | 神仏 | 48 |
(1540-1587)飛騨の豪族。良頼の長男。近隣の豪族を討ち、飛騨の統一を果たす。本能寺の変後、佐々成政と結んで羽柴秀吉に対抗したが敗れ、京都に隠棲。同地で没した。
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姉小路 |
頼綱 |
57 | 58 | 66 |
56 | 47 |
48 |
通常版 | 1555 |
突撃・1 |
鼓舞 |
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ほそかわ | はるもと |
高家 | 神仏 | 50 |
(1514-1563)摂津の戦国大名。三好元長と結んで細川高国を討ち、政権を樹立する。のちに元長を討つが、細川氏綱を擁立した三好長慶(元長の子)に敗れ、近江に逃れた。
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細川 |
晴元 |
65 | 55 | 40 |
64 | 36 |
48 |
通常版 | 1529 |
突撃・1 |
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かがわ | もとかげ |
国人 | 神仏 | 70 |
(1515-1584)細川家臣。天霧城主。主家の没落後は三好家に従う。のち織田信長に通じるが、長宗我部元親の讃岐侵攻軍に降り、元親の次男・親和を養子とし家督を譲った。
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香川 |
元景 |
45 | 41 | 48 |
47 | 21 |
48 |
通常版 | 1530 |
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しちじょう | かねなか |
国人 | 神仏 | 35 |
(1548-1582)阿波の豪族。七条城主。中富川合戦で敗死した。怪力の豪傑で、武勇伝が多数伝承されている。大山寺で催される「力餅大会」は伝承の1つに由来するという。
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七条 |
兼仲 |
1 | 70 | 1 |
2 | 48 |
48 |
通常版 | 1563 |
槍衾・1 |
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たまる | なおまさ |
武士 | 神仏 | 57 |
(1551-1607)蒲生家臣。田丸城主。主君・氏郷の妹を娶った。のちに美濃岩村4万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属して改易され、越後へ追放されるが、のちに許された。
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田丸 |
直昌 |
43 | 28 | 10 |
54 | 85 |
48 |
PK追加 | 1566 |
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