『信長の野望 嵐世記』武将総覧

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
はたの ひでひさ 通常版 丹波丹後 1560 (1545-1579)晴通の子。兄・秀治とともに丹波八上城に籠城して明智光秀軍に対抗するが、1年半に及ぶ攻防の末、降伏する。兄とともに安土に送られ、磔刑に処せられた。
波多野 秀尚 武将
[守戦]  304124 3650 23
はたの むねたか 通常版 丹波丹後 1526 (1511-1573)丹波の豪族。氷上城主。「西波多野」と呼ばれた波多野家の一族。「丹波鬼」の異名で呼ばれた勇将で、正親町天皇の即位式の際には洛中を警護したという。
波多野 宗高 武将
[改修] [外交] [連射]  435154 6490 27
あかい ときいえ 通常版 丹波丹後 1509 (1494-1581)丹波の豪族。越前守を称した。丹波守護代・内藤家に所領を追われ、一時的に播磨に逃れるが、のちに復帰した。次男・直正は赤井家庶流の荻野家を継いだ。
赤井 時家 国人衆騎馬
[引抜] [突撃]  493149 2565 32
あかい なおまさ 通常版 丹波丹後 1544 (1529-1578)丹波の豪族。時家の次男。兄・家清の戦死後、若年の甥・忠家を後見した。明智光秀の丹波平定軍を撃退するなど武勇にすぐれ「丹波の赤鬼」の異名をとった。
赤井悪右衛門直正 国人衆騎馬
[開墾] [回復] [守戦] [突撃]  277269 5465 24
もみい のりなり 通常版 丹波丹後 1547 (1532-1576)波多野家臣。籾井城主。武勇をもって鳴り、「赤鬼」と称された赤井直正と並んで「青鬼」の異名をとった。羽柴秀吉の中国侵攻軍の攻撃を受け、戦死した。
籾井 教業 国人衆
[改修] [訓練] [連射]  177041 2185 21
あらき うじつな 通常版 丹波丹後 1550 (1535-1579)丹波の豪族。細工所城主。豪勇をもって知られた。波多野家滅亡後、明智光秀の仕官要請を拒否、代わりに子・氏清を出仕させた。氏清は山崎合戦で戦死した。
荒木 氏綱 国人衆騎馬
[登用] [守戦] [攻城]  126550 1795 25
いっしき よしさだ 通常版 丹波丹後 1573 (1558-1582)丹後の戦国大名。義道の子。父の死後、家臣・稲富祐直を頼り、細川藤孝軍と戦う。のち明智光秀の斡旋で和睦し藤孝の娘を娶るが、再び背いたため殺された。
一色 義定 武将鉄砲
[開墾] [登用] [三段]  455636 5180 72
いっしき よしきよ 通常版 丹波丹後 1550 (1535-1582)丹後の戦国大名。甥・義定が細川藤孝に謀殺された後、丹後弓木城に入って一色家を継ぐ。しかし、細川忠興に城を包囲されたため、敵陣に突入して戦死した。
一色 義清 武将荷駄
[商業] [雨撃]  254532 2670 72
ほんがんじ しょうにょ 通常版 摂津河内 1521 (1516-1554)本願寺10世法主。日蓮宗徒と六角定頼に山科本願寺を焼き討ちされ、石山本願寺に本山を移した。蓮如の書状を集めて出版し、諸方の末寺、門徒に配った。
本願寺光教証如 一向宗
[改修] [奉仕] [槍衾]  817861 3385 52
しもづま らいりゅう 通常版 摂津河内 1536 (1521-1580)石山本願寺の坊官。顕如が本願寺11世法主に就任した際に坊官に就任した。茶の湯を好み、「天王寺屋会記」に津田宗達らを招いて茶会を開いた記録が残る。
下間 頼竜 一向宗
[茶湯] [槍衾]  515446 4560 52
しもづま らいれん 通常版 摂津河内 1552 (1537-1626)本願寺の坊官。石山合戦において法主・顕如に代わって全軍を指揮、織田信長に対し徹底抗戦を挑んだ。信長の死後、豊臣秀吉から本願寺町奉行に任じられた。
下間 頼廉 一向宗鉄砲
[訓練] [回復] [守戦] [三段]  198480 6395 52
そごう かずなが 通常版 讃岐 1547 (1532-1561)三好元長の四男。十河家を継ぎ、讃岐十河城主となる。家中随一の猛将として鳴らし、「鬼十河」の異名をとった。有馬権現への参詣途中に落馬し、死亡した。
十河又四郎一存 武将騎馬
[訓練] [回復] [突撃]  267248 5855 52
そごう よしつぐ 通常版 讃岐 1561 (1551-1573)十河一存の子。三好長慶の死後、三好三人衆の後見で宗家を継ぐ。織田信長に降るが、京を追われた足利義昭を保護したため、織田軍の攻撃を受け、敗死した。
十河 義継 武将騎馬
[引抜]  354825 5045 52
いけだ かつまさ 通常版 摂津河内 1554 (1539-1578)摂津の豪族。池田城主。長正の子。織田信長の畿内平定軍に降り、伊丹家・和田家とともに「摂津三守護」と称されるが三好家に通じた一族により追放された。
池田八郎三郎勝正 国人衆鉄砲
[逃亡]  263123 6080 52
あらき むらしげ 通常版 摂津河内 1550 (1535-1586)池田家臣。摂津有岡城主。織田家に仕え摂津経略を担当するが、本願寺・毛利家と結び謀叛を起こして敗れ、逃亡。のち茶人となり、利休七哲の1人となった。
荒木弥助村重 国人衆
[改修] [茶湯] [三段]  376328 7840 52
はたけやま まさくに 通常版 摂津河内 1517 (1502-1550)河内守護。高屋城主。兄・稙長の死後、家督を継ぐ。細川晴元と細川氏綱の対立の際は氏綱に属す。三好義賢らと舎利寺で戦った。のち紀伊岩室城で死去した。
畠山三郎政国 武将
[守戦]  394233 4160 82
こにし ゆきなが 通常版 摂津河内 1574 (1559-1600)豊臣家臣。堺の豪商・小西隆佐の子。朝鮮派兵の際は先鋒を務めた。関ヶ原合戦では西軍に属して戦うが敗れ、斬首された。熱心なキリスト教信者として有名。
小西弥九郎行長 都市鉄砲
[外交] [貿易] [三段]  714744 4960 20
すずき しげとも 通常版 紀伊 1576 (1561-1613)豊臣家臣。重秀の子。朝鮮派兵に参加した。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城を守る鳥居元忠を討つ戦功を挙げた。戦後、浪人したのち水戸徳川家に仕えた。
鈴木孫市重朝 一向宗鉄砲
[開墾] [捕縛] [三段]  156867 5370 52
たちはら ひさつな 通常版 出雲石見 1546 (1531-1613)尼子家臣。甥・山中鹿之介とともに尼子勝久を擁して主家再興を図る。播磨上月城落城後、毛利軍に捕えられるが、脱出して上洛した。のちに阿波へ赴いた。
立原源太兵衛久綱 武将鉄砲
[商業] [逃亡]  403550 6495 2
あかまつ よしすけ 通常版 美作 1552 (1537-1576)晴政の子。織田信長に通じたが、浦上政宗と戦って敗れ、没落した。赤松家は村上源氏の流れをくみ、建武政府樹立に貢献した赤松則村(円心)を始祖とする。
赤松次郎義祐 武将騎馬
[登用] [外交]  433442 3465 72

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