武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
くしま | | つなしげ |
通常版 |
三河 |
1530 |
(1515-1587)北条家臣。福島正成の子。父の死後、北条氏綱を頼り、氏綱の娘を娶って一門となる。河越合戦などで活躍し、その旗印より「地黄八幡」と呼ばれ畏怖された。 |
福島 | | 綱成 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [回復] [激励] [突撃] |
47 | 84 | 73 |
61 | 90 |
82 |
くしま | | うじしげ |
通常版 |
三河 |
1551 |
(1536-1578)北条家臣。綱成の子。家中随一の猛将と恐れられた父に劣らず、武勇に優れていた。玉縄城主を務め、上杉謙信の関東侵攻軍を撃退するなどの戦功を立てた。 |
福島 | 善九郎 | 氏繁 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] [収拾] [槍衾] |
40 | 59 | 56 |
33 | 65 |
82 |
さかい | | ただよ |
通常版 |
三河 |
1587 |
(1572-1636)徳川家臣。大坂冬・夏の陣では全軍の参謀役を務めた。のちに土井利勝・青山忠俊とともに3代将軍家光の教育係に就任し、幕府の中枢を担う。老中も務めた。 |
酒井 | 与四郎 | 忠世 |
武将 | 鉄砲 |
[登用] [外交] |
71 | 33 | 65 |
55 | 65 |
92 |
さかい | | ただかつ |
通常版 |
三河 |
1602 |
(1587-1662)徳川家臣。関ヶ原合戦で初陣。家康・秀忠・家光・家綱と将軍四代に仕える。老中・大老を務めて内政・外交全般に活躍した。家綱に「名臣第一」と評された。 |
酒井 | 与七郎 | 忠勝 |
武将 | 槍 |
[開墾] [商業] [治水] |
75 | 21 | 58 |
43 | 70 |
82 |
ほんだ | | ただとも |
通常版 |
三河 |
1597 |
(1582-1615)徳川家臣。忠勝の次男。関ヶ原合戦に従軍し、戦後、上総大多喜5万石を領す。大坂夏の陣では天王寺口の先鋒を務め、毛利勝永軍に正面から突入、戦死した。 |
本多 | | 忠朝 |
武将 | 騎馬 |
[激励] [突撃] |
23 | 61 | 29 |
52 | 85 |
92 |
おおくぼ | | ただかず |
通常版 |
三河 |
1526 |
(1511-1582)徳川家臣。兄・忠俊とともに主君・広忠の岡崎帰城に尽力。蟹江城攻めでも活躍した。三河一向一揆では一族の者とともに上和田砦に籠城し、一揆勢と戦った。 |
大久保 | 甚四郎 | 忠員 |
武将 | 弓 |
[回復] [連射] |
16 | 50 | 39 |
65 | 85 |
92 |
わたなべ | | もりつな |
通常版 |
三河 |
1557 |
(1542-1620)徳川家臣。各地を転戦して戦功を重ね、「槍の半蔵」の異名をとる。関ヶ原合戦には旗本として参陣。晩年は尾張徳川家の家老となり、当主・義直を補佐した。 |
渡辺 | 半蔵 | 守綱 |
一向宗 | 槍 |
[槍衾] |
5 | 61 | 15 |
50 | 65 |
92 |
いたくら | | かつしげ |
通常版 |
三河 |
1560 |
(1545-1624)徳川家臣。はじめ僧侶であったが、父と弟の戦死により還俗、家督を継ぐ。駿府や江戸の町奉行を務めた後、京都所司代となり、西国諸大名らの監視を行った。 |
板倉 | 甚平 | 勝重 |
旧仏教 | 荷駄 |
[改修] [外交] [検地] [奉仕] |
78 | 13 | 64 |
51 | 70 |
92 |
しば | | よしむね |
通常版 |
尾張 |
1521 |
(1513-1554)尾張斯波家14代当主。守護代・織田信友の傀儡として清洲城に住む。信友が織田信長の暗殺を企んだ際、これを信長に知らせたため、信友に謀殺された。 |
斯波 | | 義統 |
武将 | 弓 |
[開墾] |
26 | 21 | 9 |
67 | 60 |
25 |
しば | | よしかね |
通常版 |
尾張 |
1554 |
(1540-1600)尾張斯波家15代当主。義統の嫡男。織田信友によって父が殺害されると、織田信長を頼って信友と戦う。のちに信長と敵対して追放され、各地を流浪した。 |
