『信長の野望 嵐世記』武将総覧

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
まりやつ のぶたか 通常版 上総安房 1527 (1512-1551)真里谷武田家一族。信保の庶長子。異母弟・信応と家督を争う。一時は居城・峯上城を落とされて逃亡したが、北条家の後援で真里谷城に復帰、家督を継いだ。
真里谷 信隆 武将荷駄
[逃亡]  432541 7940 72
なりた おさただ 通常版 武蔵 1565 (1550-1616)北条家臣。忍城主。長泰の次男。主家滅亡後は蒲生氏郷に仕える。兄・氏長の死後、その遺領を継いだ。関ヶ原合戦では東軍に属した。大坂の陣にも参陣した。
成田 長忠 国人衆
[回復]  423932 4970 72
ふじかた ともなり 通常版 伊勢志摩 1545 (1530-1597)北畠家臣。織田信長の伊勢侵攻軍に降り北畠家を継いだ織田信雄に仕える。のちに信長の命により、旧主・具教を謀殺した。本能寺の変後は豊臣秀吉に属した。
藤方 朝成 武将
[引抜]  382744 4450 72
あさくら かげたけ 通常版 越前若狭 1551 (1536-1575)朝倉家臣。景隆の子。姉川合戦では朝倉軍の総大将として奮戦。主家滅亡後は織田信長に属すが、一向一揆に降伏したため、信長の怒りを買い自害させられた。
朝倉孫三郎景健 武将騎馬
[改修] [逃亡] [突撃]  224624 6340 72
まえば よしつぐ 通常版 越前若狭 1556 (1541-1574)朝倉家臣。織田信長の越前侵攻軍にいち早く降り、道案内を担当した。この功によって越前守護代となるが、これを不服とした富田長繁に攻められ、敗死した。
前波九郎兵衛吉継 武将騎馬
[槍衾]  431821 3945 72
いっしき よしさだ 通常版 丹波丹後 1573 (1558-1582)丹後の戦国大名。義道の子。父の死後、家臣・稲富祐直を頼り、細川藤孝軍と戦う。のち明智光秀の斡旋で和睦し藤孝の娘を娶るが、再び背いたため殺された。
一色 義定 武将鉄砲
[開墾] [登用] [三段]  455636 5180 72
いっしき よしきよ 通常版 丹波丹後 1550 (1535-1582)丹後の戦国大名。甥・義定が細川藤孝に謀殺された後、丹後弓木城に入って一色家を継ぐ。しかし、細川忠興に城を包囲されたため、敵陣に突入して戦死した。
一色 義清 武将荷駄
[商業] [雨撃]  254532 2670 72
あかまつ よしすけ 通常版 美作 1552 (1537-1576)晴政の子。織田信長に通じたが、浦上政宗と戦って敗れ、没落した。赤松家は村上源氏の流れをくみ、建武政府樹立に貢献した赤松則村(円心)を始祖とする。
赤松次郎義祐 武将騎馬
[登用] [外交]  433442 3465 72
あかまつ のりふさ 通常版 美作 1574 (1559-1598)豊臣家臣。義祐の子。播磨置塩1万石を安堵される。賤ヶ岳合戦や小牧長久手合戦、四国征伐に従軍し、阿波住吉1万石を加増された。朝鮮派兵にも従軍した。
赤松次郎則房 武将荷駄
[外交]  422041 2150 72
じょう ちかふゆ 通常版 肥後 1522 (1507-1570)菊池家臣。主君・義武の肥後隈本城回復戦の際は大友家に属し、恩賞として肥後隈本城主となり、飽田・詫摩二郡を支配する。のちに肥前に出兵して敗れた。
 親冬 武将
[守戦] [連射]  634826 4555 72
じょう ちかかた 通常版 肥後 1547 (1532-1581)大友家臣。肥後隈本城主。親冬の嫡男。主家没落後は島津家に属し、島津勢を城外に招いて国内経営に協力した。龍造寺勢力の南下に伴い、龍造寺家に従った。
十郎太郎親賢 武将荷駄
[捕縛]  243741 2660 72
じょう ちかもと 通常版 肥後 1556 (1541-1592)島津家臣。肥後隈本城主。親冬の次男。龍造寺軍を破るなど活躍したが、豊臣秀吉の九州征伐軍に降り、所領を安堵される。肥後国人一揆には関与しなかった。
 親基 武将騎馬
[回復]  303629 2960 72
ゆじ さだとき 通常版 日向 1548 (1533-1578)伊東家臣。主家の日向退去後も、日向三納城に籠城して島津家と戦う。しかし耳川合戦で大友軍大敗。勢いに乗る島津勢に居城を囲まれ、自害して果てた。
湯地 定時 武将鉄砲
[引抜] [捕縛]  292420 3680 72
まつだいら ただなが PK追加 三河 1621 (1606-1633)秀忠の三男。3代将軍の座を兄・家光と争うが祖父・家康に阻まれる。駿河などを領して駿河大納言と称されるも、兄の勘気を蒙り、改易の上自害させられた。
松平国松忠長 武将
[混乱]  474428 8635 72
さかた じんぱち 諸勢力 南信濃 1550 (1535-1619)諏訪の商人。甚八は実際は甲斐の商人で武田家の御用商人として魚・塩の供給を担った。主家滅亡後は徳川家に仕え、のちに領内の魚商統制権を与えられた。
坂田 甚八 都市騎馬
[商業] [茶湯]  524252 58100 72
とおやま やはちろう 諸勢力 南越後 1583 (1568-1636)直江津の商人。直江津は直江津港を擁する港町。直江津港は日本最古の船法度である「廻船式目」で「三津七湊」の1つに数えられた。上杉家などが支配した。
遠山 弥八郎 都市
[商業] [茶湯]  424149 5385 72
しばた とうしろう 諸勢力 因幡但馬 1554 (1539-1628)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。
芝田 藤四郎 都市騎馬
[商業] [茶湯]  544359 5985 72
しらい かたたね 諸勢力 1544 (1529-1614)屋代島水軍の武将。賢胤は実際は安芸武田家、ついで大内家に仕えた、海賊の棟梁。陶晴賢の謀叛後は陶家に仕え、厳島合戦では陶水軍を率いて活躍した。
白井 賢胤 水軍衆
[貿易]  564647 5965 72
いいお さだむね 諸勢力 尾張 1594 (1579-1660)尾張の国人。定宗は実際は織田家臣で、奥田城主。織田信秀の叔父で、飯尾家の養子となった。桶狭間合戦の際、鷲津砦を守備して今川軍と戦うが、敗死した。
飯尾 定宗 国人衆
[商業]  486155 4485 72
ぬま おきくに 諸勢力 周防長門 1543 (1528-1623)周防長門の国人。興国は実際は大内家臣で、大内義興・義隆の二代に仕えて奉行人を務めた。隼人祐・能登少丞・能登守を称した。
沼間 興国 国人衆
[商業] [茶湯]  505553 4355 72

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