武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
かいほう | つなちか |
武士 | 神仏 | 65 |
(1509-1573)浅井家臣。画家・海北友松の父。豊臣秀吉が「我が軍法の師」と讃えた勇将。武者奉行を務め各地で活躍した。主家滅亡時に戦死した。「海赤雨三将」の1人。
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海北 |
綱親 |
35 | 60 | 68 |
59 | 68 |
65 |
通常版 | 1524 |
突撃・1 |
鼓舞 |
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ゆさ | のぶのり |
武士 | 神仏 | 51 |
(1524-1574)畠山家臣。長教の子。河内守護代を務めた。主君・高政を紀伊に追放し、高政の弟・昭高を擁立。その昭高をも暗殺するが、のちに織田信長によって討たれた。
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遊佐 |
信教 |
38 | 46 | 68 |
59 | 44 |
83 |
通常版 | 1539 |
混乱 |
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きっかわ | もとはる |
武士 | 神仏 | 57 |
(1530-1586)毛利元就の次男。安芸の豪族・吉川家を継ぎ、山陰地方の攻略にあたる。不敗を誇った家中随一の猛将である一方、陣中で「太平記」40巻を写本したという。
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吉川 |
元春 |
52 | 85 | 68 |
70 | 82 |
41 |
通常版 | 1545 |
突撃・2 |
神速 |
破壊 |
たわら | しょうにん |
僧侶 | 神仏 | 60 |
(1541-1600)大友家臣。義兄弟・宗麟の側近として国政に参画。耳川合戦の際は総大将を務めるが、諸将の統制が取れずに大敗を喫した。関ヶ原合戦の際、九州で戦死した。
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田原 |
紹忍 |
45 | 29 | 68 |
64 | 36 |
81 |
通常版 | 1556 |
混乱 |
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おの | しげゆき |
武士 | 神仏 | 67 |
(1543-1609)立花家臣。通称・和泉。由布惟信とともに立花家の両翼として活躍。朝鮮出兵でその勇名を轟かせた。関ヶ原合戦で主家が改易された後は加藤清正に仕えた。
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小野 |
鎮幸 |
44 | 72 | 68 |
36 | 86 |
81 |
PK追加 | 1558 |
突撃・1 |
混乱 |
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さかい | としふさ |
国人 | 神仏 | 67 |
(1511-1577)里見家臣。東金城主。正木時茂や土岐為頼とともに里見家中で勇名を馳せる。第一次国府台合戦の際には殿軍を務めた。のちに主家を離反し、北条家に属した。
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酒井 |
敏房 |
54 | 62 | 67 |
42 | 52 |
29 |
通常版 | 1526 |
槍衾・1 |
挑発 |
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おおたわら | つなきよ |
武士 | 神仏 | 50 |
(1540-1589)那須七党の一。資清の三男。兄の高増・資孝が別家を立てたため、大田原家を継ぐ。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては、子・晴清を秀吉の出迎えに遣わした。
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大田原 |
綱清 |
47 | 41 | 67 |
54 | 60 |
66 |
通常版 | 1555 |
収拾 |
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まつだ | のりひで |
重臣 | 神仏 | 51 |
(1540-1590)北条家臣。筆頭家老を務めた。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城への籠城を主張し採用された。のちに秀吉に寝返ろうとして失敗、戦後、自害させられた。
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松田 |
憲秀 |
63 | 9 | 67 |
61 | 5 |
17 |
通常版 | 1555 |
挑発 |
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おくだいら | のぶまさ |
国人 | 神仏 | 61 |
(1555-1615)徳川家臣。貞能の子。一時武田信玄に属すが、信玄の死後、帰参。長篠合戦では長篠城を死守し勝利に大きく貢献した。その功により、家康の娘・亀を娶った。
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奥平 |
信昌 |
19 | 60 | 67 |
40 | 52 |
68 |
通常版 | 1570 |
槍衾・1 |
収拾 |
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おだ | ひろのぶ |
守護代 | 神仏 | 50 |
(1506-1555)尾張斯波家臣。尾張下4郡の守護代。名は信友とも。清洲城主を務めた。主君・義統を殺したため、織田信長の命を受けた織田信光に攻められ、自害した。
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織田 |
広信 |
39 | 14 | 67 |
46 | 24 |
25 |
通常版 | 1521 |
挑発 |
