武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
やなだ | はるすけ |
重臣 | 神仏 | 71 |
(1524-1594)古河足利家臣。関宿城主。高助の子。北条氏康打倒を企んだ主君・晴氏が逆に幽閉されると、晴氏の子・藤氏を擁立。上杉家や武田家と結んで北条家と争った。
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簗田 |
晴助 |
64 | 49 | 65 |
61 | 84 |
36 |
通常版 | 1539 |
斉射・1 |
鼓舞 |
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どい | としかつ |
武士 | 神仏 | 72 |
(1573-1644)徳川家臣。水野信元の子。徳川家康の落胤という説もある。秀忠・家光と将軍2代に仕えて老中・大老などを歴任。江戸幕府の基盤安定に多大な功績を残した。
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土井 |
利勝 |
78 | 10 | 65 |
73 | 63 |
81 |
通常版 | 1588 |
収拾 |
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にわ | ながひで |
武士 | 神仏 | 51 |
(1535-1585)織田家臣。「米五郎左」の異名をとる。安土城の普請奉行を務めるなど、行政面で活躍した。本能寺の変後は羽柴秀吉に属し、越前北庄120万石を領した。
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丹羽 |
長秀 |
77 | 60 | 65 |
58 | 78 |
00 |
通常版 | 1550 |
斉射・1 |
収拾 |
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ながお | ふさなが |
武士 | 神仏 | 50 |
(1503-1552)長尾家臣。魚沼郡上田荘を領した。上条定憲の乱に呼応し主家に敵対する。しかし定憲の戦死、越後守護・上杉定実の死去により劣勢となり、主家と和睦した。
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長尾 |
房長 |
66 | 43 | 65 |
53 | 43 |
19 |
通常版 | 1518 |
鼓舞 |
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なんじょう | むねかつ |
国人 | 神仏 | 78 |
(1498-1575)南条家7代当主。羽衣石城主。尼子経久の攻撃を受けて居城を追われ、浪人となる。のち毛利元就の援助を受けて居城の奪還に成功し、以後は毛利家に属した。
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南条 |
宗勝 |
38 | 60 | 65 |
59 | 51 |
98 |
通常版 | 1513 |
突撃・1 |
混乱 |
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おさふね | さだちか |
武士 | 神仏 | 60 |
(1529-1588)宇喜多家臣。宇喜多三老の1人。明禅寺合戦など各地の合戦に従軍し、主君・直家の創業を助けた。戸川秀安の隠退後は国政を担当する。のち妹婿に殺された。
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長船 |
貞親 |
63 | 54 | 65 |
55 | 50 |
05 |
通常版 | 1544 |
突撃・1 |
鼓舞 |
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あそ | これとよ |
僧侶 | 神仏 | 67 |
(1493-1559)肥後の豪族。岩尾城主。兄・惟長に一時居城を追われるが、家臣・甲斐親宣の助力で阿蘇大宮司職に復した。のちに禁裏修理料を献上し、勅使の下向を迎えた。
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阿蘇 |
惟豊 |
68 | 45 | 65 |
68 | 46 |
74 |
通常版 | 1508 |
斉射・1 |
鼓舞 |
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ばん | やすとも |
武士 | 神仏 | 74 |
(1556-1629)織田家臣。直政の子。本能寺の変後は佐々家を経て豊臣秀次に仕える。秀次の死後は浪人し、関ヶ原合戦では東軍に属した。戦後は江戸で小児科の医師となる。
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塙 |
安友 |
54 | 9 | 65 |
54 | 53 |
05 |
PK追加 | 1571 |
収拾 |
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かきざき | よしひろ |
国人 | 神仏 | 68 |
(1549-1616)蠣崎家5代当主。季広の子。豊臣秀吉に接近して蝦夷地における交易権を獲得、独立領主となった。1599年に徳川家康に家系図を献上し、松前姓に改めた。
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蠣崎 |
慶広 |
75 | 49 | 64 |
62 | 31 |
35 |
通常版 | 1564 |
斉射・1 |
収拾 |
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きた | のぶちか |
重臣 | 神仏 | 91 |
(1523-1613)南部家臣。剣吉城主。晴政死後の御家騒動では信直を支持、信直の筆頭家老として活躍した。合戦に臨む際は、必ず小さな観音像を髻の中に収めていたという。
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北 |
信愛 |
75 | 68 | 64 |
71 | 88 |
67 |
通常版 | 1538 |
突撃・1 |
挑発 |
