武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
ほしな | まさとし |
国人 | 神仏 | 85 |
(1509-1593)武田家臣。高遠城主。信濃先方衆として各地の合戦に従軍し、活躍した。「槍弾正」の異名をとり「甲陽軍鑑」に戦国三弾正の1人として名を挙げられている。
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保科 |
正俊 |
18 | 66 | 25 |
33 | 42 |
73 |
通常版 | 1524 |
槍衾・1 |
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てらしま | もとさだ |
国人 | 一向宗 | 65 |
(1510-1574)神保家臣。池田城主。椎名家との交渉を担当し、また民政などにも活躍した。主家内紛の際は神保長住とともに武田方に属し、上杉謙信の攻撃を受けて敗れた。
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寺島 |
職定 |
54 | 43 | 20 |
54 | 42 |
73 |
通常版 | 1525 |
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あざい | ながまさ |
武士 | 神仏 | 29 |
(1545-1573)近江の戦国大名。小谷城主。久政の子。織田信長の妹・市を娶るが、朝倉家との友誼を重んじ信長と敵対。居城を攻められ、市と娘たちを信長に託し自害した。
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浅井 |
長政 |
59 | 80 | 45 |
63 | 93 |
73 |
通常版 | 1560 |
突撃・2 |
神速 |
破壊 |
いその | かずまさ |
武士 | 神仏 | 50 |
(1534-1583)浅井家臣。佐和山城主。姉川合戦では先鋒を務めて奮戦した。のちに織田信長に降った。新庄城主となるが、勘気を蒙って所領を没収され、高野山に出奔した。
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磯野 |
員昌 |
13 | 72 | 32 |
28 | 30 |
73 |
通常版 | 1549 |
斉射・1 |
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いなとみ | すけひで |
武士 | 神仏 | 60 |
(1508-1567)一色家臣。丹後忍木城主。相模守と称した。佐々木少輔次郎義国に砲術を学び、創意を加えた。のちに孫・祐直に砲術を教え、稲富流砲術の基礎を築き上げた。
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稲富 |
祐秀 |
22 | 51 | 63 |
53 | 42 |
73 |
通常版 | 1523 |
斉射・2 |
挑発 |
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いなとみ | すけなお |
武士 | 神仏 | 61 |
(1551-1611)一色家臣。稲富流砲術の始祖。主家滅亡後は細川忠興に属し、鉄砲の師範を務める。のちに徳川家に仕え、幕府鉄砲方として国友鍛冶集団の組織化に尽力した。
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稲富 |
祐直 |
11 | 56 | 41 |
50 | 58 |
73 |
通常版 | 1566 |
斉射・1 |
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あかまつ | まさひで |
武士 | 神仏 | 50 |
(1521-1570)赤松家臣。龍野城主。主君・晴政を居城に迎える。浦上政宗を討ち、また別所安治と結んで小寺政職や黒田職隆と戦うなど活躍した。のちに毒殺されたという。
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赤松 |
政秀 |
39 | 60 | 62 |
61 | 77 |
73 |
通常版 | 1536 |
突撃・1 |
収拾 |
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きら | ちかざね |
武士 | 神仏 | 26 |
(1563-1588)長宗我部家臣。親貞の嫡男。宗家の家督相続に際し、四男・盛親の擁立を望む伯父・元親を諫めるが、対立勢力の久武親直に讒言され、元親に自害させられた。
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吉良 |
親実 |
47 | 55 | 22 |
52 | 59 |
73 |
通常版 | 1578 |
突撃・1 |
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たかもり | これなお |
国人 | 神仏 | 60 |
(1527-1586)肥後の豪族。高森城主。阿蘇家と島津家の説得を拒否し、大友家に属した。そのため島津軍が居城を攻撃、期待した大友家の援軍が無いまま戦うが、敗死した。
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高森 |
惟直 |
45 | 32 | 50 |
46 | 49 |
73 |
通常版 | 1542 |
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やまだ | むねまさ |
武士 | 神仏 | 77 |
(1544-1620)伊東家臣。主家滅亡後は大友家臣・佐伯惟定を頼る。島津家の豊後侵攻軍に対して惟定の居城・豊後栂牟礼城に籠城、抗戦の準備および合戦の総指揮を執った。
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山田 |
宗昌 |
20 | 52 | 60 |
37 | 82 |
73 |
通常版 | 1559 |
槍衾・1 |
破壊 |
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あかまつ | のりひで |
高家 | 神仏 | 30 |
(1571-1600)豊臣家臣。則房の子。父の死後、阿波住吉1万石を相続する。関ヶ原合戦では西軍に属して近江佐和山城に籠城。落城直前に脱出したが、戦後京都で自害した。
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赤松 |
則英 |
43 | 29 | 26 |
27 | 74 |
73 |
PK追加 | 1586 |
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さいむら | まさひろ |
武士 | 神仏 | 39 |
(1562-1600)豊臣家臣。赤松政秀の子。藤原惺窩より漢学を学んだ。関ヶ原合戦で西軍から東軍に寝返るが、因幡鳥取城下を焼き払ったため、徳川家康の命により自害した。
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斎村 |
政広 |
62 | 36 | 15 |
81 | 54 |
73 |
PK追加 | 1577 |
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