『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
しばた とうしろう 諸勢力 因幡但馬 1554 (1539-1628)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。
芝田 藤四郎 都市騎馬
[商業] [茶湯]  544359 5985 72
にしやま たんざえもん 諸勢力 因幡但馬 1580 (1565-1614)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。
西山 旦左衛門 都市騎馬
[商業] [茶湯]  434857 4340 23
おおはら こしろう 諸勢力 備前備中 1583 (1568-1652)福岡の商人。福岡は吉井川沿いにあった中世以来の市場町。近くには備前守護所があり、刀鍛冶が多く住んだ。黒田官兵衛の祖父・重隆が一時期住んでいた。
大原 小四郎 都市
[商業] [茶湯]  504050 47100 29
あくざわ ひこじろう 諸勢力 土佐 1591 (1576-1652)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。
阿久沢 彦二郎 都市荷駄
[商業] [茶湯]  414846 4580 21
よしわら しんべえ 諸勢力 土佐 1543 (1528-1620)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。
吉原 新兵衛 都市騎馬
[商業] [茶湯]  605151 6040 22
かみや じゅてい 諸勢力 筑前 1568 (1553-1635)博多の商人。神屋家は博多の豪商で、寿禎・宗湛などが代を伝えた。紹貞は石見銀山を開き、灰吹法を用いて銀を精錬。宗湛は豊臣秀吉の特権商人として活躍。
神屋 寿禎 都市
[商業] [茶湯]  565846 4270 25
がんしょうじ みょうしゅん 諸勢力 伊勢志摩 1578 (1563-1651)伊勢志摩の僧侶。願証寺は一向宗の寺院で、一向宗門徒の一大拠点として織田信長に激しく抵抗したが、信長の焦土作戦によって1574年に灰燼に帰した。
願証寺 明俊 一向宗
[外交]  636151 4235 27
くおんじ にっちょう 諸勢力 甲斐 1587 (1572-1650)甲斐の僧侶。久遠寺は身延山にある日蓮宗の総本山。日蓮宗の開祖・日蓮が1274年に建立してこの地に隠棲し、後継者の育成および指導などに従事した。
久遠寺 日朝 旧仏教
[外交]  505451 44100 22
ほんれんじ にちでん 諸勢力 備前備中 1593 (1578-1642)備前備中の僧侶。本蓮寺は、備前南部を中心に多数立てられた日蓮宗の寺院の1つ。日蓮宗は松田家・宇喜多家の庇護により「備前法華」として広まっていた。
本蓮寺 日典 旧仏教
[外交]  414543 52100 22
ぜんつうじ りょううん 諸勢力 讃岐 1593 (1578-1652)讃岐の僧侶。善通寺は真言宗の開祖・弘法大師空海が生誕した場所に開かれた寺院。紀州高野山・京都東寺とともに、大師三大霊跡の1つといわれている。
善通寺 了運 旧仏教騎馬
[外交]  575544 5650 2
ひらど ぽるろ 諸勢力 肥前 1595 (1580-1652)肥前の宣教師。サントス堂はキリスト教教会のうちの1つ。平戸・長崎などで南蛮貿易が行われたため、大村純忠・有馬晴信など受洗する大名も多かった。
平戸サントスポルロ 切支丹
[外交]  404155 5180 26
しみず じろべえ 諸勢力 1574 (1559-1634)能代水軍の武将。治郎兵衛は実際は安東家臣。主君・愛季の命で能代へ移住し、諸材木支配惣町支配を務め、山王権現社を建立するなど能代の町作りを進めた。
清水 治郎兵衛 水軍衆
[貿易]  425146 5740 42
いやごおり だんじょう 諸勢力 1578 (1563-1619)輪島水軍の武将。弾正は実際は能登外浦の豪族。能登守護・吉見家に仕え、軍奉行を務めた。子孫は、吉見家ののちに能登守護となった畠山家に仕えた。
弥郡 弾正 水軍衆
[貿易]  534340 4830 82
しらい かたたね 諸勢力 1544 (1529-1614)屋代島水軍の武将。賢胤は実際は安芸武田家、ついで大内家に仕えた、海賊の棟梁。陶晴賢の謀叛後は陶家に仕え、厳島合戦では陶水軍を率いて活躍した。
白井 賢胤 水軍衆
[貿易]  564647 5965 72
たらお みつとし 諸勢力 近江 1579 (1564-1659)甲賀流の忍者。多羅尾家は甲賀53家の一。本能寺の変の際、堺から三河へ向かう徳川家康の一行を居城・近江小川城に迎え、子・光雅に家康の警護をさせた。
多羅尾 光俊 忍者
[引抜] [混乱]  343549 4465 25
しまざき やすしげ 諸勢力 常陸 1569 (1554-1641)常陸の国人。安重は実際は常陸の豪族集団・南方三十三館の筆頭。豊臣秀吉の小田原征伐後、秀吉から所領を安堵されたが、のちに佐竹義宣により謀殺された。
島崎 安重 国人衆
[引抜]  404741 4785 62
いおの すけのぶ 諸勢力 下野 1574 (1559-1615)下野の国人。資信は実際は那須家臣で、那須七党の一。豊臣秀吉の小田原征伐に従軍し、所領を安堵される。関ヶ原合戦では東軍に属し、所領を安堵された。
伊王野 資信 国人衆騎馬
[訓練]  384139 5760 21
いいお さだむね 諸勢力 尾張 1594 (1579-1660)尾張の国人。定宗は実際は織田家臣で、奥田城主。織田信秀の叔父で、飯尾家の養子となった。桶狭間合戦の際、鷲津砦を守備して今川軍と戦うが、敗死した。
飯尾 定宗 国人衆
[商業]  486155 4485 72
みやけ くにむら 諸勢力 摂津河内 1611 (1596-1650)摂津河内の国人。国村は実際は細川家臣で、摂津三宅城主。細川晴元と三好長慶の間で離合集散を繰り返したが、のちに晴元軍に敗れ、行方不明となった。
三宅 国村 国人衆
[改修]  495249 5785 25
おち いえます 諸勢力 大和 1598 (1583-1652)大和の国人。家増は大和の国衆で、家栄の三男。家広の弟という。はじめ楢原姓を名乗った。市尾深介に命じて甥・家高を謀殺し、越智家の惣領となった。
越智 家増 国人衆荷駄
[開墾] [外交]  484848 5570 20

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