武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
うきた | | よしいえ |
通常版 |
備前備中 |
1490 |
(1475-1534)浦上家臣。則宗・則助・村宗三代に仕え主家の危難を何度も救い、知勇兼備の勇将と讃えられた。のちに家中の勢力独占を図った島村盛実に襲われ、自害した。 |
宇喜多 | | 能家 |
武将 | 騎馬 |
[登用] [奉仕] [激励] [突撃] |
85 | 78 | 91 |
78 | 75 |
10 |
うきた | | おきいえ |
通常版 |
備前備中 |
1512 |
(1497-1536)浦上家臣。能家の子。父が島村盛実に襲われ自害した後、備前福岡の豪商・阿部善定のもとに逃げ込むが、間もなく病死した。「愚なる上に臆病」と評された。 |
宇喜多 | | 興家 |
武将 | 弓 |
[逃亡] |
64 | 16 | 19 |
23 | 65 |
10 |
うきた | | なおいえ |
通常版 |
備前備中 |
1536 |
(1529-1581)浦上家臣。乙子城主。権謀術数の限りを尽くして敵を葬り去り、家中最大の勢力を築き上げる。最後は主君・宗景を追放して備前一国を掌握した、稀代の謀将。 |
宇喜多 | 八郎 | 直家 |
武将 | 弓 |
[開墾] [収拾] [攻城] [混乱] |
84 | 70 | 89 |
98 | 30 |
10 |
うきた | | ひでいえ |
通常版 |
備前備中 |
1581 |
(1572-1655)豊臣家臣。直家の嫡男。主君・秀吉に寵愛され、五大老の1人となるが、内乱により重臣の大半を失う。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後八丈島へ配流された。 |
宇喜多 | 八郎 | 秀家 |
武将 | 槍 |
[登用] [激励] [槍衾] |
44 | 62 | 31 |
59 | 95 |
10 |
うきた | | ただいえ |
通常版 |
備前備中 |
1551 |
(1536-1609)宇喜多家臣。興家の子。兄・直家の創業に大いに貢献した。兄の死後は甥・秀家の後見人となる。朝鮮派兵の際は、豊臣軍総督を務める秀家に従って渡海した。 |
宇喜多 | 七郎兵衛 | 忠家 |
武将 | 騎馬 |
[登用] [攻城] |
49 | 56 | 44 |
53 | 80 |
7 |
うきた | | あきいえ |
通常版 |
備前備中 |
1578 |
(1563-1616)宇喜多家臣。忠家の子。主家の内乱により出奔、徳川家康に属す。関ヶ原合戦の軍功により石見浜田2万石を領した。大坂の陣では家康の孫・千姫を救出した。 |
宇喜多 | | 詮家 |
旧仏教 | 鉄砲 |
[収拾] [捕縛] |
18 | 32 | 11 |
54 | 45 |
15 |