『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
たかとお よりつぐ 通常版 南信濃 1528 (1513-1552)信濃の豪族。高遠家は諏訪信員を始祖とする諏訪家の庶流。武田信玄とともに諏訪宗家を滅ぼすが、諏訪領に横暴をふるって信玄と対立、攻撃を受け滅亡した。
高遠 頼継 旧仏教
[混乱]  151042 5155 35
ながお かげとら 通常版 南越後 1545 (1530-1578)越後の戦国大名。為景の次男。上杉憲政から関東管領職を譲られ、上杉姓を名乗る。「毘」の軍旗を翻して疾駆する姿は軍神と恐れられた。通称「越後の龍」。
長尾平三景虎 旧仏教騎馬
[訓練] [回復] [軍神] [突撃]  5712557 74100 15
おにこじま やたろう 通常版 南越後 1537 (1522-1582)上杉家臣。本名は小島貞興。少年時代から側近として主君・謙信に仕えた。剛力無双の豪傑で、「鬼小島」と呼ばれて恐れられ、数々の伝説を残している。
鬼小島貞興弥太郎 武将
[連射] [槍衾]  2762 2590 15
さいとう とものぶ 通常版 南越後 1542 (1527-1591)上杉家臣。川中島合戦や下野佐野城攻めなどで活躍し、「越後の鐘馗」の異名をとった。謙信の死後は景勝に属す。私欲なく、行政にも優れた手腕を発揮した。
斎藤 朝信 武将騎馬
[商業] [収拾] [突撃]  577158 4090 15
かわだ ながちか 通常版 近江 1555 (1540-1581)上杉家臣。近江の出身。主君・謙信上洛の際に召し出され、家臣となる。主家の北陸攻略に大きく貢献した。のちに越中松倉城主となり、織田信長軍と戦った。
河田 長親 武将鉄砲
[商業] [外交] [守戦]  575068 3865 15
はたけやま よしのり 通常版 加賀能登 1569 (1554-1574)能登の戦国大名。義綱の嫡男。祖父・義続と父が追放された後、幼年で重臣たちに擁立される。のちに重臣たちの派閥闘争に巻き込まれ、何者かに暗殺された。
畠山次郎義慶 武将騎馬
[訓練]  323935 3675 85
あさくら たかかげ 通常版 越前若狭 1508 (1493-1546)朝倉家4代当主。卓抜した政治手腕で越前国内を安定させ、朝倉家の最盛期を現出した。隣国・加賀に積極的に侵攻し、一向一揆軍と戦った。歌道にすぐれた。
朝倉孫次郎孝景 武将
[開墾] [登用] [収拾] [連射]  929091 8880 52
あさくら よしかげ 通常版 越前若狭 1546 (1533-1573)朝倉家5代当主。孝景の嫡男。将軍・足利義昭と結び織田信長包囲網の一角を担うが、次第に勢威を失う。刀禰坂合戦で敗北を喫し、一族に背かれて自害した。
朝倉孫次郎義景 武将
[引抜]  322515 7435 50
あさくら のりかげ 通常版 越前若狭 1492 (1477-1555)朝倉家臣。朝倉家初代当主・敏景の子。軍奉行を務め、周辺諸国へ出兵し朝倉家の武威を内外に知らしめた。加賀一向一揆討伐の際に発病、帰国後に死去した。
朝倉小太郎教景 武将騎馬
[訓練] [登用] [回復] [突撃]  8010096 7290 51
あさくら かげのり 通常版 越前若狭 1520 (1505-1572)朝倉家臣。朝倉家3代当主・貞景の子。朝倉教景の養子となる。敦賀城主を務め養父とともに加賀や若狭、近畿などを転戦し活躍した。のち敦賀郡司となった。
朝倉孫九郎景紀 武将荷駄
[逃亡]  362543 4850 52
あさくら かげたか 通常版 越前若狭 1523 (1508-1570)朝倉家臣。朝倉敏景の弟・経景の孫。朝倉教景が病で帰国した後、一向一揆討伐の総大将となり加賀に出陣した。のち三人の子を相次いで失い、間もなく死去。
朝倉 景隆 武将
[攻城]  434531 1370 52
うおずみ かげかた 通常版 越前若狭 1543 (1528-1574)朝倉家臣。一乗谷四奉行の1人として国政に参画した。織田信長の越前侵攻軍に降り、本領を安堵され越前守護代となるが、富田長繁に攻められて敗死した。
魚住 景固 武将
[商業]  591525 3135 53
かわい よしむね 通常版 越前若狭 1536 (1521-1573)朝倉家臣。一乗谷四奉行の1人として国政に参画したほか、浅井家救援のために近江に出陣した。刀禰坂合戦に従軍し、織田信長軍と戦って戦死したといわれる。
河合五郎兵衛吉統 武将
[回復]  631844 1275 51
とみた ながしげ 通常版 越前若狭 1567 (1552-1575)朝倉家臣。主家滅亡後は織田家に仕え、長島一向一揆討伐戦で戦功を立てる。しかし織田家での待遇に不満を持って謀叛を起こし、味方に撃たれて死亡した。
富田弥六郎長繁 武将騎馬
[突撃]  5319 6555 25
ほりえ かげただ 通常版 越前若狭 1542 (1527-1576)朝倉家臣。各地で功を立てるが、謀叛疑惑により能登に退去させられる。織田家に通じて本領を回復するが、一向一揆討伐の恩賞に不満を表したため殺された。
堀江左衛門三郎景忠 国人衆荷駄
[回復]  462443 6045 53
まがら なおたか 通常版 越前若狭 1551 (1536-1570)朝倉家臣。弟・直澄とともに家中随一の剛勇の士として名を馳せる。姉川合戦で味方兵が敗走する中、徳川軍を相手に奮戦するが、子・隆基とともに戦死した。
真柄十郎左衛門直隆 武将
[回復] [槍衾]  67215 4685 50
たけだ もとみつ 通常版 越前若狭 1509 (1494-1551)若狭守護。後瀬山城を築き居城とする。管領・細川高国の要請を受けて上洛するが、三好・柳本軍に敗れ、将軍・足利義晴を奉じ近江に逃れた。和歌にすぐれた。
武田彦二郎元光 武将
[登用] [攻城]  663551 5265 65
あざい すけまさ 通常版 近江 1506 (1491-1542)近江の戦国大名。小谷城主。はじめ京極家に仕えたが、主家の内紛に乗じて勢力を拡大、朝倉家の援助を受けて六角定頼軍を撃退するなど、江北に覇を唱えた。
浅井新三郎亮政 武将騎馬
[改修] [登用] [奉仕] [攻城]  828579 8970 53
あざい ひさまさ 通常版 近江 1541 (1526-1573)近江の戦国大名。小谷城主。亮政の子。六角家の傘下に入る政策を採ったため家臣の不満が集まり、のちに子・長政に家督を譲った。浅井家滅亡時に自害した。
浅井新九郎久政 武将
[開墾]  352125 28100 50
あつじ さだゆき 通常版 近江 1543 (1528-1582)浅井家臣。山本山城主。主家滅亡後は織田信長に属す。信長の越前攻めに従軍した。本能寺の変後は明智光秀に属し、光秀の死後、子・貞大とともに殺された。
阿閉万五郎貞征 国人衆
[逃亡]  20917 6330 55

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