武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
たねがしま | さととき |
国人 | 神仏 | 65 |
(1503-1567)島津家臣。種子島の領主。薩摩市来城攻めなどで活躍。大隅の豪族・禰寝家と争い、一時屋久島に逃れた。種子島に漂着したポルトガル船から鉄砲を入手した。
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種子島 |
恵時 |
54 | 30 | 63 |
60 | 46 |
18 |
通常版 | 1518 |
斉射・2 |
破壊 |
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たきの | よしまさ |
忍者 | 神仏 | 50 |
(1553-1602)伊賀の豪族。柏原城主。貞清の子。織田信長の伊賀侵攻軍に対して、国内の豪族連合軍を率いて頑強に抵抗したが敗れ、戦後、筒井順慶に居城を明け渡した。
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滝野 |
吉政 |
28 | 54 | 63 |
21 | 56 |
38 |
PK追加 | 1568 |
槍衾・1 |
混乱 |
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かねひら | つなのり |
武士 | 神仏 | 82 |
(1544-1625)津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。兼平家は大浦一族で、種里盛純(大浦盛信の弟)が兼平村を領した際に、地名を姓としたという。
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兼平 |
綱則 |
53 | 54 | 62 |
54 | 55 |
12 |
通常版 | 1559 |
斉射・1 |
収拾 |
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いちくり | ほうぎゅう |
武士 | 神仏 | 92 |
(1500-1591)大崎家臣。一栗城主。一栗高春の祖父という。1591年の葛西・大崎一揆の際は、92歳の高齢であるにも関わらず居城に籠城して戦うが敗れ、戦死した。
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一栗 |
放牛 |
43 | 45 | 62 |
54 | 60 |
96 |
通常版 | 1515 |
鼓舞 |
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さけのべ | ひでつな |
国人 | 神仏 | 85 |
(1562-1646)小野寺家臣。鮭延城主。貞綱の子。最上義光との合戦に敗れ、家臣となる。仙北地方で起こった一揆の鎮圧や、最上領に侵入した上杉軍との戦いで功を立てた。
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鮭延 |
秀綱 |
34 | 63 | 62 |
45 | 41 |
48 |
通常版 | 1577 |
突撃・1 |
破壊 |
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しむら | みつやす |
武士 | 神仏 | 45 |
(1565-1609)最上家臣。主君・義光の腹心として活躍し「いかなる強敵も彼には降った」といわれた。関ヶ原合戦の際は長谷堂城を守り、直江兼続の大軍を見事に撃退した。
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志村 |
光安 |
25 | 55 | 62 |
35 | 78 |
97 |
通常版 | 1580 |
突撃・1 |
鼓舞 |
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たがや | まさひろ |
国人 | 神仏 | 59 |
(1537-1595)結城家臣。佐竹家や宇都宮家へ使者として赴くなど、外交面で活躍した。のちに徳川家康の次男・秀康の結城家入嗣を取りまとめ、豊臣秀吉に功を賞せられた。
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多賀谷 |
政広 |
64 | 26 | 62 |
54 | 57 |
40 |
通常版 | 1552 |
混乱 |
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おおた | さんらくさい |
重臣 | 神仏 | 70 |
(1522-1591)扇谷上杉家臣。岩付城主。資頼の次男。主家滅亡後は上杉家や佐竹家に属し、生涯を通じて北条家と戦った。豊臣秀吉の小田原征伐では、秀吉の本陣を訪れた。
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太田 |
三楽斎 |
45 | 76 | 62 |
54 | 86 |
38 |
通常版 | 1537 |
槍衾・2 |
挑発 |
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さなだ | のぶゆき |
国人 | 神仏 | 93 |
(1566-1658)昌幸の長男。徳川家臣・本多忠勝の娘を娶った縁から、関ヶ原合戦では父や弟と別れて東軍に属す。その後も徳川家に忠節を尽くし、真田家の存続に尽力した。
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真田 |
信幸 |
74 | 63 | 62 |
65 | 80 |
18 |
通常版 | 1581 |
斉射・1 |
収拾 |
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やまむら | よしとき |
国人 | 神仏 | 59 |
(1544-1602)木曾家臣。良利の子。主家の転封後も木曾に残る。関ヶ原合戦では東軍に属し、西軍に捕まるが、のち解放。戦後、徳川家康から木曾福島の関所を預かった。
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山村 |
良候 |
59 | 30 | 62 |
48 | 65 |
88 |
通常版 | 1559 |