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とざわ | まさしげ |
武士 | 神仏 | 86 |
(1493-1578)戸沢家臣。戸沢家14代当主・征盛の三男。安房守と称す。小館に住んだといわれる。のちに仏門に入っていた戸沢盛重(甥・道盛の嫡男)を養子とした。
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戸沢 |
政重 |
45 | 41 | 64 |
57 | 44 |
45 |
通常版 | 1508 |
挑発 |
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ゆうき | まさかつ |
武士 | 神仏 | 57 |
(1503-1559)結城家16代当主。政朝の子。「結城氏新法度」を定めて支配力を強化する。北関東に勢力を伸ばす北条氏康と結び、佐竹、宇都宮、小田家らと抗争を続けた。
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結城 |
政勝 |
61 | 54 | 64 |
54 | 49 |
42 |
通常版 | 1518 |
突撃・1 |
破壊 |
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いい | なおまさ |
武士 | 神仏 | 42 |
(1561-1602)徳川家臣。徳川四天王の1人。軍装を赤で統一した軍兵は「赤鬼」と恐れられ、常に先鋒を争った。関ヶ原合戦では島津軍を追撃し、島津豊久を討ち取った。
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井伊 |
直政 |
69 | 81 | 64 |
62 | 75 |
90 |
通常版 | 1576 |
突撃・2 |
神速 |
挑発 |
いなば | いってつ |
武士 | 神仏 | 74 |
(1515-1588)斎藤家臣。美濃三人衆の1人。主家滅亡後、織田家に仕える。姉川合戦では浅井軍に横槍を入れ、味方を勝利に導いた。頑固な性格から「一徹」の語源になる。
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稲葉 |
一鉄 |
63 | 63 | 64 |
62 | 41 |
96 |
通常版 | 1530 |
突撃・1 |
挑発 |
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ほんじょう | さねより |
武士 | 神仏 | 70 |
(1511-1580)上杉家臣。栃尾城主。主君・景虎の栃尾城入城以来、側近となる。景虎の初陣の際は補佐役として活躍した。のち景虎が当主になると、政権の中枢に参画した。
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本庄 |
実乃 |
60 | 45 | 64 |
54 | 71 |
98 |
通常版 | 1526 |
収拾 |
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つちはし | のぶあきら |
守護代 | 神仏 | 50 |
(1525-1574)朝倉家臣。景高の子。織田信長追撃の総大将を務めた。主君・義景が刀禰坂合戦に敗れたあとは信長に内応し、義景を自害させた。のち一向一揆勢に討たれた。
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土橋 |
信鏡 |
37 | 40 | 64 |
58 | 7 |
21 |
通常版 | 1540 |
挑発 |
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やすみ | なおまさ |
武士 | 神仏 | 38 |
(1534-1571)畠山家臣。河内交野城主。河内守護代を務めた。主君・高政を紀伊に追放し、高政の弟・昭高を擁立する。のち織田信長の畿内平定軍に降り、本願寺と戦った。
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安見 |
直政 |
55 | 35 | 64 |
55 | 28 |
84 |
通常版 | 1549 |
挑発 |
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たちはら | ひさつな |
武士 | 神仏 | 83 |
(1531-1613)尼子家臣。甥・山中幸盛とともに、尼子勝久を擁して主家再興をはかる。播磨上月城落城後、毛利軍に捕えられるが、脱出して上洛した。のちに阿波へ赴いた。
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立原 |
久綱 |
40 | 55 | 64 |
59 | 83 |
02 |
通常版 | 1546 |
斉射・1 |
破壊 |
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おうご | さだのり |
国人 | 神仏 | 40 |
(1539-1578)別所家臣。淡河城主。羽柴秀吉軍に対し居城に籠城して抵抗した。のち三木城に入り、主君・長治を補佐。羽柴家臣・谷衛好を討った戦いで負傷し、自害した。
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淡河 |
定範 |
44 | 59 | 64 |
54 | 89 |
57 |
通常版 | 1554 |
槍衾・1 |
混乱 |
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おか | としかつ |
武士 | 神仏 | 61 |
(1532-1592)宇喜多家臣。宇喜多三老の1人。刀槍の術に長じ、40余度の合戦に出陣した勇将。岡山城の修築や城下町の建設などにも携わる。朝鮮派兵の陣中で病死した。
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岡 |
利勝 |
62 | 63 | 64 |
53 | 70 |
10 |
通常版 | 1547 |
槍衾・1 |
収拾 |
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