武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
いしかわ | | さだきよ |
PK追加 |
尾張 |
1574 |
(1559-1625)豊臣家臣。尾張犬山城主を務める。関ヶ原合戦では西軍に属して勇戦。戦後、改易されるが死は免れる。その後は剃髪して宗林と号し、京都で金融業を営んだ。 |
石川 | 兵蔵 | 貞清 |
武将 | 弓 |
[開墾] [捕縛] |
44 | 47 | 30 |
44 | 65 |
65 |
いしかわ | | さだまさ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1590 |
(1575-1657)豊臣家臣。関ヶ原合戦の際は東軍として一番首を得るなど奮戦した。その後は秀頼に仕えたが、大坂冬の陣直前に高野山に入る。主家滅亡後は徳川家に仕えた。 |
石川 | 土用之助 | 貞政 |
武将 | 騎馬 |
[捕縛] |
49 | 55 | 44 |
57 | 50 |
85 |
いなば | | のりみち |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1581 |
(1566-1626)豊臣家臣。貞通の長男。九州征伐の際、主君・秀吉の勘気を蒙り蟄居するが、のちに復帰し、各地の合戦に従軍。父の死後家督を継ぎ、大坂冬の陣に出陣した。 |
稲葉 | 彦六 | 典通 |
武将 | 槍 |
[三段] |
49 | 43 | 40 |
55 | 75 |
95 |
こいで | | ひでまさ |
PK追加 |
尾張 |
1555 |
(1540-1604)豊臣家臣。和泉岸和田3万石を領す。主君・秀吉から秀頼の補佐を頼まれた。関ヶ原合戦では西軍に属すが、次男・秀家が東軍に与したため本領を安堵された。 |
小出 | 甚左衛門 | 秀政 |
武将 | 荷駄 |
[訓練] |
48 | 40 | 40 |
45 | 65 |
25 |
こおり | | むねやす |
PK追加 |
摂津河内 |
1561 |
(1546-1615)豊臣家臣。馬廻を務めた。関ヶ原合戦では西軍に属し大津城攻撃に参加。主君・秀頼の近侍として諸大名との交渉を担当した。大坂城落城時に、秀頼に殉じた。 |
郡 | 十右衛門 | 宗保 |
国人衆 | 弓 |
[守戦] |
49 | 52 | 46 |
52 | 65 |
15 |
まつだいら | | まさゆき |
PK追加 |
三河 |
1626 |
(1611-1672)秀忠の四男。武田信玄の娘・見性院に養育された。会津藩主として「会津家訓」を制定、藩政の基調を定める一方、4代将軍・家綱を補佐し幕政にも携わった。 |
松平 | 幸松 | 正之 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] [登用] [収拾] [混乱] |
81 | 39 | 68 |
34 | 95 |
85 |
ふくはら | | ながたか |
PK追加 |
近江 |
1578 |
(1563-1600)豊臣家臣。石田三成の娘婿。朝鮮派兵の際は奉行として渡海した。関ヶ原合戦では西軍に属し、大垣城を守備。主力が敗北したために開城し、半月後自害した。 |
福原 | | 長堯 |
武将 | 槍 |
[守戦] |
46 | 53 | 38 |
54 | 60 |
35 |
ほった | | もりしげ |
PK追加 |
尾張 |
1586 |
(1571-1615)豊臣家臣。馬廻を務めた。関ヶ原合戦では石田三成の挙兵を徳川家康に報じたものの、西軍に属し伏見城を攻撃。大坂落城の際、主君・秀頼に殉じて自害した。 |
堀田 | | 盛重 |
武将 | 弓 |
[収拾] |
46 | 50 | 48 |
50 | 50 |
75 |
ほり | | ひでたね |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1580 |
(1565-1616)豊臣家臣。堀秀重の次男。関ヶ原合戦では西軍に属して大津城攻めに参加。戦後改易され、甥・堀秀治を頼った。のちに前田利常に仕え、大坂の陣に従軍した。 |
堀 | 源助 | 秀種 |
武将 | 荷駄 |
[激励] |
46 | 46 | 39 |
55 | 60 |
5 |
ほり | | なおより |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1592 |
(1577-1639)堀家臣。直政の次男。庶兄・直次との対立により減封されるが、駿府城失火の際に功があり、加増される。大坂の陣での功により、越後村上10万石を領した。 |
