『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
えんどう なおつね 通常版 近江 1546 (1531-1570)浅井家臣。家中随一の猛将として知られた。主君・長政に織田信長の暗殺を献策するが容れられなかった。姉川合戦の際に信長の本陣へ単身突入し、戦死した。
遠藤喜右衛門直経 武将荷駄
[捕縛]  97027 5690 50
かいほう つなちか 通常版 近江 1525 (1510-1573)浅井家臣。画家・海北友松の父。豊臣秀吉が「我が軍法の師」と讃えた勇将。武者奉行を務め各地で活躍した。主家滅亡時に戦死した。「海赤雨三将」の1人。
海北善右衛門綱親 武将騎馬
[商業] [訓練] [突撃]  376264 6875 65
ももち さんだゆう 通常版 伊賀 1527 (1512-1581)伊賀の豪族。服部・藤林と並ぶ伊賀上忍家の一つ。忍術を駆使して織田信雄の伊賀侵攻軍を撃退するが、のちに織田信長の大軍の攻撃を受け、戦死したという。
百地 三太夫 忍者
[訓練] [捕縛] [混乱]  39190 1100 50
あしかが よしはる 通常版 山城 1511 (1511-1550)室町幕府12代将軍。阿波で挙兵した三好元長に敗れ、近江に逃亡する。元長の死後、細川晴元に擁されて京に戻ったがのちに晴元と対立し、将軍職を辞した。
足利 義晴 武将
[茶湯] [逃亡]  484014 6975 35
あしかが よしあき 通常版 山城 1552 (1537-1597)室町幕府15代将軍。織田信長の後援で将軍職に就くがのちに対立、周辺諸国と協力して「信長包囲網」を敷く。自らも挙兵するが信長に敗れ、京を追われた。
足利 義秋 武将
[外交] [茶湯]  772782 9265 50
きょうごく たかよし 通常版 山城 1517 (1508-1581)足利家臣。主君・義輝の近習を務めた。義輝の死後は、近江に逃れた義輝の弟・義昭のために奔走。義昭の将軍就任後、織田信長と対立して上平寺に隠居した。
京極 高吉 武将
[逃亡] [連射]  502345 2045 35
いしん すうでん 通常版 山城 1584 (1569-1633)徳川家臣。武家諸法度などの法令制定を担当する。方広寺鐘銘事件を引き起こして大坂の陣の口実を作るなど調略面でも活躍し「黒衣の宰相」の異名をとった。
以心 崇伝 旧仏教
[登用] [外交] [説得]  79182 8250 85
あらき うじつな 通常版 丹波丹後 1550 (1535-1579)丹波の豪族。細工所城主。豪勇をもって知られた。波多野家滅亡後、明智光秀の仕官要請を拒否、代わりに子・氏清を出仕させた。氏清は山崎合戦で戦死した。
荒木 氏綱 国人衆騎馬
[登用] [守戦] [攻城]  126550 1795 25
ほんがんじ しょうにょ 通常版 摂津河内 1521 (1516-1554)本願寺10世法主。日蓮宗徒と六角定頼に山科本願寺を焼き討ちされ、石山本願寺に本山を移した。蓮如の書状を集めて出版し、諸方の末寺、門徒に配った。
本願寺光教証如 一向宗
[改修] [奉仕] [槍衾]  817861 3385 52
ほんがんじ けんにょ 通常版 摂津河内 1554 (1543-1592)本願寺11世法主。証如の子。武家勢力に抵抗し、日本各地で一向宗門徒を蜂起させる。特に織田信長を「仏敵」と罵り10年の長きにわたって抗争を続けた。
本願寺光佐顕如 一向宗
[回復] [奉仕] [三段] [槍衾]  858978 9090 50
ほんがんじ きょうにょ 通常版 摂津河内 1573 (1558-1614)本願寺12世法主。顕如の長男。気性が激しく、織田信長との和睦後も徹底抗戦を主張する。父の死後、法主の座を巡り弟・准如と対立、東本願寺を建立した。
本願寺光寿教如 一向宗
[開墾] [守戦] [三段]  746367 8490 50
ほんがんじ れんじゅん 通常版 加賀能登 1479 (1464-1550)本願寺8世法主・蓮如の十三男。大津顕証寺を経て、門徒の要望により河内顕証寺の住職となる。伊勢長島に願証寺を建立するなど、本願寺の発展に貢献した。
本願寺兼誉蓮淳 一向宗
[商業] [激励]  957582 8075 51
ほんがんじ しょうけい 通常版 摂津河内 1509 (1494-1574)蓮淳の孫。伊勢長島願証寺の住職を務めた。一向宗門徒を率いて織田信長の討伐軍に激しく抵抗するが、信長の焦土化作戦の前に敗北し、木曽川に身を投げた。
本願寺 証恵 一向宗鉄砲
[登用] [雨撃]  735952 1170 51
しもづま らいけい 通常版 摂津河内 1501 (1486-1555)真宗本願寺派の僧。本願寺9世・実如に仕える。甥の頼秀・頼盛に不穏な動きがあり、一時出仕をやめるが、のち復帰した。温和な性格で人々に重んぜられた。
下間 頼慶 一向宗荷駄
[開墾] [回復] [奉仕] [説得]  885587 880 53
しもづま らいりゅう 通常版 摂津河内 1536 (1521-1580)石山本願寺の坊官。顕如が本願寺11世法主に就任した際に坊官に就任した。茶の湯を好み、「天王寺屋会記」に津田宗達らを招いて茶会を開いた記録が残る。
下間 頼竜 一向宗
[茶湯] [槍衾]  515446 4560 52
しもづま らいしょう 通常版 加賀能登 1541 (1526-1575)本願寺の坊官。法主・顕如の命で越前の一向宗門徒を指導し、織田信長を苦しめた。のちに信長が比叡山や長島と同じ焦土化作戦をとったため敗北、殺された。
下間 頼照 一向宗
[開墾] [雨撃]  516055 4975 50
しもづま ちゅうこう 通常版 加賀能登 1566 (1551-1616)本願寺の坊官。頼照の子という。石山合戦で活躍した。織田信長と本願寺の和議に際しては、法主・顕如に代わって血判した。能楽に長じ「童舞抄」を著した。
下間 仲孝 一向宗荷駄
[外交] [三段]  585073 2880 51
しもづま らいれん 通常版 摂津河内 1552 (1537-1626)本願寺の坊官。石山合戦において法主・顕如に代わって全軍を指揮、織田信長に対し徹底抗戦を挑んだ。信長の死後、豊臣秀吉から本願寺町奉行に任じられた。
下間 頼廉 一向宗鉄砲
[訓練] [回復] [守戦] [三段]  198480 6395 52
くぼた つねただ 通常版 加賀能登 1526 (1511-1570)加賀の豪族。安吉城主。大炊介を称す。はじめ安吉家長に仕えたが、1550年に家長から安吉城を譲られ、城主となった。加賀一向一揆軍の頭領を務めた。
窪田 経忠 一向宗
[連射]  145250 4880 51
しちり よりちか 通常版 加賀能登 1532 (1517-1576)加賀の本願寺の代官。一向宗門徒の要請により富田長繁を討つが、翌年、織田信長の討伐軍に降る。のち法主・顕如の命によって松任城主・鏑木頼信を討った。
七里 頼周 一向宗
[三段] [攻城]  465350 6065 51

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