収拾 |
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えま | てるもり |
国人 | 神仏 | 48 |
(1535-1582)飛騨の豪族。時盛の嫡男。意見を異にする父を殺し、弟・信盛を追放して江馬家を掌握した。本能寺の変に乗じて姉小路頼綱の打倒を企むが、逆に討たれた。
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江馬 |
輝盛 |
54 | 50 | 62 |
47 | 4 |
93 |
通常版 | 1550 |
挑発 |
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ながお | まさかげ |
武士 | 神仏 | 39 |
(1526-1564)上杉家臣。房長の子。父とともに主家に敵対するが和睦し、主君・景虎の姉を娶った。その後は景虎を補佐して活躍するが、宇佐美定満と舟遊び中に溺死した。
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長尾 |
政景 |
63 | 71 | 62 |
60 | 58 |
19 |
通常版 | 1541 |
突撃・1 |
収拾 |
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おおくま | ともひで |
武士 | 神仏 | 66 |
(1517-1582)長尾家臣。箕冠城主。主君・景虎の側近として政務に参画した。景虎の出家騒動に乗じて謀叛を起こすが敗れる。以後は武田家に仕え、甲斐天目山で戦死した。
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大熊 |
朝秀 |
72 | 7 | 62 |
55 | 19 |
88 |
通常版 | 1532 |
収拾 |
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ぬくい | かげたか |
重臣 | 神仏 | 50 |
(1533-1582)畠山家臣。続宗の子。祖父・総貞の死後に逐電するが、主君・義綱の追放後に帰参。のち織田家に属す。本能寺の変後、所領回復を狙って挙兵するが敗死した。
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温井 |
景隆 |
48 | 44 | 62 |
54 | 25 |
88 |
通常版 | 1548 |
挑発 |
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じみょうじ | じゅんこく |
僧侶 | 神仏 | 50 |
(1531-1580)筒井家臣。筒井順興の三男。慈明寺家の家督を継ぐ。兄・順昭の娘を娶った。順昭死去の際は、一族とともに影武者・黙阿弥を立てて順昭の死を秘したという。
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慈明寺 |
順国 |
57 | 36 | 62 |
60 | 56 |
03 |
通常版 | 1546 |
収拾 |
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あかまつ | まさひで |
武士 | 神仏 | 50 |
(1521-1570)赤松家臣。龍野城主。主君・晴政を居城に迎える。浦上政宗を討ち、また別所安治と結んで小寺政職や黒田職隆と戦うなど活躍した。のちに毒殺されたという。
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赤松 |
政秀 |
39 | 60 | 62 |
61 | 77 |
73 |
通常版 | 1536 |
突撃・1 |
収拾 |
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いいだ | おきひで |
武士 | 神仏 | 64 |
(1493-1556)大内家臣。奉行人を務めた。おもに九州方面に在陣。陶晴賢の謀叛の際は晴賢に同調し、主君・義隆の死後は主家を継いだ義長に仕えた。弓馬の故実に通じた。
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飯田 |
興秀 |
64 | 24 | 62 |
61 | 30 |
59 |
通常版 | 1508 |
収拾 |
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えがみ | たけたね |
武士 | 神仏 | 50 |
(1526-1575)少弐家臣。肥前勢福寺城主。龍造寺隆信の家督相続に反対した東肥前十九将の1人。龍造寺家臣・小田政光を討つなど活躍したが、のちに龍造寺家臣となった。
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江上 |
武種 |
20 | 66 | 62 |
44 | 77 |
28 |
通常版 | 1541 |
突撃・1 |
挑発 |
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さがら | よりふさ |
武士 | 神仏 | 63 |
(1574-1636)肥後人吉藩主。義陽の次男。兄・忠房の夭逝により家督を継ぐ。豊臣秀吉の九州征伐軍に降伏した。関ヶ原合戦では美濃大垣城で東軍に内応し、所領を保った。
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相良 |
頼房 |
53 | 47 | 62 |
54 | 46 |
49 |
通常版 | 1589 |
挑発 |
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いとう | よします |
武士 | 神仏 | 24 |
(1546-1569)日向の戦国大名。義祐の子。庶子であったが、嫡子が夭逝のため家督を継ぎ、父の後見を受けて伊東家の全盛時代を築き上げた。島津家との対陣中に病死した。
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伊東 |
義益 |
53 | 46 | 62 |
59 | 55 |
78 |
通常版 | 1561 |
鼓舞 |
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