堀 | 三十郎 | 直竒 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] [突撃] |
49 | 54 | 37 |
51 | 85 |
5 |
まつした | | しげつな |
PK追加 |
三河 |
1594 |
(1579-1627)豊臣家臣。父・之綱は若い頃の豊臣秀吉を養っていたことで知られる。関ヶ原合戦では東軍に属した。大坂の陣での功などにより、陸奥二本松5万石を領した。 |
松下 | 左助 | 重綱 |
国人衆 | 弓 |
[登用] |
52 | 38 | 46 |
43 | 80 |
15 |
やまぐち | | まさひろ |
PK追加 |
尾張 |
1578 |
(1563-1600)豊臣家臣。地方支配にすぐれたという。一時小早川秀秋の補佐役を務めるが、不和になり出奔した。関ヶ原合戦では西軍に属し、前田利長との戦いで戦死した。 |
山口 | | 正弘 |
国人衆 | 騎馬 |
[奉仕] [説得] |
64 | 44 | 40 |
57 | 70 |
59 |
ほうじょう | | まさこ |
諸王 |
武蔵 |
1531 |
(1520-1588)源頼朝の妻。頼朝の死後、子の頼家が北条家の勢力を排除しようとすると、父・時政と協力してこれを幽閉。その後、幕府の実権を握り、尼将軍と呼ばれた。 |
北条 | | 政子 |
武将 | 槍 |
[開墾] [登用] [外交] 0 |
72 | 6 | 69 |
85 | 80 |
35 |
ほうじょう | | ときまさ |
諸王 |
武蔵 |
1520 |
(1505-1582)源頼朝の妻である北条政子の父。源氏の挙兵以来、常に頼朝の傍らにいて平家討伐を支援する。頼朝が死亡すると跡継ぎを失脚させ、執権となり権力を握った。 |
北条 | | 時政 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [訓練] [収拾] [逃亡] |
65 | 41 | 59 |
83 | 65 |
45 |
あしかが | | よしみつ |
諸王 |
大和 |
1555 |
(1540-1595)室町幕府第3代将軍。南北朝を統一し、明との国交を開いて勘合貿易を始める。公家文化を好み、北山文化の興隆に貢献した。 |
足利 | | 義満 |
武将 | 槍 |
[改修] [外交] [貿易] [説得] |
98 | 63 | 95 |
100 | 60 |
52 |
いっきゅう | | そうじゅん |
諸王 |
大和 |
1569 |
(1554-1641)室町時代の禅僧。全国を行脚し、ひろく民衆に慕われる。その人気から江戸時代以降には、小僧時代の一休の頓知咄が多く作られた。 |
一休 | | 宗純 |
旧仏教 | 槍 |
[開墾] [引抜] [逃亡] [混乱] |
57 | 11 | 125 |
1 | 90 |
55 |
にながわ | | ちうん |
諸王 |
大和 |
1560 |
(1545-1600)室町中期の武将、連歌師。蜷川新右衛門と称す。幕府では政所公役をつとめる。一休宗純や梵灯に連歌を学び、『親当句集』などの作品を残した。 |
蜷川 | | 智蘊 |
武将 | 槍 |
[訓練] [回復] [剣豪] [槍衾] |
58 | 62 | 48 |
5 | 95 |
56 |
ふびらい | | はーん |
諸王 |
北越後 |
1563 |
(1548-1627)チンギスハーンの孫。モンゴル帝国の第5代ハーン。南宋を滅ぼして中国を統一し、国号を元とする。東南あじあや朝鮮を属国とし、日本にも兵を送った。 |
フビライ | | ハーン |
武将 | 騎馬 |
[商業] [登用] [貿易] [突撃] |
116 | 76 | 95 |
95 | 70 |
25 |
じゃんぬ | | だるく |
諸王 |
阿波 |
1564 |
(1553-1583)百年戦争末期に現れたフランスの少女。王太子・シャルルを救出すると、わずか1年で戦局を逆転させ、仏軍を優位に導く。英軍に捕らえられ、処刑された。 |
ジャンヌ | | ダルク |
切支丹 | 騎馬 |
[開墾] [激励] [軍神] [突撃] |
40 | 80 | 51 |
5 | 100 |
58 |
じる | | どれ |
諸王 |
阿波 |
1560 |
(1545-1581)フランスの貴族。ジャンヌダルクと共に戦い、オルレアンを解放した功で元帥となる。職を辞してからは、奇行を繰り返し、教会裁判にかけられ処刑された。 |
ジル | | ドレ |
切支丹 | 騎馬 |
[改修] [捕縛] [突撃] 0 |
41 | 67 | 59 |
44 | 70 |
57 |