武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
かきざき | もりひろ |
国人 | 神仏 | 38 |
(1571-1608)蠣崎松前家6代当主。慶広の子。徳川家康が内大臣となった際、父とともに家康に拝謁した。1600年に松前藩2代藩主となるが、父に先立ち病死した。
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蠣崎 |
盛広 |
63 | 33 | 25 |
52 | 72 |
34 |
通常版 | 1586 |
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としま | しげむら |
国人 | 神仏 | 55 |
(1521-1575)安東家臣。畠山重忠の末裔という。1570年、湊安東家臣の下刈右京らと結んで謀叛を起こすが、安東愛季の軍勢に敗れ、妻の実家・仁賀保家を頼った。
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豊島 |
重村 |
28 | 15 | 31 |
27 | 12 |
34 |
通常版 | 1536 |
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とまき | よしひろ |
武士 | 神仏 | 45 |
(1556-1600)戸沢家臣。戸蒔城主を務めた。関ヶ原合戦の際は主家とともに東軍に属す。東軍の最上義光に従って出陣し、西軍の小野寺義道軍と戦うが、角間川で戦死した。
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戸蒔 |
義広 |
29 | 37 | 36 |
36 | 57 |
34 |
通常版 | 1571 |
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さいとう | よしたつ |
守護 | 神仏 | 35 |
(1527-1561)美濃の戦国大名。道三の子。美濃守護・土岐頼芸の子ともいう。家督を巡って父と対立、父を討って美濃国主となるが急死した。身長6尺5寸の巨漢と伝わる。
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斎藤 |
義龍 |
54 | 81 | 67 |
58 | 11 |
34 |
通常版 | 1542 |
槍衾・2 |
挑発 |
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さいとう | たつおき |
守護 | 神仏 | 26 |
(1548-1573)美濃の戦国大名。義龍の嫡男。父の死後家督を継ぐ。美濃三人衆に背かれ、織田信長に敗れて追放された。その後は朝倉家に属し、越前刀禰坂合戦で戦死した。
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斎藤 |
龍興 |
29 | 20 | 12 |
53 | 29 |
34 |
通常版 | 1563 |
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ろっかく | さだより |
守護 | 神仏 | 58 |
(1495-1552)近江の戦国大名。近江に逃れた将軍・足利義晴を支援し、管領に準ずる待遇を与えられた。一国一城令の先駆をなす「城割り」を初めて行った人物として著名。
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六角 |
定頼 |
81 | 72 | 59 |
72 | 39 |
34 |
通常版 | 1510 |
槍衾・2 |
鼓舞 |
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あきづき | ふみたね |
武士 | 神仏 | 42 |
(1516-1557)筑前の豪族。古処山城主。大友家に属すが待遇に不満を持ち、毛利元就と結んで反旗を翻す。大友軍2万の軍勢に対して善戦するが、衆寡敵せず敗れ自害した。
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秋月 |
文種 |
36 | 63 | 20 |
47 | 50 |
34 |
通常版 | 1531 |
槍衾・1 |
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あきづき | たねざね |
武士 | 神仏 | 49 |
(1548-1596)筑前の豪族。古処山城主。文種の次男。毛利家の援助を受け、居城を大友家から奪回した。豊臣秀吉の九州征伐軍に敗れ「楢柴茶入」を献上して改易を免れた。
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秋月 |
種実 |
54 | 47 | 59 |
55 | 59 |
34 |
通常版 | 1557 |
収拾 |
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