斯波 | | 義銀 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
23 | 6 | 16 |
36 | 55 |
22 |
おだ | | のぶとも |
通常版 |
尾張 |
1531 |
(1516-1555)尾張下四郡の守護代。名は広信とも。清洲城主を務めた。守護・斯波義統を殺害したために、織田信長の命を受けた織田信光に居城を攻められ、自害した。 |
織田 | 彦五郎 | 信友 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] |
41 | 16 | 60 |
85 | 35 |
25 |
なごや | | かつやす |
通常版 |
尾張 |
1538 |
(1523-1552)斯波家臣。16、7歳の頃、簗田弥次右衛門と男色の契りを結ぶ。のちに二人で織田信長に通じ、清洲城内の老臣たちを信長方につけるために画策したという。 |
那古野 | 弥五郎 | 勝泰 |
武将 | 騎馬 |
[攻城] |
27 | 37 | 35 |
24 | 60 |
32 |
ほんだ | | としひさ |
通常版 |
尾張 |
1544 |
(1529-1603)豊臣家臣。はじめ水野半右衛門と名乗り岩倉城主・織田信安に仕えた。のちに豊臣秀長に属し、脇坂安治の転封により高取城主となり、2万5千石を領した。 |
本多 | | 利久 |
国人衆 | 弓 |
[引抜] |
35 | 16 | 31 |
40 | 35 |
22 |
ほんだ | | としとも |
通常版 |
尾張 |
1566 |
(1551-1610)豊臣家臣。利久の子。高取城主。関ヶ原合戦では東軍に属し、居城が城主不在となる。そのため西軍の攻撃を受けるが落城を免れた。戦後、本領を安堵された。 |
本多 | | 利朝 |
国人衆 | 荷駄 |
[槍衾] |
36 | 17 | 38 |
59 | 65 |
21 |
おだ | | のぶたか |
通常版 |
尾張 |
1573 |
(1558-1583)信長の三男。伊勢の豪族・神戸具盛の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後、柴田勝家と結んで羽柴秀吉に対抗するが敗北、秀吉の命により自害させられた。 |
織田 | 三七郎 | 信孝 |
武将 | 槍 |
[雨撃] |
32 | 58 | 13 |
64 | 60 |
92 |
ひらおか | | よりかつ |
通常版 |
播磨 |
1575 |
(1560-1607)小早川家臣。諸国を放浪後、豊臣家を経て小早川家の家老となる。関ヶ原合戦では黒田長政に通じて主君・秀秋を寝返らせた。秀秋の死後は徳川家に仕えた。 |
平岡 | 藤蔵 | 頼勝 |
武将 | 槍 |
[引抜] [外交] |
42 | 28 | 44 |
40 | 45 |
23 |
ほり | | ひでまさ |
通常版 |
美濃飛騨 |
1568 |
(1553-1590)織田家臣。各地で軍功を重ねる一方、徳川家康の饗応役も務めるなど、文武の両面に才能を発揮した。本能寺の変後は豊臣秀吉に属し、一門格の待遇を受けた。 |
堀 | 久太郎 | 秀政 |
武将 | 槍 |
[登用] [収拾] [三段] |
68 | 55 | 62 |
47 | 70 |
2 |
あさの | | ながまさ |
通常版 |
尾張 |
1562 |
(1547-1611)豊臣家臣。秀吉の正室・寧子の義弟。五奉行筆頭として主家の執政に参画した。秀吉の死後、石田三成と対立して徳川家康に接近し、以後は徳川家に仕えた。 |
浅野 | 弥兵衛 | 長政 |
国人衆 | 弓 |
[商業] [外交] [検地] |
66 | 50 | 56 |
50 | 55 |
2 |
くわやま | | もとはる |
通常版 |
尾張 |
1578 |
(1563-1620)徳川家臣。重晴の次男。はじめ豊臣秀吉に仕え、朝鮮派兵などに従軍した。関ヶ原合戦の際は東軍に属し、戦後、大和御所2万6千石余を領した。 |
桑山 | 長兵衛 | 元晴 |
武将 | 槍 |
[茶湯] |
35 | 42 | 33 |
40 | 65 |
2 |
ました | | ながもり |
通常版 |
尾張 |
1560 |
(1545-1615)豊臣家臣。五奉行の1人として検地などを行う。豊臣秀次の死後、大和郡山20万石を領した。関ヶ原合戦の際は大坂城で豊臣秀頼を守る。戦後、改易された。 |
増田 | 仁右衛門 | 長盛 |
武将 | 弓 |
[商業] [検地] |
80 | 20 | 11 |
46 | 50 |
23 |