武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
ほり | ひでまさ |
武士 | 神仏 | 38 |
(1553-1590)織田家臣。各地で戦功を立てる一方、徳川家康の饗応役も務めるなど、文武の両面に才能を発揮した。本能寺の変後は豊臣秀吉に属し、一門格の待遇を受けた。
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堀 |
秀政 |
67 | 58 | 63 |
63 | 75 |
02 |
通常版 | 1568 |
斉射・1 |
鼓舞 |
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あさの | ながまさ |
武士 | 神仏 | 65 |
(1547-1611)豊臣家臣。秀吉の正室・寧子の義弟。五奉行筆頭として主家の執政に参画した。秀吉の死後、石田三成と対立して徳川家康に接近し、以後は徳川家に仕えた。
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浅野 |
長政 |
69 | 39 | 55 |
58 | 53 |
02 |
通常版 | 1562 |
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おがさわら | さだよし |
守護 | 神仏 | 50 |
(1546-1595)徳川家臣。長時の嫡男。各地を流浪後、徳川家康の後援を得て旧領を回復し、以後は徳川家に仕える。家康の孫娘を子・秀政に迎えるなど、関係強化に努めた。
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小笠原 |
貞慶 |
56 | 53 | 36 |
54 | 70 |
02 |
通常版 | 1561 |
斉射・1 |
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うえすぎ | かげのぶ |
武士 | 神仏 | 52 |
(1527-1578)上杉家臣。主君・謙信が関東管領に就任した際、謙信とともに上杉姓に改める。一門衆の重鎮として各地を転戦した。御館の乱で上杉景虎方に属し、戦死した。
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上杉 |
景信 |
54 | 18 | 38 |
54 | 42 |
02 |
通常版 | 1542 |
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きたじょう | かげひろ |
武士 | 神仏 | 32 |
(1548-1579)上杉家臣。高広の子。父とともに厩橋城に在城し、主君・謙信の関東経略を助けた。御館の乱の際は上杉景虎方の中核を担うが、のちに上杉景勝に暗殺された。
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北条 |
景広 |
17 | 64 | 37 |
45 | 55 |
02 |
通常版 | 1563 |
突撃・1 |
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かたぎり | かつもと |
武士 | 神仏 | 60 |
(1556-1615)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の1人。主君・秀頼の傅役として主家存続のため奔走するが、徳川家康への内通疑惑により大坂城を退去した。以後は徳川家に属した。
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片桐 |
且元 |
52 | 51 | 35 |
54 | 70 |
02 |
通常版 | 1571 |
槍衾・1 |
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たちはら | ひさつな |
武士 | 神仏 | 83 |
(1531-1613)尼子家臣。甥・山中幸盛とともに、尼子勝久を擁して主家再興をはかる。播磨上月城落城後、毛利軍に捕えられるが、脱出して上洛した。のちに阿波へ赴いた。
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立原 |
久綱 |
40 | 55 | 64 |
59 | 83 |
02 |
通常版 | 1546 |
斉射・1 |
破壊 |
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きもつき | かねつぐ |
武士 | 神仏 | 56 |
(1511-1566)大隅の戦国大名。高山城主。肝付家最大の版図を築く。島津忠良の娘を娶るが、のち忠良の子・貴久と敵対。居城を島津軍に奪われたとの報を聞くと自害した。
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肝付 |
兼続 |
39 | 69 | 34 |
46 | 43 |
02 |
通常版 | 1526 |
槍衾・1 |
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きもつき | よしかね |
武士 | 神仏 | 37 |
(1535-1571)大隅の戦国大名。高山城主。兼続の子。伊東家と結んで日向飫肥城を攻撃し、城主・島津忠親を追う。また伊地知重興を援助するなど、終生島津家と抗争した。
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肝付 |
良兼 |
44 | 55 | 52 |
51 | 46 |
02 |
通常版 | 1550 |
槍衾・1 |
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だいどうじ | なおつぐ |
重臣 | 神仏 | 81 |
(1571-1651)北条家臣。政繁の四男。主家滅亡後は遠山長右衛門と名乗り、福島家に仕えた。関ヶ原合戦にも参陣した。福島家の改易後は徳川家に仕え、旧姓に復した。
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大道寺 |
直次 |
49 | 35 | 31 |
54 | 47 |
02 |
PK追加 | 1586 |
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くわやま | しげはる |
武士 | 神仏 | 83 |
(1524-1606)豊臣家臣。賤ヶ岳合戦では豊臣軍の本陣を守り、勝利に貢献する。のちに豊臣秀長に仕え、和歌山城の城代となって3万石を領した。千利休に茶の湯を学んだ。
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桑山 |
重晴 |
51 | 39 | 47 |
68 | 37 |
02 |
PK追加 | 1539 |
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おがさわら | ひでまさ |
武士 | 神仏 | 47 |
(1569-1615)徳川家臣。貞慶の嫡男。石川康長の改易後、旧領の信濃松本6万石を領す。大坂夏の陣で戦死した。主君・家康に「信濃は…」と言い残して絶命したという。
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小笠原 |
秀政 |
56 | 46 | 28 |
43 | 58 |
02 |
PK追加 | 1584 |
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しんじょう | なおより |
国人 | 神仏 | 75 |
(1538-1612)豊臣家臣。高槻城主を務めた。関ヶ原合戦の際は西軍に属し、伊賀上野城を占拠するが、戦後改易され蒲生秀行に預けられた。のちに常陸麻生3万石を領した。
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新庄 |
直頼 |
58 | 39 | 43 |
45 | 71 |
02 |
PK追加 | 1553 |
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しんじょう | なおただ |
国人 | 神仏 | 79 |
(1542-1620)豊臣家臣。豊臣家直領代官を務めた。朝鮮派兵では渡海して活躍。関ヶ原合戦後近江で少禄を得た。兄・直頼とともに文武に長け人倫を心得た武士と評された。
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新庄 |
直忠 |
63 | 31 | 23 |
54 | 56 |
02 |
PK追加 | 1557 |
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