武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
いわま | | さくえもん |
諸勢力 |
羽後 |
1539 |
(1524-1616)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
岩間 | | 作右衛門 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
54 | 54 | 63 |
59 | 35 |
95 |
うの | | とうえもん |
諸勢力 |
武蔵 |
1563 |
(1548-1625)品川の商人。藤右衛門は実際は下野の売薬商人で、下野佐野の領主・佐野昌忠から「外郎丸薬」を日光町で商うことを許された。品川は宿場町としても栄えた。 |
宇野 | | 藤右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
38 | 52 | 52 |
47 | 80 |
57 |
ふかや | | げきのすけ |
諸勢力 |
武蔵 |
1537 |
(1522-1619)品川の商人。深谷家は実際は常陸佐竹家に仕えた御用商人。領内の商業発展のために尽力し、主家の転封に伴って秋田に移住した。品川は港町としても栄えた。 |
深谷 | | 外記助 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
51 | 54 | 60 |
40 | 80 |
51 |
かすや | | げんざぶろう |
諸勢力 |
武蔵 |
1571 |
(1556-1618)品川の商人。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。 |
糟屋 | | 源三郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
39 | 39 | 52 |
42 | 60 |
51 |
ふくはら | | ぜんしち |
諸勢力 |
武蔵 |
1543 |
(1528-1619)品川の商人。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。 |
福原 | | 善七 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
58 | 48 | 56 |
40 | 30 |
35 |
かわかみ | | ようすけ |
諸勢力 |
南信濃 |
1553 |
(1538-1623)諏訪の商人。用介は実際は飛騨船津町の商人。紅粉屋と称した回国行商人だったが、のちに飛騨諏訪城主・江馬時盛から商人取り締まりの権限を与えられた。 |
河上 | | 用介 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
52 | 56 | 56 |
57 | 45 |
56 |
くわばら | | へいべえ |
諸勢力 |
南信濃 |
1585 |
(1570-1643)諏訪の商人。諏訪は諏訪大社の門前町として発展した。甲州街道の上諏訪宿を経て中山道の下諏訪宿に至る。上諏訪・下諏訪ともに、温泉宿場町として栄えた。 |
桑原 | | 平兵衛 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
57 | 61 | 61 |
56 | 35 |
95 |
つきやま | | せいざえもん |
諸勢力 |
南越後 |
1584 |
(1569-1642)直江津の商人。直江津は直江津港を擁する港町。直江津港は日本最古の船法度である「廻船式目」で「三津七湊」の1つに数えられた。上杉家などが支配した。 |
築山 | | 清左衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
35 | 49 | 50 |
58 | 90 |
57 |
みわ | | とうべえ |
諸勢力 |
南越後 |
1566 |
(1551-1639)直江津の商人。直江津は直江津港を擁する港町。直江津港は日本最古の船法度である「廻船式目」で「三津七湊」の1つに数えられた。上杉家などが支配した。 |
三輪 | | 藤兵衛 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
53 | 42 | 44 |
57 | 80 |
58 |
はちや | | しょうさ |
諸勢力 |
山城 |
1584 |
(1569-1621)京都の商人。紹佐は実際は奈良の商人。武野紹鴎に茶の湯を学んだ。「天王寺屋会記」などに名前が見える。松永久秀に大和多聞山城に召された際、頓死した。 |
蜂屋 | | 紹佐 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
37 | 39 | 38 |
53 | 65 |
5 |
まんじゅうや | | そうじ |
諸勢力 |
山城 |
1563 |
(1548-1631)京都の商人。宗二は実際は奈良の商人・経学者・和学者。学を好み、経書・和歌や連歌など多くの学問を学んだ。「源氏物語林逸抄」など多くの著書がある。 |
饅頭屋 | | 宗二 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
46 | 54 | 40 |
52 | 80 |
51 |
ぜにや | | そうとつ |
諸勢力 |
摂津河内 |
1577 |
(1562-1640)堺の商人。銭屋家は宗訥・宗徳と代を伝えた。宗訥は千利休に茶の湯を学び、しばしば茶会を催したという。宗徳は一釜斎と号し、千宗旦に茶の湯を学んだ。 |
銭屋 | | 宗訥 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
41 | 37 | 41 |
50 | 30 |
15 |
べにや | | そうよう |
諸勢力 |
摂津河内 |
1547 |
(1532-1625)堺の商人。会合衆を務めた。茶の湯を武野紹鴎に学び、織田信長とともに松井友閑邸で行われた茶会に出席した。のち、豊臣秀吉から闕所処分を受け逐電した。 |
紅屋 | | 宗陽 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
54 | 60 | 46 |
44 | 85 |
58 |
ひなつ | | さぶろうべえ |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1596 |
(1581-1656)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
日夏 | | 三郎兵衛 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
52 | 54 | 51 |
46 | 50 |
5 |
さかぐち | | きじゅうろう |
諸勢力 |
土佐 |
1551 |
(1536-1615)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。 |
坂口 | | 喜十郎 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
48 | 60 | 58 |
45 | 35 |
58 |
かみや | | じゅてい |
諸勢力 |
筑前 |
1568 |
(1553-1635)博多の商人。神屋家は博多の豪商で、寿禎・宗湛などが代を伝えた。紹貞は石見銀山を開き、灰吹法を用いて銀を精錬。宗湛は豊臣秀吉の特権商人として活躍。 |
神屋 | | 寿禎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
56 | 58 | 46 |
42 | 70 |
25 |
しまい | | しげひさ |
諸勢力 |
筑前 |
1554 |
(1539-1615)博多の商人。島井家は博多の豪商で、茂久・宗室と代を伝えた。豊臣秀吉の特権商人となり、神屋宗湛とともに戦乱で荒らされた博多の復興に尽力した。 |
島井 | | 茂久 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
40 | 52 | 51 |
57 | 50 |
56 |
はかたや | | そうじゅ |
諸勢力 |
筑前 |
1585 |
(1570-1659)博多の商人。宗寿は実際は和泉堺の商人で、博多出身という。茶の湯を嗜み、津田宗達や千利休を招いて茶会を催したことが「天王寺屋会記」に記されている。 |
博多屋 | | 宗寿 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
53 | 60 | 50 |
59 | 75 |
5 |
とよなが | | べつしろう |
諸勢力 |
筑前 |
1593 |
(1578-1628)博多の商人。藤四郎は実際は豊前に住んでいた商人で、豊臣秀吉の朝鮮派兵の際には伊丹屋清兵衛らとともに、豊臣軍の軍需物資の調達などに奔走した。 |
豊永 | | 別四郎 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
40 | 55 | 47 |
49 | 40 |
59 |
ほんしょうじ | | れんしゅう |
諸勢力 |
三河 |
1596 |
(1581-1652)三河の僧侶。本証寺は一向宗の寺院。三河一向一揆の際には上宮寺・勝鬢寺などとともに一向宗門徒の拠点の1つとなり徳川家康に対して頑強に抵抗した。 |
本証寺 | 蓮宗 | 蓮秀 |
一向宗 | 槍 |
[外交] |
48 | 58 | 54 |
44 | 100 |
53 |