『信長の野望 嵐世記』武将総覧

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
みながわ しげかつ 通常版 下野 1505 (1490-1551)下野の豪族。皆川城主。1538年、宇都宮尚綱が宇都宮大明神において能・狂言を催した際、必要な道具を貸したという。宇都宮家とは和戦を繰り返した。
皆川 成勝 国人衆荷駄
[商業] [槍衾]  434348 3760 56
なす まさすけ 通常版 下野 1522 (1507-1546)下野の戦国大名。那須家は藤原道長の曾孫・資家が始祖。資隆の代ではじめて那須姓を称した。資隆の子が、屋島の合戦で扇の的を射抜いた与一宗隆である。
那須 政資 武将
[連射]  505450 5575 56
なす すけはる 通常版 下野 1572 (1557-1610)下野の戦国大名。資胤の嫡男。薄葉ヶ原合戦で宇都宮軍に大勝し、近隣に武名を轟かせた。豊臣秀吉の小田原征伐の際に遅参したため、所領を没収された。
那須弥太郎資晴 武将
[激励] [連射]  263630 4555 56
おおぜき むねます 通常版 下野 1477 (1462-1544)那須七党の一。大田原資清を主君・資房に讒言しこれを追放する。しかし、のちに資清により子・増次を討たれ、資清の子・高増へ強制的に家督を譲らされた。
大関 宗増 武将
[引抜] [連射]  696169 6145 56
おおぜき ますつぐ 通常版 下野 1533 (1518-1542)那須七党の一。白旗城主。宗増の嫡男。少数の供を連れて鷹狩りに赴いた際に、大関家に恨みを持つ大田原資清の軍勢に襲われ、石井沢で戦うが敗死した。
大関 増次 武将
[改修]  282115 4460 56
さいとう としみつ 通常版 美濃飛騨 1549 (1534-1582)斎藤家臣。主家滅亡後は、明智光秀の家老となる。本能寺の変や山崎合戦に従軍し、敗戦後捕らえられ、斬首された。娘は、徳川家光の乳母を務めた春日局。
斎藤 利三 武将騎馬
[登用] [攻城]  286240 4490 56
あけち みつひで 通常版 美濃飛騨 1543 (1528-1582)織田家臣。優れた才知と教養により信長に重用されたが、突如謀叛を起こし、信長を本能寺に討つ。しかし事後調略に失敗し山崎合戦で敗北、土民に殺された。
明智十兵衛光秀 武将鉄砲
[改修] [外交] [茶湯] [三段]  866682 7955 56
あけち ひでみつ 通常版 美濃飛騨 1552 (1537-1582)明智家臣。岳父・光秀のもとで本能寺の変に加担した。山崎合戦では安土城を守るが、本軍の敗報を受けて坂本城に退却し、財宝を包囲軍に譲渡して自害した。
明智弥平次秀満 武将
[茶湯] [三段]  436041 4695 56
ただ みつより 通常版 甲斐 1516 (1501-1563)武田家臣。甲陽五名臣の1人。美濃の出身。信州虚空蔵山の砦において、地獄の妖婆・火車鬼を退治したという伝説を持つ。夜襲の采配は家中随一と謳われた。
多田三八満頼 武将荷駄
[収拾] [槍衾]  166170 4770 56
みよし ちょうけい 通常版 摂津河内 1532 (1523-1564)細川家臣。主家の実権を奪って勢力を拡大、主君・晴元を追放して畿内の掌握に成功した。しかし嫡男・義興や弟たちの死後は心身に支障をきたし、病死した。
三好孫二郎長慶 武将
[商業] [引抜] [連射] [攻城]  846283 9535 56
かわむら じゅうきち 通常版 周防長門 1590 (1575-1648)伊達家臣。算術、水利に精通し、北上川の改修工事をはじめとして数々の土木事業を担当する。実質200万石といわれた仙台藩の経済基盤の礎を作り上げた。
川村孫兵衛重吉 武将鉄砲
[開墾] [検地] [治水]  75214 460 56
かわかみ ただかつ 通常版 薩摩大隅 1522 (1507-1592)島津家臣。薩摩串木野城主。島津実久に属すも、島津忠良に降り、3年間甑島に配流となった。のち家老を務め、白山権現の再興に尽力するなど活躍した。
川上又九郎忠克 武将荷駄
[商業]  354851 6745 56
かわかみ ひさあき 通常版 薩摩大隅 1551 (1536-1568)島津家臣。忠克の子。島津家の看経所に名を残した4人のうちの一人。18歳の時には主君・義久から守護代に推されたという。薩摩大口城攻めで戦死した。
川上源三郎久朗 武将騎馬
[開墾] [収拾] [突撃]  615956 5380 56
にながわ ちうん 諸王 大和 1560 (1545-1600)室町中期の武将、連歌師。蜷川新右衛門と称す。幕府では政所公役をつとめる。一休宗純や梵灯に連歌を学び、『親当句集』などの作品を残した。
蜷川 智蘊 武将
[訓練] [回復] [剣豪] [槍衾]  586248 595 56
かわかみ ようすけ 諸勢力 南信濃 1553 (1538-1623)諏訪の商人。用介は実際は飛騨船津町の商人。紅粉屋と称した回国行商人だったが、のちに飛騨諏訪城主・江馬時盛から商人取り締まりの権限を与えられた。
河上 用介 都市
[商業] [茶湯]  525656 5745 56
しまい しげひさ 諸勢力 筑前 1554 (1539-1615)博多の商人。島井家は博多の豪商で、茂久・宗室と代を伝えた。豊臣秀吉の特権商人となり、神屋宗湛とともに戦乱で荒らされた博多の復興に尽力した。
島井 茂久 都市
[商業] [茶湯]  405251 5750 56
こうしょうじ どうち 諸勢力 安芸備後 1557 (1542-1614)安芸備後の僧侶。光照寺は1216年に開かれた西日本で最初の一向宗の寺院。戦国時代の安芸・備後は一向宗門徒が増え「安芸門徒」が形成されるに至った。
光照寺 道知 一向宗
[外交]  474653 5070 56
たまる なおまさ 諸勢力 伊勢志摩 1600 (1585-1649)伊勢志摩の国人。直昌は実際は北畠家臣で、田丸城主。主家滅亡後は豊臣秀吉に仕え、義兄・蒲生氏郷の与力となった。関ヶ原合戦で西軍に属し、改易された。
田丸 直昌 国人衆
[貿易]  444442 4695 56
らくがんじ まさかた 諸勢力 北信濃 1562 (1547-1632)北信濃の国人。雅方は実際は村上家臣で楽巌寺城主。はじめ楽巌寺の僧であったが、還俗。武田家の信濃侵攻軍に対抗するが敗れ、以後は武田家に従属した。
楽巌寺 雅方 国人衆騎馬
[開墾]  444359 5190 56
かくみ さえもん 諸勢力 土佐 1565 (1550-1622)土佐の国人。左衛門は実際は土佐一条家臣。主家と縁戚関係を結んだ。主君・兼定追放後、兼定を追放した家老衆を討つが、結果的に主家を滅亡に導いた。
加久見 左衛門 国人衆騎馬
[開墾] [登用]  464356 4995 56

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