武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
あしかが | はるうじ |
高家 | 神仏 | 53 |
(1508-1560)古河公方。高基の子。足利家の一門として関東武士の間に根強い支持があり、北条家も懐柔に注意を払った。のち北条家に反抗したため、小田原に幽閉された。
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足利 |
晴氏 |
46 | 28 | 27 |
72 | 38 |
36 |
通常版 | 1523 |
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あしかが | よしうじ |
高家 | 神仏 | 42 |
(1541-1582)古河公方。晴氏の子。北条家の庇護のもとで成人し古河城に復帰するが、実権を持たなかった。死後、古河足利家が断絶したため、娘・氏が喜連川家を立てた。
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足利 |
義氏 |
36 | 10 | 18 |
64 | 31 |
36 |
通常版 | 1556 |
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やなだ | はるすけ |
重臣 | 神仏 | 71 |
(1524-1594)古河足利家臣。関宿城主。高助の子。北条氏康打倒を企んだ主君・晴氏が逆に幽閉されると、晴氏の子・藤氏を擁立。上杉家や武田家と結んで北条家と争った。
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簗田 |
晴助 |
64 | 49 | 65 |
61 | 84 |
36 |
通常版 | 1539 |
斉射・1 |
鼓舞 |
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おおた | うじすけ |
重臣 | 神仏 | 26 |
(1542-1567)北条家臣。岩付城主。資正の嫡男。父に疎まれたため、父と弟を追って岩付城主となった。三船山合戦の際、北条軍の殿軍を務めて里見軍と戦い、戦死した。
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太田 |
氏資 |
42 | 54 | 48 |
38 | 72 |
36 |
通常版 | 1557 |
突撃・1 |
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いっしき | ふじなが |
高家 | 神仏 | 61 |
(1536-1596)足利家臣。御供衆を務めた。細川藤孝とともに幽閉された主君・義昭の脱出に尽力。のちに義昭が京都を追放されると、義昭の将軍職復帰を目指して奔走した。
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一色 |
藤長 |
67 | 11 | 39 |
63 | 85 |
36 |
通常版 | 1551 |
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もうり | もとなり |
武士 | 神仏 | 75 |
(1497-1571)安芸の戦国大名。権謀術数を駆使して勢力を拡大、中国10カ国の主となった稀代の謀将。厳島合戦では数々の謀略で陶晴賢を翻弄、5倍の兵力の敵を破った。
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毛利 |
元就 |
88 | 82 | 90 |
76 | 51 |
36 |
通常版 | 1512 |
槍衾・2 |
鉄壁 |
混乱 |
もうり | たかもと |
武士 | 神仏 | 41 |
(1523-1563)安芸の戦国大名。元就の嫡男。大内家の人質となり、大内義隆から加冠され元服した。父の後見を受けて中国経略に従事するが、出雲遠征に向かう途中に急死。
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毛利 |
隆元 |
76 | 66 | 64 |
71 | 79 |
36 |
通常版 | 1538 |
槍衾・1 |
鼓舞 |
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ほいだ | もときよ |
武士 | 神仏 | 47 |
(1551-1597)毛利元就の四男。備中の豪族・穂井田家を継いだ。山中幸盛が拠る播磨上月城を攻略するなど、各地で功を立てた。のち毛利姓に戻り、長府毛利家の祖となる。
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穂井田 |
元清 |
50 | 55 | 45 |
49 | 64 |
36 |
通常版 | 1566 |
槍衾・1 |
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かつら | もとずみ |
武士 | 神仏 | 70 |
(1500-1569)毛利家臣。安芸桜尾城主を務め、厳島神社を含む神領の管理・支配を担当した。厳島合戦の際は陶晴賢に偽の書簡を送り晴賢を厳島へ誘き出すことに成功した。
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桂 |
元澄 |
55 | 43 | 52 |
52 | 48 |
36 |
通常版 | 1515 |
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くにし | もとすけ |
武士 | 神仏 | 99 |
(1493-1591)毛利家臣。郡山合戦で敵将34人を倒した勇将。のち五奉行の一員となる。主君の隆元の名代として上洛した際、将軍・足利義輝から「槍の鈴」を免許された。
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国司 |
元相 |
40 | 63 | 41 |
50 | 77 |
36 |
通常版 | 1508 |
槍衾・1 |
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かただ | もとよし |
武士 | 神仏 | 55 |
(1568-1622)毛利家臣。はじめ粟屋姓を名乗るが、主君・輝元より堅田姓を賜った。小早川隆景の伊予転封後は備後三原城主となる。関ヶ原合戦には輝元の代理で出陣した。
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堅田 |
元慶 |
55 | 25 | 37 |
52 | 59 |
36 |
通常版 | 1583 |
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ひらが | もとすけ |
国人 | 神仏 | 99 |
(1547-1645)毛利家臣。広相の子。豊臣姓を受けた。関ヶ原合戦後、主家の減封により知行が4分の1に減らされたため、隠居して上洛。のちに孫・就忠の住む萩に移った。
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平賀 |
元相 |
44 | 39 | 45 |
43 | 48 |
36 |
通常版 | 1562 |
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むらかみ | たけよし |
海賊 | 神仏 | 72 |
(1533-1604)能島村上水軍の頭領。厳島合戦において毛利軍の勝利に大きく貢献する。以後は毛利家に仕え、木津川口合戦で織田水軍に大勝するなど各地で勇名を馳せた。
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村上 |
武吉 |
17 | 69 | 48 |
39 | 40 |
36 |
通常版 | 1548 |
斉射・1 |
破壊 |
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せき | もりよし |
国人 | 神仏 | 65 |
(1559-1623)柴田家臣。盛信の子。主君・勝豊の死後蒲生氏郷に仕え、九州征伐などで活躍した。主家内紛の際に出奔、兄・一政に仕える。兄の改易後は土井利勝を頼った。
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関 |
盛吉 |
51 | 37 | 27 |
46 | 53 |
36 |
PK追加 | 1574 |
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