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さいとう | よしたつ |
守護 | 神仏 | 35 |
(1527-1561)美濃の戦国大名。道三の子。美濃守護・土岐頼芸の子ともいう。家督を巡って父と対立、父を討って美濃国主となるが急死した。身長6尺5寸の巨漢と伝わる。
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斎藤 |
義龍 |
54 | 81 | 67 |
58 | 11 |
34 |
通常版 | 1542 |
槍衾・2 |
挑発 |
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さいとう | としみつ |
武士 | 神仏 | 49 |
(1534-1582)斎藤家臣。主家滅亡後は明智光秀の家老となる。本能寺の変や山崎合戦に従軍し敗戦後に捕らえられ、斬首された。娘は将軍・徳川家光の乳母を務めた春日局。
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斎藤 |
利三 |
33 | 65 | 67 |
45 | 58 |
56 |
通常版 | 1549 |
突撃・1 |
鼓舞 |
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とやのお | みつひで |
武士 | 神仏 | 70 |
(1508-1577)北畠家臣。石見守と称す。「文武を得、知略深し」と評された。織田信雄が北畠家一族を謀殺したあと、北畠具親とともに旧臣を糾合して兵を挙げるが、戦死。
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鳥屋尾 |
満栄 |
61 | 51 | 67 |
61 | 78 |
43 |
通常版 | 1523 |
斉射・1 |
混乱 |
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あきやま | のぶとも |
武士 | 神仏 | 49 |
(1527-1575)武田家臣。伊那衆を統率する。徳川家康に「武田軍の猛牛」と評されたほどの猛将。岩村城に籠城して織田信長軍と戦うが、敗れて捕虜となり、磔刑にされた。
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秋山 |
信友 |
63 | 63 | 67 |
54 | 80 |
58 |
通常版 | 1542 |
突撃・1 |
破壊 |
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ばば | のぶふさ |
武士 | 神仏 | 61 |
(1515-1575)武田家臣。武田四名臣の1人。多くの合戦に参加し1度も負傷せず「不死身の鬼美濃」と呼ばれた。長篠合戦の際に殿軍として主君・勝頼の逃亡を助け、戦死。
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馬場 |
信房 |
69 | 81 | 67 |
60 | 94 |
57 |
通常版 | 1530 |
突撃・2 |
鼓舞 |
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しばた | つなさだ |
国人 | 神仏 | 50 |
(1512-1561)上杉家臣。新発田・五十公野城主。伯耆守と称した。上条定憲が長尾為景と戦った乱の際は、はじめ長尾方に属したが、のちに上条方に転じて長尾軍と戦った。
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新発田 |
綱貞 |
64 | 35 | 67 |
60 | 38 |
89 |
通常版 | 1527 |
鼓舞 |
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ゆさ | つぐみつ |
守護代 | 神仏 | 55 |
(1527-1581)畠山家臣。温井家との政争に敗れて出奔するが、和睦して帰参する。のちに上杉家に通じて能登を治めるが、織田家の台頭により逐電し、捕縛され斬首された。
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遊佐 |
続光 |
58 | 41 | 67 |
55 | 11 |
84 |
通常版 | 1542 |
混乱 |
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ほそかわ | ただおき |
武士 | 神仏 | 83 |
(1563-1645)織田家臣。藤孝の子。明智光秀の娘を娶るが、本能寺の変後は豊臣家に属した。関ヶ原合戦では東軍に属し、豊前中津39万6千石を領した。利休七哲の1人。
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細川 |
忠興 |
77 | 65 | 67 |
74 | 46 |
55 |
通常版 | 1578 |
斉射・1 |
挑発 |
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くちば | みちよし |
武士 | 神仏 | 70 |
(1513-1582)毛利家臣。志道広良の次男。吉川元春を補佐して山陰方面の経略を行う。主君・元就の死後、四人衆の1人となり当主・輝元を補佐して主家の国政に参画した。
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口羽 |
通良 |
72 | 44 | 67 |
67 | 69 |
42 |
通常版 | 1528 |
収拾 |
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さがら | たけとう |
僧侶 | 神仏 | 54 |
(1498-1551)大内家臣。有職故実に通じ、主君・義隆の信頼を受けた。のち陶晴賢と対立し出奔するが、杉興運により抑留される。晴賢の謀叛の際、筑前花尾城で殺された。
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相良 |
武任 |
66 | 2 | 67 |
75 | 23 |
59 |
通常版 | 1513 |
混乱 |
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