『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
こでら まさもと 通常版 播磨 1532 (1517-1579)播磨の豪族。御着城主。別所家と親交を結ぶ。はじめ織田家に属すが、荒木村重の謀叛に別所家とともに同調したため、羽柴秀吉の攻撃を受け敗北、逃亡した。
小寺 政職 国人衆
[登用]  393543 6660 45
みうら さだひさ 通常版 美作 1523 (1508-1548)美作の豪族。高田城主。尼子家の攻撃を受け、数年の攻防の末に病死。間もなく高田城は尼子家に占領された。三浦家は関東の豪族・三浦義明の末裔という。
三浦 貞久 国人衆
[開墾] [守戦] [連射]  624967 7165 25
みうら さだひろ 通常版 美作 1547 (1532-1576)美作の豪族。高田城主。貞久の次男。尼子家に属したため、毛利家に居城を追われる。山中鹿之介らの援助で奪還するが再び毛利家に居城を追われ、逐電した。
三浦 貞広 国人衆
[逃亡]  372526 6160 25
うらがみ むねかげ 通常版 備前備中 1527 (1512-1577)備前の戦国大名。播磨室津城主を務める兄・政宗と争う一方、備前に勢力を拡大した。しかし、のちに台頭した家臣・宇喜多直家に攻められて居城を追われた。
浦上 宗景 武将
[登用] [連射]  525557 8250 53
しまむら もりざね 通常版 備前備中 1524 (1509-1559)浦上家臣。入道名は貫阿弥。宇喜多能家を砥石城に襲って自害させ、家中の実権を独占する。しかし、のちに謀叛疑惑により能家の孫・宇喜多直家に討たれた。
島村貫阿弥盛実 武将騎馬
[引抜]  271244 6940 53
なかやま のぶまさ 通常版 備前備中 1525 (1510-1559)浦上家臣。備前亀山城主。娘は宇喜多直家に嫁ぐ。のちに島村盛実と談合して謀叛を企んだとの風聞により、主君・宗景の命を受けた婿・直家により殺された。
中山 信正 武将荷駄
[収拾]  292831 4655 53
のぶはら かげよし 通常版 備前備中 1543 (1528-1587)浦上家臣。主家滅亡後は宇喜多家に仕える。花房職秀とともに三星城主・後藤勝基や飯岡城主・星賀藤内らの浦上家残党を討伐した。知勇兼備の士と評された。
延原 景能 武将騎馬
[攻城]  384056 4835 55
うきた あきいえ 通常版 備前備中 1578 (1563-1616)宇喜多家臣。忠家の子。主家の内乱により出奔、徳川家康に属す。関ヶ原合戦の軍功により石見浜田2万石を領した。大坂の陣では家康の孫・千姫を救出した。
宇喜多 詮家 旧仏教鉄砲
[収拾] [捕縛]  183211 5445 15
おさふね さだちか 通常版 備前備中 1545 (1530-1588)宇喜多家臣。宇喜多三老の1人。明禅寺合戦など各地の合戦に従軍し、主君・直家の創業を助けた。戸川秀安の隠退後は国政を担当する。のち妹婿に殺された。
長船又三郎貞親 武将
[開墾] [外交] [連射]  593762 5755 5
はらだ ただすけ 通常版 美作 1539 (1524-1586)宇喜多家臣。美作稲荷山城主。山名氏兼に居城を奪われ、父・忠長自害により、逼塞する。のちに主君・直家の援助で居城に復帰、直家の美作経略に貢献した。
原田小次郎忠佐 武将
[攻城]  363338 2965 65
みむら いえちか 通常版 備前備中 1532 (1517-1566)備中の豪族。鶴首城主。周辺の豪族を切り従え、備中最大の勢力となる。備前・美作への進出を企み、宇喜多直家と抗争を展開するが、直家により暗殺された。
三村 家親 武将騎馬
[改修] [引抜] [回復]  405141 7660 59
みむら もとちか 通常版 備前備中 1561 (1546-1575)備中の豪族。家親の子。父の死後家督を継ぐ。毛利家に属して勢力回復を図るが父の敵・宇喜多直家が毛利家と結んだため毛利家から離反、攻められ自害した。
三村 元親 武将
[守戦] [連射]  344935 5280 59
みむら ちかしげ 通常版 備前備中 1536 (1521-1575)三村家臣。家親の弟。甥・元親が勢力回復を目指して織田信長に通じた際、反対して追放される。のちに毛利軍を案内して元親を討ち、備中鶴首城主となった。
三村 親成 武将騎馬
[引抜]  433950 4540 53
うえの たかのり 通常版 備前備中 1571 (1556-1575)三村家臣。備中常山城主。主君・元親の娘を娶る。元親の死後も居城に籠城して毛利家に抵抗したため、小早川隆景を大将とする毛利軍に攻められ、玉砕した。
上野 隆徳 武将鉄砲
[雨撃]  333220 5680 59
しみず むねはる 通常版 備前備中 1552 (1537-1582)毛利家臣。備中高松城主。織田信長の中国征伐軍に頑強に抵抗したが、羽柴秀吉の「水攻め」に遭い苦戦を強いられる。城兵の助命を条件に和睦し、自害した。
清水長左衛門宗治 武将
[改修] [激励] [守戦]  167246 4895 54
しじ ひろよし 通常版 安芸備後 1482 (1467-1557)毛利家臣。主君・元就の毛利家相続に尽力。のちに元就の要請で元就の子・隆元の後見役を務めた。隆元に「君は船、臣は水にて候」と当主のあり方を説いた。
志道 広良 武将荷駄
[訓練] [回復]  845479 6365 35
こだま なりただ 通常版 安芸備後 1522 (1507-1562)毛利家臣。元就の家督相続直後から側近として活躍。五奉行制の成立後、その一員となった。「視野も広く人ざわりもよく事務練達の者」と元就に評された。
児玉三郎右衛門就忠 武将
[商業] [登用] [連射]  741554 5180 35
こだま なりかた 通常版 安芸備後 1528 (1513-1588)毛利家臣。兄・元忠に推挙され、元就に仕える。陶晴賢の勢力が安芸から駆逐されると安芸草津城主となる。毛利水軍を率いて北九州や山陰の海上に転戦した。
児玉三郎右衛門就方 水軍衆鉄砲
[回復] [三段]  195051 5365 35
すぎはら もりしげ 通常版 安芸備後 1548 (1533-1581)毛利家臣。はじめ備後神辺城主・杉原理興に仕えた。理興の死後、吉川元春の推挙により神辺城代となる。以後は元春率いる山陰方面軍の先鋒として活躍した。
杉原 盛重 国人衆荷駄
[改修] [守戦]  283936 5565 55
こばやかわ まさひら 通常版 安芸備後 1526 (1523-1543)安芸の豪族。大内家に属す。のち尼子方への転身を図るが、大内家に居城・安芸高山城を占拠されて失敗した。大内家の出雲遠征に従軍し、退却中に戦死した。
小早川 正平 武将
[連射]  544245 2865 58

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