『信長の野望 嵐世記』武将総覧

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
はたの たねみち 通常版 丹波丹後 1511 (1496-1545)管領細川家臣。将軍・足利義稙の偏諱を受け、稙通と名乗る。主君・高国に与力して丹波一帯に一大勢力を築き上げた。のちに細川晴元に属し、高国と戦った。
波多野与兵衛稙通 武将騎馬
[改修] [収拾] [守戦] [混乱]  716981 8560 27
はたの はるみち 通常版 丹波丹後 1535 (1520-1560)管領細川家臣。稙通の子。三好軍の度重なる攻撃を受ける。撃退に努めるがのちに松永久秀に降り、城を追われた。居城の八上城には久秀の甥・彦六が入った。
波多野与兵衛晴通 武将
[逃亡]  343435 5070 27
はたの ひではる 通常版 丹波丹後 1556 (1541-1579)丹波の豪族。八上城主。晴通の子。居城を三好家から奪還し、勢力を拡大した。明智光秀の攻撃を受け、籠城して戦うが降伏、安土に送られ磔刑に処せられた。
波多野 秀治 武将
[訓練] [守戦] [連射]  245745 5975 23
はたの ひでひさ 通常版 丹波丹後 1560 (1545-1579)晴通の子。兄・秀治とともに丹波八上城に籠城して明智光秀軍に対抗するが、1年半に及ぶ攻防の末、降伏する。兄とともに安土に送られ、磔刑に処せられた。
波多野 秀尚 武将
[守戦]  304124 3650 23
はたの むねたか 通常版 丹波丹後 1526 (1511-1573)丹波の豪族。氷上城主。「西波多野」と呼ばれた波多野家の一族。「丹波鬼」の異名で呼ばれた勇将で、正親町天皇の即位式の際には洛中を警護したという。
波多野 宗高 武将
[改修] [外交] [連射]  435154 6490 27
あかい ときいえ 通常版 丹波丹後 1509 (1494-1581)丹波の豪族。越前守を称した。丹波守護代・内藤家に所領を追われ、一時的に播磨に逃れるが、のちに復帰した。次男・直正は赤井家庶流の荻野家を継いだ。
赤井 時家 国人衆騎馬
[引抜] [突撃]  493149 2565 32
あかい なおまさ 通常版 丹波丹後 1544 (1529-1578)丹波の豪族。時家の次男。兄・家清の戦死後、若年の甥・忠家を後見した。明智光秀の丹波平定軍を撃退するなど武勇にすぐれ「丹波の赤鬼」の異名をとった。
赤井悪右衛門直正 国人衆騎馬
[開墾] [回復] [守戦] [突撃]  277269 5465 24
もみい のりなり 通常版 丹波丹後 1547 (1532-1576)波多野家臣。籾井城主。武勇をもって鳴り、「赤鬼」と称された赤井直正と並んで「青鬼」の異名をとった。羽柴秀吉の中国侵攻軍の攻撃を受け、戦死した。
籾井 教業 国人衆
[改修] [訓練] [連射]  177041 2185 21
あらき うじつな 通常版 丹波丹後 1550 (1535-1579)丹波の豪族。細工所城主。豪勇をもって知られた。波多野家滅亡後、明智光秀の仕官要請を拒否、代わりに子・氏清を出仕させた。氏清は山崎合戦で戦死した。
荒木 氏綱 国人衆騎馬
[登用] [守戦] [攻城]  126550 1795 25
いっしき よしゆき 通常版 丹波丹後 1524 (1509-1558)丹後の戦国大名。隣国の若狭武田家としばしば戦った。一色家は清和源氏足利家一門で、山名・赤松・京極家とともに四職の家格となり、幕府で重きをなした。
一色 義幸 武将
[外交] [雨撃]  424132 3160 68
いっしき よしみち 通常版 丹波丹後 1548 (1533-1579)丹後の戦国大名。義幸の子。京を追われた将軍・足利義昭を庇護したため、織田軍に攻められる。善戦するが、家臣・沼田勘解由の内通により敗れ、自害した。
一色 義道 武将
[改修] [雨撃]  326034 5665 69
いっしき よしさだ 通常版 丹波丹後 1573 (1558-1582)丹後の戦国大名。義道の子。父の死後、家臣・稲富祐直を頼り、細川藤孝軍と戦う。のち明智光秀の斡旋で和睦し藤孝の娘を娶るが、再び背いたため殺された。
一色 義定 武将鉄砲
[開墾] [登用] [三段]  455636 5180 72
いっしき よしきよ 通常版 丹波丹後 1550 (1535-1582)丹後の戦国大名。甥・義定が細川藤孝に謀殺された後、丹後弓木城に入って一色家を継ぐ。しかし、細川忠興に城を包囲されたため、敵陣に突入して戦死した。
一色 義清 武将荷駄
[商業] [雨撃]  254532 2670 72
いなどめ すけひで 通常版 丹波丹後 1523 (1508-1567)一色家臣。丹後忍木城主。相模守を称した。佐々木少輔次郎義国に砲術を学び、創意を加えた。のちに孫・祐直に砲術を教え、稲富流砲術の基礎を築き上げた。
稲富 祐秀 国人衆鉄砲
[三段] [雨撃]  244843 4475 73
いなどめ すけなお 通常版 丹波丹後 1567 (1552-1611)一色家臣。稲富流砲術の始祖。主家滅亡後は細川忠興に属し、鉄砲の師範を務める。のちに徳川家に仕え、幕府鉄砲方として国友鍛冶集団の組織化に尽力した。
稲富弥四郎祐直 国人衆鉄砲
[三段] [雨撃]  125741 2760 73
ほそかわ もちたか 通常版 阿波 1512 (1497-1553)阿波守護。播磨守護・赤松晴政の要請により尼子晴久と備中で戦い敗れる。のちに足利義栄を擁し入京を試みるが、家臣の三好義賢と対立し、義賢に殺された。
細川 持隆 武将騎馬
[貿易] [槍衾]  463935 6855 47
ほそかわ さねゆき 通常版 阿波 1553 (1538-1582)持隆の子。父を殺した三好義賢に擁立され、阿波勝瑞城主となる。のち長宗我部元親とともに三好長治を討つが、長治の弟・十河存保に居城を追われ自害した。
細川六郎真之 武将
[引抜]  20135 3745 47
みよし よしかた 通常版 阿波 1542 (1527-1562)元長の次男。兄・長慶の畿内進出後、本国・阿波の経略を担当する。長慶の片腕として内政、軍事に活躍したが、和泉久米田合戦で戦死した。茶道にすぐれた。
三好 義賢 武将騎馬
[登用] [茶湯] [突撃] [説得]  746673 9045 57
みよし ながはる 通常版 阿波 1562 (1553-1577)義賢の子。父の死後、篠原長房の後見で家督を継ぐが、讒言に惑わされ、細川真之とともに長房を討った。のちに長宗我部元親に通じた真之と戦い、敗死した。
三好彦二郎長治 武将荷駄
[攻城]  243218 3855 55
みよし ながやす 通常版 阿波 1562 (1554-1586)三好義賢の子。叔父・十河一存の養子となる。豊臣秀吉に従い、長宗我部家に奪われた讃岐を奪回した。九州征伐では先鋒を務め、豊後戸次川合戦で戦死した。
三好孫六存保 武将
[訓練] [連射]  406228 5555 57

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