武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
ぬまた | すけみつ |
国人 | 神仏 | 74 |
(1539-1612)津軽家臣。上野国沼田の出身。武者修業のため全国を行脚していた際に、為信の器量を見込んで仕官、その軍師となる。為信の津軽統一に多大な功績を残した。
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沼田 |
祐光 |
70 | 62 | 74 |
64 | 81 |
12 |
通常版 | 1554 |
斉射・1 |
混乱 |
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かねひら | つなのり |
武士 | 神仏 | 82 |
(1544-1625)津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。兼平家は大浦一族で、種里盛純(大浦盛信の弟)が兼平村を領した際に、地名を姓としたという。
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兼平 |
綱則 |
53 | 54 | 62 |
54 | 55 |
12 |
通常版 | 1559 |
斉射・1 |
収拾 |
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いまいずみ | たかみつ |
武士 | 神仏 | 30 |
(1568-1597)宇都宮家臣。上三川城主。主君・国綱の後継者に浅野長政の子・長重を迎えることを主張し、宿老・芳賀高武と対立。のちに高武の攻撃を受け、敗死した。
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今泉 |
高光 |
56 | 27 | 45 |
44 | 49 |
12 |
通常版 | 1583 |
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うえだ | ともなお |
国人 | 神仏 | 89 |
(1494-1582)扇谷上杉家臣。北条家の武蔵侵攻軍に降り、以後は北条家に仕える。他国衆として松山城主となり、独自の朱印状を使用して北条家から独立した支配を行った。
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上田 |
朝直 |
60 | 35 | 50 |
52 | 31 |
12 |
通常版 | 1509 |
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うえだ | のりさだ |
国人 | 神仏 | 60 |
(1536-1595)北条家臣。朝直の次男。父や兄・長則と同じく、松山城の城下町経営に努めた。豊臣秀吉の小田原征伐に際して小田原城に籠城し、落城後、行方不明となった。
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上田 |
憲定 |
58 | 22 | 30 |
50 | 34 |
12 |
通常版 | 1551 |
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しばた | しげいえ |
国人 | 神仏 | 42 |
(1546-1587)上杉家臣。綱貞の子。御館の乱では上杉景勝に属して活躍した。しかし恩賞に不満を持ち、織田信長に通じて新発田城に籠城、謀叛を起こすが敗北、自害した。
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新発田 |
重家 |
18 | 52 | 27 |
36 | 35 |
12 |
通常版 | 1561 |
斉射・1 |
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なおえ | かげつな |
武士 | 神仏 | 70 |
(1509-1578)上杉家臣。与板城主。主君・謙信の信頼厚く、側近として内政・外交に辣腕を振るう。のちに謙信の旧名・景虎から一字を拝領し、実綱から景綱へと改名した。
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直江 |
景綱 |
74 | 58 | 72 |
72 | 85 |
12 |
通常版 | 1524 |
斉射・1 |
収拾 |
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うさみ | さだみつ |
武士 | 神仏 | 76 |
(1489-1564)上杉家臣。越後流軍学の祖という。上条定憲の乱の際は上条方に属すが、定憲の死後、帰参。国政に参画するなど活躍したが、長尾政景と舟遊び中に溺死した。
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宇佐美 |
定満 |
36 | 68 | 81 |
75 | 20 |
12 |
通常版 | 1504 |
槍衾・2 |
混乱 |
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あまかす | かげつぐ |
武士 | 神仏 | 62 |
(1550-1611)上杉家臣。酒田城主。主家の会津移封に従い、白石城代を務めた。関ヶ原合戦では抗戦を主張。のちに居城を空けた隙に伊達軍の攻撃により居城を失った。
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甘粕 |
景継 |
26 | 69 | 21 |
24 | 61 |
12 |
通常版 | 1565 |
斉射・1 |
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いわい | のぶよし |
武士 | 神仏 | 68 |
(1553-1620)上杉家臣。御館の乱では上杉景勝に属し飯山城主となる。城下町を整備して近世飯山町の基礎を築いた。主家の会津転封後は、会津三奉行の1人に数えられた。
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岩井 |
信能 |
68 | 33 | 45 |
56 | 58 |
12 |
通常版 | 1568 |
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すいばら | ちかのり |
国人 | 神仏 | 71 |
(1546-1616)上杉家臣。水原館主。御館の乱の際は上杉景勝を支持した。主家の会津移封後は猪苗代城代を務める。大坂の陣で戦功を立て、徳川秀忠から感状を下賜された。
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水原 |
親憲 |
11 | 63 | 30 |
36 | 64 |
12 |
通常版 | 1561 |
斉射・1 |
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ごとう | もとつぐ |
武士 | 神仏 | 56 |
(1560-1615)黒田家臣。侍大将を務めるが、謀叛の嫌疑により浪人。のち豊臣秀頼に招かれ、大坂城に入る。人望を集め、徳川軍相手に奮戦するが、大坂夏の陣で戦死した。
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後藤 |
基次 |
14 | 75 | 51 |
38 | 92 |
12 |
通常版 | 1575 |
槍衾・2 |
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はっとり | やすなり |
忍者 | 神仏 | 70 |
(1566-1635)津軽家臣。伊賀国の出身。関ヶ原合戦の際に召し抱えられ、大垣城攻撃戦に活躍した。のちに筆頭家老となって藩政を取り仕切り「無類の良臣」と評された。
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服部 |
康成 |
63 | 68 | 50 |
54 | 86 |
12 |
PK追加 | 1581 |
槍衾・1 |
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しだ | よしひで |
武士 | 神仏 | 73 |
(1560-1632)上杉家臣。川中島合戦で父・義時の跡を継ぐ。酒田城主を務めた。関ヶ原合戦では最上家の背後を衝くなど活躍。のちに米沢藩の執事となり、藩政を統括した。
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志駄 |
義秀 |
61 | 58 | 44 |
36 | 56 |
12 |
PK追加 | 1575 |
突撃・1 |
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